踊らされていたのは
「いやあ。まさか女装させられてるとはね。なかなか様になっていて驚いた。」
五人組の処罰が下ったその日の帰り道の馬車の中で、テオドールは笑いを堪えきれない様子でクリスティーナに話しかけた。
クリスティーナはにっこりと笑いながら、「ええ、そうですね。しかし本当に驚きました。」と答えた。
「お婆様も人が悪いわ。教えておいてくだされば良いのに…。」
今この場にはいないミシェルのしてやったりという顔が目に浮かぶ。まったく、相変わらずの悪戯好きだ。
「けれどさすがの大叔母様だけあって、彼らによく似合う衣装だった。あの女狐はお眼鏡に適わなかったようだけど。」
「本当に興味が湧かなかったのでしょうね。
顔を合わせていた間も全くの無関心だったようです。けれど彼女には意外とその対応が堪えるものでもあると思います。
あの期間中、それまで構ってくれていた殿方からの関心は得られなくなり、割と早い段階で疎まれるだけの状態になっていたようです。誰からも関心を得られないと言うのはああいう方にとって存外恐怖なものですよ。誰も自分のために動いてくれないことと同義ですから。
変な話ですが、彼らに平等にお仕置きを遂行したハンナの存在に、無自覚に救われている可能性だってあります。」
「そういうものかい?」
「彼女を見ていて感じた、ただの個人的な考察でしかありませんが。
実のところ、私も彼女への関心はさほど無いのですよ。面倒な目に遭わされたという意味では腹いせはしたいと思っていたくらいで、お仕置きに参加させたのは『ついで』なのです。どうせ彼女の場合、しでかした事が身分的にも重罪でしたから、先は見えていましたもの。」
「そうかい。すっきりした?」
クリスティーナはその言葉にテオドールへにっこりと笑いかけ「ええ。」と肯定する。
「それはよかった。狙った効果もでそうかい?」
「あら。お気づきでしたの?」
「君は高位貴族の令嬢で、未来の王妃か王子妃だった訳だからね。」
「積年の恨みを晴らさずにおくものか、という意気込みがあったのは間違いありませんよ?」
「それでもさ。
君が貴族の役割と責任を忘れる事はない。なにせあの誇り高きハウゼン公爵家の令嬢だ。無駄な事はしない。」
肩をすくめ、ふうと呆れたようなため息を吐いて「買い被りですわ。はとこだからと甘いこと。」と返す。
「そこは愛しい婚約者だからと言って欲しいな。
私は君が何を想い、何を成したいかに常に関心を持っている。これまでの付き合いで君が考えそうな事だってある程度は想像がつくさ。」
「もう…!」
耳まで赤くしたクリスティーナはついと目を逸らす。その様を見て、くつくつと楽しそうに笑うテオドールを横目で睨みつけていると、民が暮らすエリアに入ったのか、馬車の走る音が変わった事に気づく。
そっと小さくカーテンを捲り、外の様子を伺うクリスティーナの横顔は柔らかいものだ。
「…殿下と側近は王侯貴族の生き方以外のことを全く知りませんの。だから何から何まで想像もできないのですわ。
平民たちの生活がどんなもので、貴族たちがなぜ暮らしていけているのかも、その生活を支えてくれる使用人が居なくては何もできない頼りなさも、なぜ自分たちがあのように学ぶことが多くあるのかということも。
本来なら、それを教えるべき者たちがその役割を果たさず、そして彼らもまた知ろうとしなかったのですから。」
テオドールはそれに静かに頷く。
「シエナさんとジョージさんに関してはその身分の低さと、仕出かした内容が内容でしたから、厳罰は避けられませんでした。
けれど、あとの三名に関しては正直に言えばそこまでの厳罰を加えることは難しい、そんな内容でございましたでしょう?
