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月明かりに照らされる中、ダレスは草むらを駆け抜けていた。カシャカシャと鎧の金属音を辺りに響かせながら。
灰緑色の肌に僅かに尖った耳、赤い眼球と口から飛び出した牙、そして豚のように突き出た鼻。醜悪としか形容出来ないこの男はハーフ・オークであった。人間とオークの間に産まれながらも、双方の社会から拒絶され、天涯孤独に生きることを強いられた悲しき種族である。
「いたか?」
「いや…ちっ、どこへ隠れやがった。忌々しいオークめ!」
草むらに身を潜め、男たちの様子を窺うダレス。
ダレスは剣闘士奴隷である。僅かな食料を得るために、敵の刃に倒れて朽ち果てるまで闘い続ける⋯そんな毎日に嫌気が差し、ついに脱走の道を選んだのだった。
(ようやく撒けたか、忌まわしい人間どもめ)
ダレスは人間を激しく憎悪していた。彼を捨てた母親も奴隷商人も人間だったからだ。
(人間とは未来永劫分かり合えぬ)
追っ手の姿がないのを確認し、ダレスは古びた建物の壁に寄りかかる。呼吸を整えつつ辺りを見回すと、小高い丘の上であることがわかった。
「ルルル~♪ 真白き翼の天使よ~♪」
(……!!)
一息ついたのも束の間、ダレスは突然聞こえてきた歌声に思わず身構えた。見上げると、バルコニーで1人の少女が美しい声を奏でていた。服装から察するに高貴な身分であることが窺えた。
(ここは貴族の別邸といったところか。それにしても何て安らぐ歌声なんだ…)
「私の胸で~♪ 眠りな~さい~♪」
ダレスは少女の歌声を聞きながら、おぼろげに残る母の追憶を辿っていた。耳元に残る暖かく柔らかな声…
「すぐに戻って来るから大人しく待っているのよ? 」
だが、幾時待てども母は戻らず、母の使いを名乗る男に拾われた。薄暗い部屋に押し込められ、家畜のような扱い方をされてようやく自分が売られたことを理解した。
(おのれ、人間め!!)
甘い歌声に危うく惑わされるところだった。目の前の少女も所詮は人間なのだ。見付かれば自分を奇異の目で見るに決まっている。ダレスは気付かれる前にその場を立ち去ることにした。