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マインドハッカー(4)

 

案内された応接室らしきところで、ふたりは由美子の弟が来るのを待っていた。


 品のいい器に煎れられた玉露がとても香ばしい。


 そう思って、何の気なく湯飲みに手を伸ばしたところを、小早川に止められた。



「目の前で煎れたとしても、俺なら出された飲み物に、安易に口をつけたりしないがね」



 あわてて手を引っ込めてから、やはり面白くないのだろう。由美子は皮肉な表情で突っかかる。



「でもあなた、この教団に危険はないって言ったじゃない」


「まあな。だが、慎重にしておいて損はない。わずかのリスクでも可能性があるなら、回避するに越したことはないだろう。それでも呑まなきゃいけないほど、のどが渇いてるわけじゃないんだから」



 言うことは筋が通っているのだが、いちいち嫌味っぽいのが癇に障る。由美子は引っ込めた手を膝に置くと、黙ってそっぽを向いた。


 と。


 応接室の扉が開く。



「お連れしました」



 案内にいた女性が入ってきた。


 その後ろには若い男が、信者の着物であろう作務衣さむえのような形の白い服を着て立っている。


 理知的な顔をしているが、表情は硬い。



「たかひろ……」



 由美子は思わず声をかけた。しかし言われた青年の方は、彼女をまったく無視して、応接室のソファに腰掛けると、小早川に向かって挑戦的な視線を送った。 受けた小早川の方は、涼しい顔で案内の女性に微笑みかける。



「席を外していただけませんか?」



 女性は一瞬、逡巡したが、黙って頭を下げると退室した。



「たかひろ!」



 由美子の声にはまったく反応を見せず、青年は黙ったまま小早川を睨んでいる。小早川も黙ったまま、ウエストにつけたバッグから小さな機械を取り出した。


 姉弟の視線が集まる中、彼は手早く機械の準備をするとスウィッチを入れる。 ヴンと小さい音がして、機械が動き出した。



「これでよし。悪いが盗聴されたくないんでね。小細工をさせてもらうよ」


「私のほうには、話すことなどありません」



 厳しい表情のまま、青年がようやく口を開く。小早川は右手をひらひらさせて、ニヤニヤと笑った。その様子が癇に障ったのか、青年は少し上気した顔で語気を強めた。



「私は両親にも姉にも、二度と会うつもりはありません。大覚様のお言葉が理解できないような愚かな人々とはね」


「高弘! なんてことを」



 叫んだ由美子を押しとどめて、小早川は言った。



「少し黙っててくれないか? 彼は少なくとも、俺とは話してくれている。今は俺に任せてくれ」



 腹立たしいことではあるが、確かに小早川の言う通りだ。理解した由美子は、激昂した心をなだめながら、力なくうなずいた。小早川もうなずくと、高弘のほうに向き直る。



「さてと。まあ、その大友かぶれは置いておいて、君に聴きたいことがある」


「大友かぶれ?」


「知らないのか? 大友克洋だよ。ジャパニメーションの金字塔、「アキラ」を描いた、日本が世界に誇る漫画家じゃないか」


「知りません。それがいったいどうしたというのです?」


「だから、その「アキラ」って漫画の中に出てくる鉄雄って言うのがさ、新興宗教じみたことをやるとき、教祖に仕立てた男の子を「大覚様」って呼ぶんだよ。それでな、この少年っていうのが……」


「くだらない漫画の話など聞きたくないですね。用がないなら、これで失礼しますよ。私は本当は、あなた方なんかに会いたくなかったんだ。大覚さまの指示じゃなければ、だれが……」



 高弘の言葉に小早川が方眉を吊り上げる。



「ほう、その大覚様とやらが、俺達に会えと?」



 高弘は失言を悔やむように顔をゆがませると、それきり黙ってしまった。



「何でだと思う? どうして大覚様は君にそんな指示を出したんだ?」


「知りませんよ。深いお考えがあるに決まってます」


「俺には、そうは思えないがね。『信者の家族が信者を取りかえしに来た』と聞いて、びびったんだろう。例のカルト教団みたいに思われたくなかったんじゃないかな?」


「俗人は、考えることが俗ですね」



 高弘の嫌味を、小早川は聞き流して続ける。



「だいたい、ここの教義からしてちと疑問だと思わないか? 天界、この世、地獄。この間にたくさんのステージがあって、それぞれ求められるものが違う。それを正しく理解して修行を積めば、死後、いや、君らの場合は死後とは限らないんだったか。とにかく次のステージへ上がれる。それを繰り返し、いずれは天界へ、てな教義だろう?」


「そのように単純なものではありませんよ」


「だが、おおむねそう言う事だろう? 要はゲームじゃないか。大覚と言う名前といい、教義の内容といい、どうも俺にはただのオタクにしか思えないんだよな。そういえば、例のカルト集団の教祖も、宇宙戦艦ヤマト見たいなことを言ってたんじゃなかったか?」