もちろん国庫や家からの着服は褒められたことではありませんが。言ってしまえば、彼らの身分と資産が有れば補填できてしまうわけで、もっと言えば一時的に借りただけ、と言う事も立場的にはできてしまいます。
そういう事もあって、彼らの言動は愚かな高位貴族ならではの傲慢さと、家同士の取引でどうにかできてしまう程度の内容とも言えます。
ただ問題は、彼らがあの夜会を選んでしまった事にあります。あの場でそんなことを仕出かせばどうなるのかという想像ができなかったから、こうなってしまったようなものなのですわね。
そうでなければ、せいぜい嫡子から外され、生涯離宮で幽閉されるか、分家の何処かに婿に出される程度だったでしょう。」
テオドールからしたら、クリスティーナを衆目で愚弄されたことには業腹だが、確かに家同士で内密に済ませ、目撃者には口止めしてしまえば鎮火できる程度の諍いとも言えた。あの夜会で起きた事でなければ。
「彼らがあの夜会で事を起こしてしまったが故に、他の貴族へ示しをつけるためにもそれなりの厳罰を下す必要がありました。
ありうるとすれば、国外追放か、身分剥奪か…。実際にそういった内容でしたわね?」
「ああ。」
「そうなる可能性を考えた時、あの状態の彼らを市井に捨て置けば、迷惑を被るのは大事な国民だと思いました。
他国に追放なぞすれば、元の身分が高いだけあっていくら言っても下手に扱い辛い人物です。そんな人物が国元にいるのと同じ振る舞いをすれば、問題を放り込んできたと国際問題になりかねません。
見目も良いので、うっかり問題を起こす可能性だってあります。」
元の彼らの様子を思い浮かべ、「ああ、確かにな」とテオドールは納得する。
「ですから、最低限の状態にはしておく必要があると考えました。それを成すのに、淑女教育や王妃教育はある意味丁度良かったのです。
彼らはあそこで学んだことの全てを使いこなすことはできないでしょうけれど、常識を学び直せます。それに、王妃教育では王侯貴族が果たすべき責任についてより深く学びます。感情の制御方法も。何よりハンナによって根性が叩き直されます。
あとはある程度市井の生活についても学ばせれば、最悪、市井で顰蹙を買う事なく、なんとか生きるくらいはできましょう。」
「なるほどね。
…そこまで考えてあげるなんて妬けるなぁ。」
テオドールはそう言うとクリスティーナの横に移動して腰を抱き込み、もう一方の手で後毛を指に巻き付けながら顔を近づけ口づける。ちゅっと音がして離れれば顔を真っ赤にしたクリスティーナがそこにいた。
「さすがにもう慣れたと思っていたんだけど?可愛いね。」
「唐突にされたら心の準備が…!」
「なるほど。突然すればその可愛い顔が見られるのか。これからはたまに不意をつくことにしよう。」
「も、もう…!
