変態侍女の師匠は躍らせる
翌朝四時。
国王の宣言にあったように、文字通り叩き起こされた五名は、兵士用の服を着せられ、鍛錬所に集められた。
「ハウゼン公爵家で護衛をしているセドリックです。今日から早朝のトレーニングを担当します。」
セドリックと名乗った男はニカっと笑顔を向ける。そこそこに顔面偏差値が高い彼は黒い髪を短く切りそろえ、碧色の瞳が印象的な爽やかな男だった。シエナはくらっと来ているようで、珍しく静かに過ごしている。
ジルベルトはこの男に何となく見覚えがあった。
護衛と言うくらいなのだから、きっとクリスティーナについていたことがあるのだろう。そう納得させていると、その理由をセドリック自身が明かしていく。
「私はクリスティーナお嬢様の護身術の師匠でもあります。殿下にも何度かお会いしていますね。覚えていませんか。お嬢様に喧嘩売って投げ飛ばされて、クロード様に止められた時に後ろにいました。」
そう告げられてあの時のことを思い起こす。いた気がする。けど定かではない。
「殿下…。クリスティーナ嬢に投げられたってどういうことですか…。」
ジョージが疑問の声を上げ、シエナは信じられないものを見たという目でこちらを凝視している。
「いや…。私も先日まで忘れていたんだが、クリスティーナは幼少のころから武の方も達者だったんだ…ということを喧嘩を売った後に知った。」
「そもそも年下の…それも幼女に喧嘩を売らないでください。何をどうすれば投げられるなんてことになるんですか。」
「まあ…今思えばまずいことをしたと思っている…。」
女の子が大好きなジョージは、これまでの自身のクリスティーナへの対応を棚に上げてジルベルトに軽蔑の視線を送る。そしてふと思う。
――喧嘩を売られたくらいで、王族を投げたくらいなのだから、よほど殿下は嫌われていたんじゃないのか?
それに思い至れば、自身のこれまでのクリスティーナに対する言動は間違いだらけだったことに気付き、ひそかに動揺する。
「お嬢様は当時まだ十歳にもなっておられませんでしたが、あの方は努力の方です。特別な才があるという訳ではありませんが、王族に嫁ぐ身として、万一の時に備えたいと日々努力されておられました。
ついでに言えば、お嬢様の侍女ニーナも私の弟子です。あちらの方はもっと本格的です。良かったですね。あの夜会の日、ニーナがそばにいなくて。アレはお嬢様が大好きですから、きっと今頃あなた方は立つ事もできなかったでしょう。」
そういうセドリックの視線は冷めていて、四人はうっすらと寒気を感じる。言外に暗殺を仄めかされたのだ。寒気がしてもおかしくはなかった。
だが、たった一人、やっぱりシエナはその寒気に気づかない。先ほどからずっと黙っていた彼女が、ここにきて急に動き出した。
「セドリック様、クリスティーナは我儘ですから、きっと教えるのにも大変だったのでしょう。どうせ大した腕前でもないでしょうに、そんなにも褒めなくてはいけないなんて…セドリック様…なんてお可哀そうなの…。」
そういうとセドリックの腕を抱き込もうとしたが、一瞬のうちに彼女の体は宙を舞った。一体何が起きたのか全く理解できないでいれば、セドリックは先ほどよりさらに冷ややかなものをシエナに向けた。
「何を勘違いしているか知らんが、貴様ごときがお嬢様を呼び捨てにするなど言語道断。それに俺はいくら主家の娘であろうと弟子に対してはおべっかは使わん。
何もできない小娘。その腐った性根、叩き直してやる。この阿婆擦れが。」
爽やかだった印象は何処へやら。
別人のようにそう言い切ると、腰に下げていた短剣を地に倒れたままのシエナの顔の横にたたきつける。一瞬時が止まったように感じた後、何やら異臭がしてきた。見ればシエナが粗相をしていて、一歩、二歩と全員が距離を取る。
「ほう?貴様ら、あのお嬢様を陥れてでもそこの阿婆擦れが欲しかったのだろう?なら庇ってやったらどうだ?」
「…アレは間違いであったと今はよくわかっている。そこの女のことはもう何とも思っておらん。」
「はっ。大方、ようやく現実を理解したのはハンナの躾の時だろう?
