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マインドハッカー(1)

 

 由美子は声をかけられないでいた。


 確かにその男は、約束に時間に約束の場所にいる。だが、どう考えてもその男が約束の人物だとは思えないのだ。しかし、彼のほかにその場所には誰もいない。


 由美子はしばらく逡巡していたが、やがて意を決すると、その男に近づいて声をかけた。



「あの……小早川さんですか?」



 大きな単車のシートに横向きに腰掛けて煙草を吸っていたその男は、気のなさそうな様子で由美子に目を向けると、ゆっくりとうなずいた。するとやはり、この男がそうなのか。


 由美子は驚きを隠して、頭を下げた。



「私、中森先生にご紹介をいただいた、高崎由美子です」


「小早川だ。何もそこまで緊張することはないよ。取って喰いやしないから」



 小早川はにっこりと微笑みながら、冗談を言う。


 その微笑に少し安心して、由美子も思わず破顔した。



「ごめんなさい。思っていたイメージと少し違ったので、戸惑ってしまって。精神科の先生だとばかり思っていたものですから」


「ああ、よく言われる。もちろん俺は精神科医じゃないよ。見ての通り、ただのチンピラさ」



 そう言う小早川の格好は、たしかにドクターには見えなかった。


 真っ白い麻のだぶだぶのズボンを少年がやるように腰で穿き、上半身はこれも真っ白い、ぴったりとしたタンクトップ。ぼさぼさの長い髪は銀色に染められ、レイバンのサングラスをかけて大きなバイクに腰掛けている。足元はサンダルのような形の黒いスニーカ。


 チンピラと評した本人の評価は、かなり正確だと言えよう。


 弟とは正反対の人種だ、と由美子は思った。



 由美子は弟のことで、ずいぶんと長いこと悩んでいた。


 彼女の弟は、両親の期待に沿うため、周りの期待に応えるため、真面目一本やりで生きてきた。そして両親もそれを当然のことと、彼を叱咤激励し応援した。


 高崎の家は代々、医者や学者などの優秀な人間を輩出してきたという矜持が、両親に子供への過度の期待を持たせたのだろう。もちろん由美子も高崎の名に恥じぬよう、優秀な成績を修めた。


 そして弟も二年前、姉の後を追って見事、最高学府に入学を決めた。


 両親や周り、由美子も喝采を送った。


 しかし、弟の心は、ずっと不安定だったのだろう。入学を境に一人暮らしを始めてわずか半年で、彼は周りの誰もが思いもよらない道を選ぶ。


 栄光の世界という、宗教団体に入信したのである。


 栄光の世界は、それほど過激な宗教団体ではない。お布施を集めることを目的とした、詐欺のような似非宗教団体ではなく、比較的真面目に宗教に取り組んでいる。


 もっとも、今のこの国にそれほど過激な宗教団体が存続できるわけもないが。


 それでも、周りの人間は、そろって眉をしかめた。


 この国の人間は、かつておきたあるカルト宗教団体の事件以来、新興宗教団体に対して過敏なほどの警戒心を持っているから、それもまあ、ある意味当たり前の反応だろう。


 しかし、すでにかなりのめりこんでいた由美子の弟は、その反応に対して怒り狂った。


 教祖様の語る真理は、実にすばらしい。どうして理解できないのだ?


 最高学府に入ることができたと言う自負、常に高い評価を得続けた誇りが、彼に周りの人間を、無知で無学な愚か者に見せたとしても、ある面では仕方なかったかもしれない。


 彼はますます宗教活動にのめりこみ、ついに先月、せっかく入った大学を休学せざる得なくなっていた。


 本人はもはや大学で学ぶことなど何もないと言い張っていたが、両親が学校に頼み込んで、休学扱いにしてもらったのである。


 両親は心労で見る見る衰えてゆく。


 たまりかねた由美子は、大学時代の恩師でもあり、最先端の精神科医でもある、中森教授に相談を持ちかけた。由美子はこの教授の元で色々なことを学んだのである。


 教授は時に父であり、時に友人であり、由美子を導き支えてくれたひとだ。そして優秀な精神科医である。弟のことを相談するには、教授以外に考えられないだろう。由美子はそう判断して、教授の元を訪れた。


 すると教授は、いつもどおりのやさしい笑顔で由美子を迎えてくれた。


 由美子はその笑顔を見て、ああ、これで安心だと、体中の緊張がほぐれる想いだった。


 教授は多忙な人であったが、それでも由美子のために、「自分は忙しくて相談に乗ってやれないが、優秀な人間を紹介する」と言ってくれたのである。由美子は紹介された人物と会うことになった。


 それが目の前の男である。



「まあ、格好は俺の趣味だし、仕事には何の関係もないから、気にしないでくれ」



 はあ、と微妙な表情でうなずいた由美子に、男はにやりと笑って言った。



「どうも、信用できない? まあ、精神科のお偉方ばかり見てたら、それも仕方ないかな」


「いえ、そんな……」


「とりあえず、話を聞く前にデモンストレーションしたほうがいいかな?」


「デモンストレーション?」


「そう、俺がどういう技術を持っているか」



 由美子は男の言っている意味が図りかねて、少し警戒しながら聞いた。



「あなた、何者? なにをしようって言うの?」



 小早川はニコニコと笑いながら答える。



「俺か? 俺はマインドハッカーだ。その力を見せるって言ってるのさ」



 由美子はつられて反射的に微笑みかけた表情を、そのまま凍りつかせた。



 

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