第二王子は踊らせてもらえない
二人が領地へ旅立った日の夜、王宮では二日目の夜会が開催された。
昨夜のことから、いつも騒々しいだけのこの空間に若干の緊張感が漂っているような感覚がするのは気のせいではないだろう。
それまで入場する者の中には当然、昨夜の騒ぎの元凶の姿は誰一人なかった。いま、これから入場するハウゼン公爵家の中にクリスティーナの姿があるかどうかに注目が集まっていた。
ハウゼン公爵家の名前が呼ばれ、入ってくる彼らの姿を見つめるが、やはりその中にクリスティーナの姿は認められず、やっぱりなという顔でうなずく者や、浮かない顔の者、興味津々な者と、その反応は様々だ。
最後に王族の入場となるが、出席者のほとんどが想像した通り、当然その中に第一王子の姿はない。
国王が一段高い場所に立ち、その左右に正妃と側妃が並ぶ。側妃の傍らには第二王子であるギルバートが立ち並んだ。
側妃は、息子の様子が常とは違うことに気づいていた。ちらりと周囲には気取られないように息子へ視線をやっても気づく様子がない。その原因は自身も可愛がってきたクリスティーナにあろうことは容易に察する事ができる。
ギルバートの想いは知っていたし、可愛いと思う。だが、王家に振り回され続けた我が身からすれば、あの娘を逃してやりたかった。だから今夜、息子が万が一暴挙を成そうとすれば衆目であろうとも頬を張ってでも止めるつもりでいた。
クリスティーナの不在により、そうする必要はなくなり、王族によって不幸にされる女を必要以上に増やさずに済んだことに安堵した。
一方のギルバートはこの夜会にクリスティーナが参加するものだと思っていたため、姿が見えないことへの落胆が酷かった。彼女は昨夜、まだやる事が残っていると言っていた。そして今日は自分の立太子が発表されることから情に厚いクリスティーナが欠席する可能性は消し去っていたのだ。
ーー何かあったんだろうか…。今夜がチャンスだったのに…。
ギルバートはミシェルや側妃の懸念通り、暴挙ともいうべきプロポーズを立太子の発表と共にする心算だった。昨夜はっきりと断られたが、それでも自分に情はあるはずで、衆目でプロポーズをすれば、自分に恥をかかすわけには行かぬと、諦めてプロポーズを受け入れるだろうと踏んでいたのだ。
そんな色々なことを舐め腐っていたこの若き王太子は、この後、絶望の淵に突き落とされる事になる。
「今宵もよく集まってくれた。感謝する。
さて、まずは昨夜起きた愚か者たちに関してだ。
重要な夜会を騒がせ、王家に長年尽くしてくれたハウゼン公爵令嬢に恥をかかせたこと、これは看過することはできぬ問題である。よって彼奴らにはきちんと報いを受けてもらう。その処分の詳細は後日正式に発表するが、ジルベルトの王位継承権は剥奪される事だけは先に伝えておこう。
さて今日は三つ、重要な話をしておきたい。」
ーー三つ?
一つには予想がついても他の二つはなんだろうか。第二王子の立太子の件と、その婚約者が決まったのだとして、後もう一つはなんだろうか?ジルベルトの件ではないのか?
疑問に思いつつ聴衆は国王の言葉に耳を傾ける。
「さて、まずは昨夜の被害者であり、本日は事情により欠席しているクリスティーナ嬢についてだ。」
クリスティーナの名前が聞こえてきたことで少々ぼんやりと国王の言葉を聞いていたギルバートの意識が浮上する。
「彼女と第一王子であったジルベルトとの婚約は彼女の言の通り、三年半ほど前に解消されている。これはクリスティーナ嬢に非は一切ないものである。
彼女には長年多くの苦労を掛けてきた。昨夜、愚か者たちに引導を渡して貰ったのも儂の意思に沿ったものである。彼女は本当に多くの献身を我らに捧げてきてくれた。彼女には幸せになって欲しいと切に願っている。
さて、その彼女は隣国エンデバーク 第三王子 テオドール・ルーク・フォン・エンデバーク殿下との婚約が成立した事をここで報告する。儂はこの婚約を心から祝福する。」
一瞬の間の後、クリスティーナの幸せを喜ぶ声と困惑の念が込められた声、二種類が混じり合ったどよめきが起きた。
ギルバートは耳に入ってきた言葉の意味がよくわからなかった。理解した瞬間、父に向かって一歩踏み出そうとしたが、隣にいた母に目で止められる。
その目を見て、王太子になる事を思い出し、これまでの努力を台無しにしてはならないと何とか思いとどまる事ができた。
「急なことで驚くかも知れないが…。
彼女とテオドール殿は幼い頃から親交を深めており、両家はこの二人の婚約の検討を進めようとしていたという。ところが儂がジルベルトとの婚約を王命として下してしまったが故に、臣下としてハウゼン公爵家は従わざるを得なかった。この事を知ったのはつい最近の事で、知らなかったと言えど、想いあっていた二人を引き裂く形となってしまった。
それでもクリスティーナ嬢は、臣下として、次期王子妃として、ジルベルトに誠心誠意尽くしてくれた。誠、感謝の念に堪えない。」
国王の懺悔にも似た発言は異例なもので、さらにはまさか我が国の王家が、進んでいた縁談に横槍を入れた側であったことに動揺広がる中、国王はなおも続ける。
