表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女子高生は神ですか?  作者: 瀬野 或
#0.序章
1/3

1.力を欲しますか?


 慣れた手つきでワイシャツの第三ボタンまで開く。汗でくたびれた肌着の背中は、雑居ビルの階段を上る道中でびしょびしょになっていた。


「あっついなあ……」


 ハンカチ、とスラックスの後ろポケットに手を差し込んだが、自宅を出てから忘れきたことに気き、コンビニで購入しようと思ってそのままの足で会社に向かってしまったことを思い出す。


「ここに来る前に買えばよかったか……いや、もう関係ないな」


 少年たちのようにシャツの袖で汗を拭くわけにもいかないが、それを気にする必要もなくなった隆平は、子どもの頃にしていたように、シャツの袖部分で思いっきり汗を拭った。


「これ、絶対に跡になるやつだな。皮脂汚れってなかなか落ちないから絶対にやらないぞと思っていたのに」


 口には出さず、青空を仰ぎながら呟く。


 今日は全国的に猛暑で、ダムの貯水率が例年よりも下回ったと報道番組で専門家が言っていた。毎年のように水不足の警告がされるが、実質的な影響を受けたことはない。


「いや、去年は計画断水があったな」


 当然かのように金網に両手両足を掛け、屋上のフェンスを乗り越えると、隆平は幅三十センチ程度の足場に座り込んだ。高速道路の渋滞は、帰省ラッシュの影響だろうな。


 いやはや本当に家族がいなくてよかった、と隆平はモテないことを棚に上げて見下した。モテないとはいえ、浮ついた話がなかったわけではない。身長も高く、運動神経だけは優秀な隆平は、高校時代にそれなりだがモテたりしていた。けれど、下心丸見えの態度に幻滅され、一ヶ月続かず別れるという駄目さ加減。


 女心は秋の空、という言葉を、隆平はこのときほど強く感じていたようだったが、先の言葉は隆平が使うべき台詞ではないし、そもそも意味が違う。仮に使うのであれば、それは隆平自身が月夜の蟹だった、である。


 見た目だけで中身がない人物を指す諺だが、当時の隆平はまさしくその通りの人物だった。


「あ」


 投身自殺をする場合に限らず、外で命を絶つ場合は靴を揃えて置いておくのがマナー。


「そんなマナー講座があってたまるものか」


 落とさないように革靴を脱ぎ、それを自分の隣に揃えて置く。仕事で使う物は見栄を張ってでもいい物を使え、というのは上司の教えだ。


 よい物を使っていれば悪い物の区別がつき、更によい物が使いたくなるから仕事に身が入るという理屈。


 だが、手取り二十万ぎりぎりの生活で〈よい物〉を購入できるはずもなく、隆平のトータルコーデは三万円出してお釣りが返ってくるような安物である。


 当然、今し方脱いだ革靴も、全国チェーン店の靴屋で購入した千九百八十円の安物だ。履き慣れない革靴に足を痛めながら我慢して履いていたあの頃の初々しさは、どこにもない。


「上司の尻拭いが部下の勤め、かよ」


 先方に送ったファイルに記入漏れがあった。


 そのせいで『いい加減な仕事をする会社と共に仕事をすることはできない』と商談を破棄されたのを知ったのは、隆平が出社してすぐのこと。


 資料を作成したのは上司だったが、確認を怠ったという理由で始末書を書かされ、隆平は減給処分となった。


 昼休み。ふらっと立ち寄った路地裏で、手招きされるように雑居ビルの裏口が開いていたら入ってしまうほど、隆平は判断力を失い、屋上のフェンスを乗り越えるくらい疲れ果てていた。


 手取り二十万ぎりぎりで生活もやっとなのに、これ以上減給されれば食費を切り詰めないとやっていけない。


 とはいえ、いまでも食事は質素な物で、白米にソースをかけて食べる、たまに贅沢しても卵かけご飯が精一杯。煙草や酒も飲まず、唯一の趣味と言えば野球観戦だが、球場に赴いて観戦するわけでもなく、もっぱらテレビ中継だった。そんな切り詰めた生活を二年間我慢して続けてきたが、減給処分とあれば死の宣告をされたのと同じである。


 張り詰めた糸がぷつんと切れて、なにもかも嫌になってしまった隆平に残された希望は、死んで楽になることしかなかった。


「死ぬのって、やっぱり痛いんだろうな。痛いで済む話じゃないけど」


 遠くまで広がる都会の街並みは、夜になれば煌々と輝く。その美しさは見事なものだが、そのひとつひとつに怒りや苦しみがあることを、夜景を楽しむ人々は知らない。無論、学生だった頃は隆平だって知る由もなかったのだから、この感情は嫉妬であり、僻みかもしれない。


 ホームセンターで購入した腕時計は、休憩時間の終わりを指していた。


 今頃、上司や先輩、同僚たちが自分の噂を始める頃だろうと思った矢先に、ビジネスバッグの中で携帯電話が鳴った。


「うるせえばーか」


 隆平はバッグの中から携帯電話を取り出すと、それを思いっきり、向かいにあるビルの屋上に放り投げた。高校では野球部でピッチャーをしていた隆平にとって、目標に向けて物を投げるという行動は容易い。


 携帯電話はコール音をならしながら見事な弧を描き、向こう側に届いてただのゴミに変わった。


 今日から不定期に更新していく予定です。

(メインで書いている〝女装男子のインビジブルな恋愛事情。〟が行き詰まったら書こうと思っています)

 もし気に入って頂けたら、ブクマなどして下さると嬉しいです。


 by 瀬野 或

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