王はいつも踊ってる
「さすがに一国の王の元に先触れ無しで来るのはどうかと思うんだ。先代公爵夫人。」
王の執務室へ入室し、挨拶がすんだところで様子を伺うような目で言ったのは我が国の権力の頂点にいるはずの人間だ。彼はミシェルが大層苦手のようで、脂汗をかき、ミシェルと目を合わそうとしない。
あの後、すぐにミシェルを追いかけたが、すでに御者がミシェルの餌食となってしまった所だった。
ミシェルに脅された御者が、震えながら涙目で馬を操ろうとしていたところを何とか確保し、父子はどうにかこうにかミシェルをなだめすかしつつ、国王のところへ行くのにさすがに先触れ無しはまずいと何とか説得する。
ダンは二人がミシェルを宥めている間に、早々に餌食となった可哀そうな御者を保護し、厨房でお茶を飲んでくるよう勧めた。さらに、ミシェルが我慢出来なくなる前に急いで王宮へ先触れに向かうよう他の使用人に指示を出していた。
数刻後、先触れに行かせた使用人が諾の返事を持って帰還したため、ふんすふんすと鼻息荒い母の操縦役に父を伴って三人で登城した。
三人とも相応に年は取っていても見目は麗しいままなので、三人も揃えば非常に目立つ。昨夜のことを知っている城内の使用人たちは、ハウゼン公爵一家が乗り込んできたと、そわそわする気持ちを何とか表に出さないよう抑えて、遠目にその様子を見守っていた。
彼らの案内役に訪れたのは珍しいことに侍女長だった。常に感情を表に出さない彼女は王族のための区画に入った所で人目が無いことを確認してから、申し訳なさそうな表情を浮かべ、クリスティーナを守れなかったことを謝罪し、彼女の今後を慮った。
「いや、こちらこそ色々と抑えてくれたようで助かった。感謝する。クリスティーナも礼を言っていた。後で使用人が届け物をするから、遠慮なく受け取ってやってほしい。」
「滅相もございません。
クリスティーナ様は私ども使用人にも本当におやさしくて…。あの方が嫁がれる日を一同心待ちにしておりましたが、このようなことになって…。
それでも、幼き頃から苦労していた姿を思い浮かべれば、これ以上、年若い彼女に心労を与えるのも心苦しく、せめてこれからは心穏やかに過ごして頂きたいと思い、その一助になればとただそれだけでございます。当時何もできなかった私がお礼などを受け取る資格はございません。」
「いや、クリスティーナは君を信頼していた。どうか受け取ってやってほしい。」
「…かしこまりました。ありがたく頂戴いたします。そろそろ到着いたします。私的なお声がけとなり、申し訳ありませんでした。」
侍女長は、国王の執務室の扉の前に立つ近衛騎士に話しかけ、中へのつなぎを頼んだ。
「ハウゼン公爵ご一行が到着されました。お通ししてよろしいでしょうか?」
「ああ。大丈夫だ。」
重厚感あふれる扉を開けた先には革張りのソファの応接セット。さらにその奥には国王の立派な執務机が鎮座していた。宰相であるジョルジュにとっては見慣れた風景のそれは、いつもよりなんだか張りつめているような気がする。
それはこの部屋の主である国王自身が、自分たちを迎え入れることに、いや、母ミシェルを迎え入れたことに恐怖を感じているからなのだろうと、その原因となった遠き日の国王の姿を思い浮かべた。
隣で何か獲物を見るかのような目で国王を見ている母を見て、諫めるべきかと一瞬考えたものの、その後の矛先が自身に向かうかもしれないと思えば、「面倒くさいし、いつも能天気に過ごしている陛下に対しては良い薬か」と思い直して放置することにした。
そんなジョシュアを見て、助けてくれないことを悟った国王は愕然とした表情を浮かべた。それを見て、すこし愉快な気分になってしまったあたり、自分は冷静なつもりでいたが、やっぱり相当に苛立っていたらしいと認識を改めた。
入室して一瞬で、糾弾される側とする側の、なんとも言えない空気が流れ、それに焦った国王が言ったのが冒頭の「先触れ云々」の言葉である。
国王は何とかミシェルに先制攻撃を仕掛けたかったのだろうが、心なしか青ざめた顔と額に浮かんだ汗を見れば、自分でも「なんか間違えた…」という感じはしたようだ。
ミシェルはそんな国王を見てにたりと笑い、一方の国王は少し肩を揺らした。
「ご無沙汰しております。陛下。確かに気が急いていたかも知れませんけれど…ほら、何分、ことがことでございましょう?なるべく早い方がよろしいのではと急ぎ参上いたしましたのよ?