「そこに来て昨夜の出来事。我が子がしでかした事とはいえ、慚愧に堪えない。
彼女は翌年にはエンデバークへ嫁ぐ事になる。
儂は、クリスティーナ嬢の幸せを心から祈っている。」
王族が、それも国王が、国を支える公爵家の令嬢とは言えど、一介の令嬢に過ぎない人間に異例の謝意を示したことは会場にいた人間にさらなる大きな衝撃を与えた。
その様子を見ていたハウゼン公爵家一同は、これでクリスティーナの醜聞が書き換わったことに内心にんまりしていた。
そして王の近くにいる第二王子が必死に押し隠している表情を読んで、今日クリスティーナを欠席させた事、念のため国王に発表させた事は正解であったと判断した。国王にここまで発表されただけでもすでに打てる手は失われているが、これから更なるダメ押しをされるのだから、もうちょっかいの出しようはないはずだ。とは言え、婚約は済んではいるが念のため予定より早くあの二人を纏めてしまった方が安全かと考えを固めていた。
ギルバートは何も考えたくなかった。この手から完全にすり抜けてしまった想い人…。それでも何かできる事はないのか、諦めたくない…何か、何か…。
そんな動揺する息子の姿を隣で見ていた側妃は、クリスティーナが逃げ切れそうな事に安堵していた。
確かに王族や貴族の結婚には愛が芽生えなくとも、義務さえ果たせれば何も問題はない。無いが、息子には多少でも幸せを感じる生活は送って欲しいとは思う。だが、クリスティーナが義務感を超えてギルバートと共に居る姿が浮かばない以上、お互いに不幸になっただろうとも思う。これはクリスティーナも同意だったはずだ。恋愛脳気味な国王がクリスティーナの考えを知れば、妻に据えることは無いだろうとは予想していた。
息子の幸せと王としての役割を果たす事を両立するならば、その相手はむしろ婚約者候補として交流してきたソフィアの方が適している。
ハウゼン公爵家がこの場で婚約を発表させた以上、きっとギルバートのしそうなことは分かっていたのだろう。だからこそこれからダメ押しをするはずだ。
あと自分に出来ることは、母として、国政を担う者として、ギルバートを諌めることだろう。そして、我が子のように可愛がったクリスティーナの幸せを願うのだ。側妃は心なしか青ざめている息子を見て決意を新たにしていた。
「さて次に、これまで王太子を決めてこなかったが、此度、その資格を示したギルバートを王太子とする事に決定した。
皆も知る通り、ギルバートは数年前から次期国王に相応しい功績を多々残している。ギルバートを王太子と定めた三年半前、時を同じくしてクリスティーナ嬢とジルベルトの婚約を解消したが、様々な事情から発表を遅らせることにした。
クリスティーナ嬢には負担を掛けて申し訳なかったのだが、あえて次期王妃たる者の姿を見せ続けて欲しいと王家が願い、その責を負って貰っていたと言うのが真実である。」
これもまた驚きの事実だった。
昨夜、クリスティーナがとっくに解消されていたと話した時、その後も自分が次期王妃だと言わんばかりの姿を見せていたのは傲慢だと、声高に話す者がいたのだ。それがまさか王家の願いとは…その裏にある意図は解らぬが、令嬢を貶めていた者はしばらく冷たい視線からは逃れられないだろう。
国王の話は続く。
「さて最後に、ギルバートの婚約者は兼ねてから相応しいものを検討してきたが、此度、ダンフォード侯爵家ソフィア嬢に決定した事をここに報告する。
ソフィア嬢は王妃教育で優秀な実績を残している。二人であれば支え合い、慈しみ合い、良き国へと導く事が出来ると信じている。
婚姻に向けての行事に関しては後日発表する。」
ーーわぁぁぁぁぁっ!
歓声が会場に響き渡る。多くの者が歓迎している様子に、ダンフォード侯爵家の一同は安堵の顔で礼の姿勢を取った。ソフィアは内心、あれほど有能で人望の厚いクリスティーナの後につくのは支持が得られぬのではと心配だったのだ。
そしてギルバートをそっと伺い見る。
表には出さぬよう必死に取り繕っているようだが、近しいものには隠せない程度には落ち込んでいるようだ。
ソフィアにもギルバートの想いは伝わっていた。
それでも政略結婚である以上、ソフィアは支えるしかないと腹を括っていたため、何があっても大きな衝撃を受けることはない。幸いギルバートは横暴ではなく、王族との政略結婚を強いられる自分を気遣ってくれるほどには思いやりのある人間だ。ただ、ちょっとじめっとしているところが面倒ではある。
さて、手のかかる婚約者のフォローをどうするか…。ソフィアはさっさと頭を切り替えてその算段をつけ始めていた。王子よりよっぽど男前である。
さて、肝心のギルバートは表には出さないが、もうこれ以上ないほどに打ちひしがれていた。
まさか父親からこんな仕打ちを受けるとは思っていなかったのだ。これでもう自分にできることはない。してはならない。もし何かすれば、それはクリスティーナを大いに失望させ、もう視界にも入れてはくれぬだろうことは理解していた。けれど、理解はしても納得は出来なかった。
ーー結局、何にもさせてくれないんだ。相変わらずずるい人だ…。