なにが天真爛漫だ。平民よりマナーのなっていない貴族令嬢など何の役にも立たん。
そんな、ただの躾のなっていない雌犬に篭絡された阿呆どもが。一度は愛すると決めたんだ。せめてギリギリまで庇えれば男が上がるというものだろうに、たった数日で切り捨てるとはね。男の風上にも置けない。性別が一緒だっていうことにすら嫌悪するよ。」
あまりの言い草に五人は声も出ない。そうしているうちにも話はどんどん進んでいく。
「本当は貴様らなぞさっさと八つ裂きにしてやりたいところだが、お嬢様が悲しむからな。仕方ないから合法的に締め上げさせてもらうよ。
…ああ、勘違いするなよ。お嬢様が悲しむのは、俺に貴様らを処分させる事に対してだからな。
これから貴様らにはお嬢様が毎日行っていた鍛錬をやってもらう。それが終わればまたハンナの教育だ。心してかかれよ。
まあまず今日は走り込みだな。この鍛錬所はそんなに広くないからな。そうだな。五十周走ってこい。」
「五十周!?そんなのクリスティーナだってやってなかっただろう!?」
「お前、クズだな。
たしかに最初はここまではやっていなかったが、今のお嬢様はやれるよ。それに、幼女の基礎体力と成人した男の基礎体力を一緒にすんなよ。
文句を言うたびに一周増やす。四の五の言わずにさっさと走りに行った方が賢明だと思うがな?
あと許可もなく止まれば全員さらに一周ずつ増やす。連帯責任はこれも一緒だ。」
その言葉を聞けば走り出すしかない。
シエナは漏らしたまま走りたくなかったため、「着替えたい」と申し出たが、セドリックは許さなかった。
「誰が、勝手にしゃべっていいと言った?くせえまま走ってろ。おいお前ら。五周追加だ。頑張れよ。」
またもシエナの勝手のせいで懲罰が増えた。
セドリックはせめて庇う男気を見せろと言うが、昨日からずっとこの調子でお仕置きが追加されている。さすがに嫌気もさすだろうよと全員が心の内で考えるが、それこそそのまま言えばセドリックは激怒するだろう。
それがわかっていたから、シエナに向ける視線を冷たいままに、発言をすることはなかった。
そうして諦めて全員が走り出し、五十周になったときにはすでにハンナの授業時間に遅れていた。けれども、シエナによるやらかしで、連帯責任分が二十周増加していた。もくもくとこなし続けようやく終わったころにはすでに日は高く昇っており、もう指一本動かせないと思うほどに疲れ切っていた。
「毎朝ここで鍛錬をするからな。ハンナ女史にもここでの行いは全て共有されているから覚悟しとけよ。」
なにやら気になる一言を付け加え、セドリックは鍛錬所から去って行った。
全員が、ハンナの授業に早く行かなくては今度は何が課せられるか判ったものではないと考えるが、なかなか立ち上がることがかなわない。そうこうするうちに、ハンナもさすがに七十周もしたと聞けば授業に遅れたことは大目に見てくれるだろうと思うようになっていった。
しかし彼らのそんな甘い期待はすぐに消し去られた。
「みなさん。何をだらけているのです。もう昼ですよ。お仕置きの鞭が必要ですか?」
なかなか来ない彼らに痺れをきらしたハンナが鍛錬場に赴くと、だらしなく伸びている彼らの姿を見つけた。
その声に顔を青褪めさせた彼らが仰ぎ見たその先には、鞭を片手に仁王立ちのハンナがいて、五人を射殺さんばかりに見ている事に気づいた。
すこしの休憩も許されないことに気づいたとき、このお仕置きの終わりを心の底から願い、なんなら厳しい咎でも構わないから即時に諦めてしまおうかとつい頭を悩ませた。