それに、我が家にとって一番の慶事がございまして。実現にご協力いただいた陛下には早くお知らせしたかったのですわ。ほほっ。」
そういうとミシェルは息子に視線を移した。珍しく早々に手綱をくれるらしい。気が変わらないうちにとジョルジュはさっさと本題に入ることにした。
「陛下、先ほど貴族院に隣国の第三王子 テオドール殿下とクリスティーナの婚約届を提出しました。いやあ、受理されて良かったですよ。さすが陛下のサイン入りです。ありがとうございました。」
それを聞いた国王は頬を引きつらせた。
「そ、そうか…役に立って何よりだ…。それにしたって早すぎないか?」
「ほら、善は急げと申しますでしょう?二人は幼少のころには想いを通わせておりましたので、ようやく結ばれそうで一安心です。昨夜の騒ぎで横やりが入る前に娶せてやりたいという親心ですよ。ねえ?母上。」
「ええ、そうねえ。何せ、結ばれようとした二人に横やりがなんていう話はよく聞くお話ですものね。それでいて、政略結婚だからと衆目で恥をかかされるなんてことも、よくあるお話のようですし。
そんな目に可愛い孫が遭わないよう、今度こそ共に幸せになれる方と人生を過ごして欲しいのですわ。」
「そ…そうです、ね…。はは…苦労を掛けたクリスティーナ嬢が幸せになれそうで良かった…です。」
「ほほ。これも陛下のお心遣いによるものですわ。陛下には色々と感謝しておりますのよ。」
「は…はは…。」
「ああ、そういえば。
ほら、クリスティーナは今回の件で、多少とは言え傷がついたでしょう?クリスティーナに責はないのに、それを勝手に瑕疵と判断して、それを理由に自分たちでもクリスティーナを手に入れられるんじゃないかなんていう勘違いした輩が湧きそうで私とっても心配しておりますの。クリスティーナが優秀なことには変わりはありませんもの。
私の姪孫は隣国の第三とはいえ、王子ですからね。この婚約も傷物のくせに身の程知らずだとか言い出しそうな輩もいますし。心配ですわ…。真に思いあっている二人が、もう一度引き裂かれるなんて、あってはならないことだと思いませんこと?」
「そ、それは…はい。対策…させて頂きます。此度は誠に申し訳なく…。クリスティーナ嬢のご好意に甘え過ぎたとは思ってはおりまして…はい…。」
「あらいやですわ、陛下。王族、それも国王ともあろうお方がそんなに簡単に頭を下げるなんて…ねえ?ほほ。可笑しいこと。
けれどもご好意は有り難く賜りますわ。ほほほ。」
だらだらと汗をかきながら、「なんだ、儂はあと何を求められてるんだ…ああ怖いぃぃぃ」と思いながら頭をフル回転させて考える。が、何も思い浮かばなくてさらに焦る。
「それでもこれは、クリスティーナにとっても私どもにとっても、とびっきり幸せな婚約ですもの。何せ子供のころからの想いをようやく交わすことができたのですから。苦労したクリスティーナが幸せになれるということを、クリスティーナを心から心配して下さっている方にはきちんとお知らせしたほうが良いとは考えておりますのよ。ほほ。」
その言葉にふと、自分の息子である第二王子の顔が頭に浮かんだ。アレは確かに、クリスティーナを姉のように慕っていた記憶がある。ああ、そうだ。昨日から様子がおかしいアレも、クリスティーナの婚約を知ればきっと落ち着くだろう。側妃に似て仕事ができるだけでなく、優しいところがある。きっとジルベルトがやらかす前に弟として止められなかった事に後ろめたさもあるだろう。確かにクリスティーナが幸せになるのだということを皆に知らせるのはいい考えだ。
ギルバートからすれば、クリスティーナを手に入れられる可能性が完全になくなってしまう勘違いであるため非常に迷惑な話なのだが、この能天気な国王は人の機微には生憎と鈍感だ。王族でギルバートの想いに気づいていないのはこの国王だけなのだ。
「相わかった。今夜の夜会で必ず皆に伝えよう。」
