公爵は踊らされる前に何とかしたい
「遅いよー。」
父が待つという応接室に入室の許可を取り、扉を開けてすぐにぶつけられた言葉にクリスティーナは若干の脱力感を覚える。
公爵である父は隣国の王女が一目ぼれしたほどに見目の良い祖父の容姿を受け継いでいるため、大変見目がいい。そして女性の中でも最も厄介で破天荒な母親をコロコロする父親を見て女性の扱いを学んだため、物腰も柔らかな紳士に育った。
若いころは大層ご婦人方やご令嬢方を骨抜きにしたらしい。いまは年を重ねそれなりの老化が見えるが、それでも見目の良さが格段に落ちるという事はなかったようだ。宰相と言う重責を負っていることから多少の疲れが見え隠れするが、むしろそれが色気のように感じてご婦人方には堪らないらしい。
外では取り繕っているため、凛々しく、頼り甲斐もある素敵な宰相様と評されるが、一歩家に入ればこの体たらくだ。
「…お父様、一応公爵で宰相なんですから、シャキッとなさいませ…。気が抜けますわ…。」
「そもそもあの母を見て、私を宰相にしようとした先代王と狸爺の気が知れないよね。まあ、私が宰相に収まったのも母上がやらかしたことの賠償みたいなものなんだけど。父上も断ってくれればいいのに。なんだかんだで母上には甘いからなあ…。息子に尻拭いさせないでほしいよね。私だって領地に居たい。」
「済んだことは致し方のないこと。おじい様とおばあ様がそういう方なのは仕方ありませんわ。
そんなことより、テオドール様をお連れしましたわ。」
「正確には僕がティナを迎えに行ったんだけどね。」
「殿下、ありがとうございます。お話はできましたか?」
「今は私的な場ですから。いつも通り、テオでいいですよ。叔父上。」
「そう?ありがとう、テオ君。さあどうぞ掛けて。」
そういうと父が一人掛け用のソファにサッと座ってしまったので、その隣にある一人掛けに座ろうとしたが、テオドールに手を引かれ、呆気にとられている隙に「君はコッチ」と二人掛けソファに座るテオドールの隣に座らされてしまう。
父はそれに面白いものを見るような目を向けている。
クリスティーナは抗議の声を上げたがテオドールにさらっと流されてしまったため、諦めてそのまま座ることにした。
「それで手ごたえはあったかい?」
「一応口説いてはみているんですがね。反応がいまいちで。」
「いえ…あの…。テオ兄さまはご結婚なされないと宣言されたと伺っておりますので、急に言われて何が何やらと…。」
「その発言は正確には、『クリスティーナ以外と結婚はしない』だったんだけど。短縮されてるね。
君を自由にするという目的もあるけど、僕は君をずっと愛しているし、あの能天気な軽石野郎の婚約者になる前に叔父上には婚約を頼んでいたんだ。だというのに能天気の元締めが横やり入れてかすめ取っていったんだよね。本当に腹立つ。
でも何となく解消されそうな予感があったし、ティナが嫌がってるのも知ってたから、僕はティナが自由になった暁には結婚したいと叔父上にずっと頼んでいた。そしてその時が来たら、君が自由に世界を見られるように準備をしてきたんだよ。」
「え…えぇ?結婚をずっと頼んで…?自由に?
…とりあえず他国の王族を貶しすぎですわ…。不敬に問われると面倒なので程々でお願いしますわ。」
フンと鼻を鳴らしたテオドールに苦笑いを返した公爵がクリスティーナに優しい声で語りかける。
「ティナ、受けてもいいし、受けなくてもいい。思う通りにしなさい。ずっと苦労させてしまったからね…。テオ君ならティナを幸せにできると思っているけど、ティナが望まないならそうする必要はない。結婚したくないなら、ずっと家に居てもいいんだ。
そもそも我が領は王族の支援がなくても十分にやっていけるような領だからね。むしろ当てにされていたのはこちらだしね。
ティナが政略結婚をする必要は、いまでもないよ。だから心から想う方と結ばれなさい。今なら特にそれが容易だ。
まだ心に想う方がいないというなら、一度領に戻るのもありだ。」
「お父様…。」
「ただ、あまり間をあけるといろいろと鬱陶しい虫が湧き出すからね。そうなる前にティナの思う未来への道筋を組み立てておきたいのは確かだ。
それにギルバート殿下がまだあきらめていないというじゃないか。また陛下が正妃様の泣き落としにかかってしまってはまずいからね。」
「そういえば、あの正妃はティナを相当気に入っていただろう?何も言われなかったのか?」
テオドールの疑問に、つい父と顔を見合わせてしまったあと、ティナは苦笑いしながらその理由を話す。
「さすがに陛下も婚約の解消を先に知らせてしまうと、正妃様…というより正妃様のご実家が面倒なことになりそうだということはわかっておられたのでしょう。正妃様にお知らせすればご実家と今でもつながっている侍女から伝わりますから。本来なら昨日重要な発表がなされる予定だったのですが、その時にお知らせすることになっていたのです。」
「重要な発表って、第二王子が立太子するっていうやつかな?」
「まあ。さすがテオ兄さま。お耳が早くていらっしゃるわ。
もともと正妃様は第一王子を立太子させる…王位につけるという野心はなかったのです。ご実家の思惑だけですわね。
正妃様は非常に…その…おおらかな方なので、ご自身が王妃の器ではないことを良くご存知でした。しかしつかざるを得なくて…そのため、自分にできないことをなさる側妃様を非常に大事にしておられましたの。ご自身の気質を受け継いだ息子もまた、王になる器がないということを良くご存知でした。よく私に『クリスティーナちゃん、あのバカ息子のせいでごめんなさいね。コレ、よく効く頭痛薬と、胃薬と、美容液。使ってね…』と気遣ってくださいました。」