「大覚様を、そのようなものと一緒にするな! 不愉快だ! 失礼させていただく」


「まあ、待ちなよ」



 穏やかながらも、く太い声で、小早川が言った。


 成り行きを見守っていた由美子はどきりとする。


 これは……この声に覚えがある。


 思わず小早川の顔を見た。相変わらずニヤニヤと薄ら笑いを張り付かせたその表情の奥で、しかし、目だけは笑っていない。もしや……と気づいた 由美子は、思わず固唾を呑んで身構えた。



「お前らの教義は、迷える者を救ってはくれないのか? 俺の言うことが愚かだというのなら、オマエの大覚様とやらが似非えせでないことを証明して、俺を正しい道に導いてくれよ」


「断る!」


「できない、と言い換えたらどうだ?」



 怒りに燃え、言葉を失った高弘は、ぶるぶるとこぶしを握っていたが、それでもつかつかと戻ってくると、ソファにどっかりと腰を下ろした。


 洗脳外しが始まるのだろうか? 


 由美子がそう思った矢先、小早川はニヤニヤ笑いながら高弘に言った。



「そうおびえるなよ。何もとって喰おうって言うわけじゃない」



 覚えのあるセリフに、由美子の身体がふたたび硬くなる。



「いいか、あんたは別にだまされてるわけじゃない。かたくななだけだ。あんたほど優秀な頭を持った人間を、そう簡単に洗脳したり出来るわけがないからな。ただ、聞いてくれ」



 高弘は口を挟まないでうなずく。



「あんたの深層意識の中には、常に不安が付きまとっている。それが過大な期待のせいなのか、そんなことはどうでもいい」


「そんな不安はない」


「そうかい? まあ、それならそれでもいいさ。だが、はっきり言って、あんたの人格は安定していない。その自覚はあるだろう? すぐに怒ったり、冷めたり、常に不安定なんだ」


「私はまだ、修行中の身なのだ」


「そうだな。そういうことは誰にでもあることだ。しかし、そんな不安定なくせに、イヤに確固たる自信を持っている部分もある。それはなぜだと思う?」


「大覚さまの教義には、それだけの説得力があるんだ」


「まあ、それ置いておこう。俺が言いたいのは、その確固たる自信のウラにこそ、あんたが本能的に恐れたり隠したかったりしているものがあるんじゃないかと睨んでいるんだがね」


「そんなものはない」


「あんたは勉強一筋で生きてきた。こういっちゃナンだが、俺よりは確実に異性と付き合ったり、交わった経験が少ないだろう? だから、比較的簡単に、敵の目論見にハマっちまったんだな」


「なにが言いたい?」


「つまりだよ、あんた自身は覚えていないかもしれないが、俺はおぼえてないほうにチップを張ってるがね、とにかくその覚えてない空白の時間に、まあ、ありていに言っちまえばヤられてるんだ」



 あまりの言葉に、由美子も高弘も言葉を失う。



「やつはオマエを抱いた後、その記憶を消してるんだ。だが、深層心理にはそのことが残ってる。だから、無条件で信頼し、言うことすべてを鵜呑みにしちまうんだよ」


「あんた、気は確かか? そんなわけないだろう!」


「まあ、ここまで聞いたんだから、最後まで聞きなよ。とにかくだ。覚えてないったって、強烈な体験だ。単純な催眠で完全に痕跡を消せるわけもない。そいつを俺が引き出してやるよ」


「バカな」


「怖いのか?」


「バカバカしいだけだ」


「ま、いいさ。俺の声を聞け。聞くんだ。あんたには消された記憶がある。それがあんたにとって、苦しい嫌な記憶とは限らない。もしかしたら、いや、おそらくきっと幸せな記憶に違いない。俺にとってはどうでもいいことだ。だがな、聞いてるか? 問題なのは、相手がその記憶を消したってことなんだよ。いいか? あんたにとっては幸せなことかもしれない記憶を、同じく幸せに感じていると信じていた相手が、簡単に消し去ろうとした事実なんだ。まるでデリートボタンひとつでファイルを消しちまうように」



 高弘は黙ったまま、小早川の顔を見ていた。



「わかるか? 相手はあんたのことなんて、なんとも思っていないんだよ。ちょっとしたつまみ食いだったんだ。だから復讐しろって言いたいわけじゃない。ただ、人の心と身体をもてあそんで、挙句の果てに催眠で消しちまおうなんて、ひどいと思わないか? 思うだろう? 思っているはずだ」



 高弘は少し肩をすくめたが、しかし顔は真剣に小早川を見ている。



「俺の声が聞こえるな? 返事はしなくていいよ。大丈夫、俺が決着をつけてやる。あんたを助けてやる……だから、俺の声を聞け……聞くんだ……もう、まぶたを開けていなくていいんだ……」



 だんだん低く小さくなった言葉は、やがて消えるように途切れた。


 小早川はゆっくりと息を吸うと、大きくため息をついた。


 と。


 目の前の高弘が、にやりと笑った。



「どうやら、あんたの催眠は、私には効かないようだな?」



 小早川は肩をすくめて答える。



「ああ、そうだな。だが……」



 二人はそろって由美子を見た。


 由美子はソファに深く腰掛けたまま、安らかな寝息を立てていた。



「姉さんの方には効いたようだ」



 

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