#3.力を欲しますか?[3]
「えらく察しがいいじゃないか、豊島隆平」
だがしかし、女子高生にフルネームで呼ばれるのは、如何ともし難い。〈さん〉を付けろよデコ助野郎、と不満を浮かべると、目の前にいる少女が眉を顰めて隆平を睨みつけた。
「デコ助野郎じゃないもん! オデコ、そこまで広くない! ほら!」
前髪を右手で上げる。たしかに、広くはなかった。隆平は心の中で非礼を詫びて、先の言葉は有名なアニメ映画の名台詞を借りただけだと説明した。
「……ふうん。まあ、許してあげる。オデコは広くないけど心は広いから、あたし」
それで、と隆平は閑話休題に本題に入った。
「ねえ。あたし、上手いこと言ったよ? ねえ? 上手いこと言ってたでしょう?」
──そうだな。
と、だけ。
自分が宙ぶらりんなこの状況が夢だとして、その夢がどうして覚めないのかを訊ねる──もちろん、心の中で思うだけだが──と、少女はすっと真顔に戻り、居住まいを正した。
「豊島隆平……さんが死ぬのは構わないけど、てか、死ぬのはもう確定してるんだけど、豊島隆平……さんが今日死ぬとは思わなかったというか、予定外だったんだよ」
──豊島さん、で。
「もう、話の腰を折らないでよ」
むくれる顔も愛嬌があるな、なんて思えば筒抜けになってしまうので、隆平は上司にどやされているときと同じように、無感情であろうと努めた。
「豊島り……さんは今日死ぬ予定じゃなかったから、今死んでしまうと問答無用で地獄行き。まあ、自殺する者は有無を言わさず地獄へと送るのが習わしではあるんだけど」
仏教だと、たしかそうだったな……隆平の記憶の中に、いつか見たテレビ番組の内容がフラッシュバックする。とどのつまり、ここにいる少女は天使ではない。デッキブラシに跨っているので、魔女っぽくはあるけれど。
「豊島さんが選べるのは二つ」
右手の人差し指と中指を立てて、ピースサインを隆平に向けた。
「一つ目は、このまま落下して地獄行きになること」
そう言って、中指を折る。
地獄に行くのは御免被りたいところだが、自殺を選んだ時点でそれが確定しているのならば、閻魔様のご判断に従わなければならない。地獄か。絵ではみたことがある隆平ではあるが、実際に行くとなると恐怖が顔を強張らせた。
「二つ目は」
──目を覚まして思いとどまり、会社に戻って辞表を出す……か。
「ぶぶー、違いますうー」
──え?
これは夢の中の出来事であると、隆平は確信していた。
それゆえに、少女の「ぶぶー」が心を騒つかせる。
「まだ夢だって思ってるの? 豊島さんはリアリストでしょう? なら、現実を受け止めなきゃ」
少女は左手を掲げ、ぱちんと鳴らした──瞬間、無音だった世界に音が戻り、重力が一気に隆平を襲う。轟音のような風の音、空気を取り込んだシャツがばたばたと暴れ、急降下。このまま落下すれば顔面着地で首の骨が折れて、頭蓋骨が砕けるに違いない。腹の底がひゅっと縮み、手足がびりびり痺れるのを感じた。
──死んだ。
と、隆平は思ったが、気がつけばまだ無音の世界にいた。目を開くと地面と鼻が付きそうな距離で、体が静止している。
「命綱無しのバンジージャンプを体験したご感想は?」
「死ぬかと思った……」
口が動かせる、と隆平は思った。
「会話をするのに、口が動かなきゃ不便かなって思ったあたしの慈悲に感謝しなきゃだよ?」
「あ、ああ……ありがとう?」
そもそも心の声を読める彼女に対して、声を発したコミュニケーションは無意味ではないのか?
「そこはほら、大切なことは声にするっていう社会人のなんちゃらってやつだよ!」
「大切なことだったら口頭ではなく、是が非でも書面で残して欲しいものだと常々思っていたけどな」
大切なことは口頭で言うべし──先輩が口を酸っぱくして言っていた社会人のマナーである。相手の目を見て言うからこそ意味があり、気持ちが伝わるからという脳筋な考え方には、どうも賛同できなかった。
隆平は高校時代、野球部でエースピッチャーをしていたが、運動部特有の脳筋的思考に従ったことは一度もない。それ以外の規則はしっかり遵守していたし、隆平なくして勝利は見込めなかったもので、監督も文句を言えなかったようだった。
「豊島さんは変なところで頑固だよね」
「そうだなあ……だから、会社にも馴染めなかったのかもしれない」
人付き合いも、そこまで得意ではなかった。大学に入り、周囲の友人たちが合コンやらなんやらで彼女をゲットしていく中、隆平はどんどん孤立して、卒業する頃には完全にぼっちであった。
就職してもそれは同じで、同期たちが一致団結している輪に馴染めず、隆平はがむしゃらにパソコンと向き合う毎日を過ごす。そうしていれば、心の平穏などどこにもなくなり、ストレスの捌け口もなく溜まっていく一方だ。上司や先輩の理不尽な説教を毎日のように受け続ければ、死にたくなるのも道理と言える。
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