「へぇ…。なら、解消された後、登城の機会が減ったらおかしく思われないか?」
「もともと王妃教育は側妃様にしていただいていましたの。それも厳しい内容のものをしていることは周知でしたので、上がらなくなったところで、相応の力を持っているのだから、教育は自宅でできる範囲にしたのだろうと思っておられたのではないかと。」
「側妃が正妃の役目を担っているのは知っていたけど、まさか王妃教育までとは思わなんだ。」
「正妃様が嫁がれる際、正妃様は『自分は王妃の資質がないから側室か妾がいい』とおっしゃったそうですが、正妃様にベタ惚れな陛下が駄々をこねられたそうです。そこで側妃様が、自身は政ができれば立場は何でも構わないとおっしゃったそうで、今の形に収まりました。
以来、陛下の寵愛を受ける係は正妃様、政務は側妃様と役割分担を。側妃様は陛下を嫌いなわけではないけれど、少しうっとう……ええと、相性が合わないと思われていたそうで、正妃様がいる事で相手をせずにすんでいるから正妃様の存在は非常にありがたいとよく仰ってましたわ。」
「そういう流れだったのか。じゃあ二人の仲はさほど悪いものではなさそうだな。身分逆転だから微妙なのかと思ってたが…。」
「ええ。むしろ非常に良好で、正妃様が側妃様を大好きなんですよ。側妃様は非常におきれいな方ですから。側妃様が引かれるくらい正妃様は側妃様が大好きです。陛下がよくやきもちを焼いていらっしゃいましたわね。
ですので、側妃様の子である第二王子が立太子することにも反対はなさらなかったと思います。実際に優秀ですし。
ただ、私が義娘にならないことへの失望感と、ご実家が面倒くさそうという話ですわ。」
「どんだけ面倒くさい実家なんだよ…。」
「まあ…あの家は伯爵家の中では格が高いほうなんだけど、領があまり広くないこともあってね。悪い人たちではないんだけど、ちょっとした劣等感と言うか…。
ああ、ティナ。はい、これ。正妃様からお詫びの品だそうだ。先ほど届いた。使者殿に様子を聞いたが、案の定、義娘にならないことを知って号泣なさって、ジルベルト殿下を殴りに行こうとしたようだ。侍女たちが必死に止めたそうだが。」
地下牢にいる息子に殴り込みしようとする怒れる正妃…。号泣は予想していたが、あのおっとりとした方がよもや殴り込み…。想像して頭が痛くなってきたのはクリスティーナだけでなく、父も同じようだ。
「そんなに執着しているなら、王に泣きつく可能性があるんじゃないか?」
「正直言えば、絶対にないとは言えない。
大好きな側妃様の息子であるギルバート殿下のことも大切にしていらしたから、ギルバート殿下の妃になれば自分の義娘も同然という思考にならないとは限らない。
実際、そんなことを言い出しそうな侍女がいたらしいが、侍女長が止めたらしい。侍女長は長年ティナのこともよく見てきたからな。娘のように思っている節もあったようだから。」
「まあ、侍女長が…。今度お礼を言わなくてはなりませんね…。正妃様へも返礼しなくては。」
何を送ろうか…侍女長はあそこの店の菓子が好きだったなと思いながら手配をニーナに頼もうとしているティナに、テオドールが待ったをかけた。
「ティナ、それはとりあえず後にして、君のことをまず考えよう。
いまの話から考えれば、今度は第二王子との婚約を持ちかけられる可能性があるだろう?そうなっては本末転倒だ。」
「昨夜、ギルバート殿下にはしっかりとお断りしましたが…。
お父様、殿下の婚約者に内定している方は確かダンフォード侯爵家のソフィア様でしたわね?王妃教育を受け始めていると伺いましたが、進捗はいかがですの?学園在学中の噂では優秀な方というのは聞いておりましたが。」
「ああ。彼女もそこそこ優秀なようだ。性格的にもギルバート殿下と合うだろう。殿下も優秀な方だから、二人で力を併せればお互いに補い合えるだろうし、国営は問題ないだろう。殿下は確かにクリスティーナに執着しておられるが、そのご令嬢との関係も悪いものではないと聞いている。何と言うかあれは…私には一種の刷り込みのようにも思えるんだ。
今夜、立太子の発表が正式になされれば、婚約者を発表することになる、が…。殿下が横暴を起こさなければいいのだが…。まあ昨日の今日で二日連続王族の恥を晒すわけにはいかないだろうし、陛下もウチを敵に回してまで約定を違えることはないだろうと思いたい…。残る不安要素は殿下だな。
ティナ、テオ君のことをどう考えている?」
二人の視線を受け、クリスティーナは目を瞑り考える。
「私は…確かにテオ兄さまが好きよ。できたら共に人生を歩みたいと思ってるわ…。でも…私は婚約を解消した傷物よ…。昨夜の騒ぎもあるし、醜聞だらけだわ。テオ兄さまにはふさわしくない……
ところでなんだか表が騒がしくありません事?」
「そういえば…。」
三人が外に視線をやると、見覚えのある立派な馬車が一台、玄関前に停まっているのが見える。御者が扉を閉めたところを見ると、すでに乗車していた人物は降りているようだ。階下から何か叫び声が聞こえてくる。
その叫び声に「なんだか聞き覚えがあるけどまさかだよね」と言う視線を三人で送りあっていると、応接室の扉が壊れそうな勢いで開かれた。
「ティーーナーーーー!
聞いたわ!!あの世間知らずな坊やたちについに鉄槌を下してやったそうじゃない!さすが私の孫娘よ!!よくやったわっ!おーっほほほ!」
後ろに頭を抱えた公爵家の筆頭執事を引き連れて、嵐がやってきた。