は、話を戻しますが、彼らのためではなく、国民のためです。そしてさっきも言いましたが、アレをした理由は結局のところ、一番は私の苦労を思い知るが良いという思いですよ。」
テオドールの悪戯から立ち直ったクリスティーナは「ほほほ」と晴れやかな笑顔を浮かべる。
それを眩しそうに見つめていれば、いつの間にかハウゼン公爵邸に到着した。
「おかえりなさいませ。」
そう出迎えた使用人たちの顔色もまた明るいもので、彼らも主人達の悩みの種が減ったことを喜んでいるようだ。
一度部屋に戻り、軽装に着替えてから改めてサロンに集まる。父母とテオドール、クリスティーナがそれぞれの定位置に腰掛ければ茶が供され、一息つく。
祖母は女装子たちに今日の反省点を復習させに、祖父はそんな祖母の手綱を握ると言う名目で観察のために城に残った。
サロンで上がる話題はやっぱり今日のこと。
「そう言えば、シエナがあの商会長とできていたっていうのは本当なのか?どう考えてもあの男の見目では、面食い娼婦が食いつくとは思えないんだが。」
「ああ。それは薬と自由に使えるお金が目当てだったようです。あと…恐らくですが、ジョージさんに依頼した薬の内容に疑問を覚えた商会長が調べさせた結果、高位貴族に盛ろうとしている事に気づいて知られたくないのなら身体をと脅迫したのでしょう。
まあ、始まりはそれでも、途中で息子より商会長のほうが金回りが良く、権限もあることに気づいたのではないでしょうか。手に入れられる物資も金子も多いでしょうから。」
「そうか…。じゃああの二人は似た者同士なんだな。なんだかんだで一番相性が良かったんじゃないか?」
「はて、どうでしょう?似たもの同士だから合わないと言うこともありますわ。
顔さえシエナさん好みであれば、裕福ですし、まとまっていた可能性はありますが、見た目も好みでは無いでしょうし、何より身分が不満で騒ぐと思いますの。
そう言えばお父様、彼らはいつ護送されますの?」
「娼婦とジョージは近いうちに護送されるだろう。商会長の方はもう少し取り調べをするだろうから、それよりも後だな。」
「そうでしたか。陛下にはもう少し頑張って頂かなくてはなりませんね。」
「そうだね。それに陛下はもう一つ、婚約時の条件を忘れているんだよね。」
「そうなのですか?いったいどんな内容で?」
「それはもう少し先の秘密にしておこう。きっと楽しいよ。」
ふふふと笑う父の笑顔にある含みが気になるところだが、そのうち知られるのだからまあいいだろうとクリスティーナは放っておくことにした。
今日の話題は過ぎ去り、穏やかな団らんは夕食の席へと場を移し、喜びに満ちたものとなった。
部屋に下がるという段になって、クリスティーナはテオドールにエスコートされ自室へ向かっていた。
「あと一つ。何となく聞きづらかったから今聞くんだけど…。
あの時、彼らに何かを伝えていただろう?何を言っていたんだ?」
どの時だろうと少し考え、あの声を出さずに事実を伝えた時のことかとすぐに思い至る。
「ああ…あれですか。そうですね。
ただ、『すべてを知っている』と。それだけですわ。」
知っている…?と考えてすぐに何かに思い至ったテオドールは、思わずまじまじとクリスティーナの顔を見る。
「軽蔑しますか?」
「いや。それはないけれど…。女性には厳しい内容だったんじゃないのか?大丈夫かい?」
「ええ。大丈夫ですわ。マリーは小説家ですから。非常に読みやすいものでございましたよ。挿絵には少し困りましたけれど。」
その言葉に、実は二人の後ろを歩いていたエリンは驚いて飛び上がった。
顔を真っ青にして、自分が描いた絵を思い浮かべ、さらに顔を青くして、「これはマリーにも知らせなければならない。なぜお嬢様がご存じなのか。」と混乱していると、変態侍女と目が合った。
変態侍女はにたりと嗤う。
その顔を見て、「犯人はこいつかぁ!」と悟った。
エリンは思う。確かに綺麗ごとばかりではないし、それをお嬢様に教えたのはコイツだ。それは役に立ったと言う。つまりこいつなら閨に関することを見せるのもやりかねない。なぜこいつのことを忘れていたのか。
そう悩んでいればいつの間にか主人と主人予定はお休みのキスをしているところだった。
「美形は絵になるわー」と目に焼き付けながら現実逃避していると、ニーナがすすす…と横に立つ。
小さな声でひっそりと呟いた言葉に目を見開く。
「ねえ、エリン。お嬢様はね、なぁんでもご存じなの。だからね、隠し事はしないほうが良いわ。
マリーにも言っておいてね。」
そういって、また嗤う。
ぷるぷると震えながら、使用人棟の自室に戻ったエリンは、マリーの帰りを待ち伏せ、ニーナから言われたそれを告げる。
マリーと共にぷるぷる震え、隠しているネタ素材を片っ端から集めているうちに、夜が更けていった。