「まあ。ありがとうございます。夜会で皆の驚く顔が楽しみですわ。発表までは誰にも内緒にしておいてくださいましね。貴族院の担当者にも正式な発表があるまではと口止めしていますの。おほほ。」
「ふむ。確かに驚く顔が楽しみだな。うむ。正妃や側妃、息子にも伝えないようにしよう。
して、そのクリスティーナ嬢は今日の夜会に出るのであろう?テオドール殿もこちらにいるのか?」
「いえ、二人は領地へ向かわせました。今日の夜会の内容は知っていますし、昨夜の件を考えれば居づらいだろうと思いましてね。
それに、二人が会えなかった期間は長いものでしたから、なるべくはやくその穴を埋めさせてあげたいのですよ。近々、あちらの国へ挨拶に向かわせるつもりです。」
「そうか。長いこと二人には悪いことをしてしまったようだ。済まなかったと、幸せになってくれと伝えておいてくれ。あちらの国へ行くときは教えてくれ。何か用意しよう。」
「ありがとうございます。二人も喜びます。」
うんうんと満足げに笑っている国王はこれで終わったと心中でほっと胸をなでおろしていた。
が、こんな程度で終わらせるわけがないのがミシェルなのだ。国王はそれを忘れていた。
「きっと、皆、祝福してくれるでしょうね。ふふ。今夜の夜会がとぉっても楽しみだわ。ねえ?陛下。」
ただの機嫌のいいミシェルが同意を求めるだけの言葉のはずなのになぜか背中がぞわぞわする。こういう時はよくないことが起きるということを国王も、ミシェルの息子であるジョルジュもよく知っている。ただジョルジュは今回の件でやり玉にあがることはないはずだと確信しているからこそ、余裕でいられる。
「そうだわ、陛下。私、王都に出てきたのは久しぶりですの。せっかくだから、色々とやっておきたい事もございますので、しばらく王都の屋敷に残ろうと思っておりますの。
ジョルジュは長年陛下に仕えて、休暇を頂くこともなかなかのうございましたでしょう?いい機会だから領地に戻って様子を見てもらいたいと思ってますの。クリスティーナの婚約のこともありますし、ジョルジュも隣国に顔を出しておいたほうが良いですもの。
ですから、しばらくジョルジュにお休みを頂きたいのですわ。問題ございませんわね?」
「え…っ!?そ、れは…」
「あら!?お優しい陛下が、苦労をさせた娘の幸せな結婚のために、親に何もさせないなんて言いませんわね?しかも長年陛下を支えてきた宰相にとって大切な慶事ですもの。ねえ?ジョルジュ。」
「そうだね、母上。きっと陛下はお休みを下さる。安心して。」
「は、はは…。なるべく早く帰ってきて…ね…。」
国王は自分の机の上に高く積み重なった五つほどある書類の山を視野に入れて、ついため息を吐いた。
「ああ!あと、せっかくこちらに残るのだから、クリスティーナが大層お世話になった正妃様と側妃様のお二人にもぜひご挨拶したいと考えておりますの。領地で新たに作られた質のいい化粧品もお持ちしていますわ。きっとお二人には喜んでいただけるわ。お繋ぎいただけないでしょうか?」
「え…二人に…?あのそれは……。」
「ミシェル、さすがに無理ばかりを申してはいけないぞ。」
挨拶のために口を開いてから一度も口を開かなかった父が、母を諫めるフリをした。どうやら父は父で面白がっているようだとジョルジュはその様子を何も言わずに見ていた。
「まあ。旦那様?無理だなんて…お世話になったお礼をするだけですのに。
まあ確かに、陛下のお手を煩わせる事もありませんからね。すでにクリスティーナからお二人にお目通りのお願いをさせて頂いてますの。お会いできると良いのだけれど。ほほ。楽しみだわ。
陛下、もしご都合が合えばぜひお顔を出してくださいましね?」
すでにこの大嵐は妃たちと約束を取り付けようとしている…。
何かいろいろなものが失われた気がした国王はソファに背中から倒れ込み、ずりずりと落ちていった。