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第三十九話「賢者との時間」

 彼女は可愛らしい猫目を見開いて、小さな手でシュルスクの果実を持ち、柔和な笑みを浮かべ、俺の話を熱心に聞いてくれた。


「魔王の加護……きっと初代魔王は天才的な魔法能力の持ち主だったのだろう。倒した魔物を魔石化するとは! 私よりも優れた魔法能力を持つ者が居たのだな……」

「はい。初代魔王、ダリウス・イェーガーは自力でレベル130を超えるまで修行を行い、地獄の様な修行を積んで、魔物を魔石化する方法を編み出したと聞きました。魔王の家系に生まれた者は、初代魔王が編み出した魔石化の力を受け継ぎ、大陸を支配するのが一族の決まりでした」

「だがラインハルトは民を守る騎士になった。大陸の支配などはせずに……」

「はい。大陸を支配しても幸せな生活は送れませんからね」

「それはそうだろう。ラインハルトの力、幻獣の様な高等な生物から愛される人柄、これは賢者の杖を渡すに相応しい逸材かもしれん……」


 ピンク色のネグリジェを着た賢者は、シュルスクで汚れた手を何度も舐めると、そんな様子を俺が見ている事に気がついたのか、恥ずかしそうに顔を背けた。


「ラインハルトよ。時間に余裕がるのなら、私の元で修行をしないか? さっきも言ったが、この箱の中の世界での一ヶ月は、現実世界の一時間だ。この場所よりも効率良く訓練を行える場所は無いぞ」

「確かにそうですね。ここで一ヶ月間修行をしたとしても、現実の一時間後には戻れるのですから……フローラの誕生日を祝う宴は夜から開かれますし、私は現実世界では昼頃にこの箱の中に入りました」

「それなら六時間くらいは時間に余裕があるのだろう? どうかね。少しでも強くなるために、ここで訓練を積んでみては」

「宜しいのですか? 賢者様」


 賢者は俺の膝の上に乗ると、俺の顔に何度も頬ずりをした。二本の足で立っている時は人間の様に見えるが、たまに猫にしか見えない仕草をする事がある。ケットシーとは愛らしい生き物なのだな。ケットシーの賢者の元で修行をするのも良いかもしれない……。


「私の事はジルとお呼び。やっと私の力を授ける価値のある人間と出会えたんだ。この世界で六ヶ月。現実世界では六時間分の修行をしようじゃないの。今のレベルはいくつだい?」

「レベルは75です」

「それじゃ魔王の加護を使わず、強化石に頼らずにレベル100まで鍛えようじゃないの」

「レベル100ですか? 六ヶ月間でそこまで強くなれるのですか?」

「なろうと思えばなれる。死ぬ気で鍛えれば最強の騎士になれるとも。レッドストーンを手に入れたいのだろう? それも、盲目の姫と共に」

「はい! 私はフローラのために、何が何でもレッドストーンを手に入れなければならないのです!」

「古代のダンジョンを攻略しながら、レッドドラゴンと戦闘をしなければならない。それに、盲目の姫も連れてダンジョンに潜るとなると、ラインハルトのレベルが100以上なければ、生きて帰る事も出来ないだろうね」


 自分一人でダンジョンに入るならまだ簡単だが、盲目のフローラを連れて、彼女と共にダンジョンの攻略をしなければならない。想像よりも遥かに困難な冒険になるだろう……。タウロスやヴォルフの力を借りたとしても、フローラを誘導しながらダンジョンで戦闘を行わなければならないのだから。


 俺がフローラをアイゼンシュタインに待たせて、レッドドラゴンの討伐に向かう事は出来る。しかし、それではフローラは納得しないだろう。彼女も自分の力でレッドドラゴンを討つために、毎日魔法の訓練を行っているのだ。レッドドラゴンとの戦闘には参加したいと思うだろう。それに、どんな魔物が潜んでいるか分からない空間では、彼女の洞察力が非常に役に立つ。フローラは誰よりも早く周囲に潜む魔物を見つけ出す事が出来るのだから。


「ジルさん。それではこれから六ヶ月間。よろしくお願いします! 最強の騎士になるための稽古を付けて下さい!」

「うむ! 素直で宜しい。訓練は明日から行うとして、今日はそろそろ休もうじゃないの」

「そうですね。私は外でタウロスと共に休みます」

「何を言ってるんだい。ラインハルトも私の家で休みなさい」


 ジルさんがベッドに横になると、彼女は毛布を持ち上げて手招きした。まさか、恋人が居る俺がケットシーの女性と同じベッドで眠るのだろうか。これはフローラを裏切る行為ではないだろうか。


「私を女だと思う必要はないよ。私はケットシーなんだからね。それに、この体は幻影。本当の私の体は遥か昔に消滅したわ」

「そうですか。それでは失礼します」


 俺は魔装を脱ぎ、魔剣を置いてからタウロスとスライムを召喚石に戻し、ジルさんの隣に横になった。彼女は楽しそうに俺を見つめると、俺の胸に顔を埋めた。なるほど、女性と一緒に居るという感覚はまるでない。可愛らしい猫を抱いている様だ。彼女もこの世界で長い間、賢者の杖を授ける価値のある相手の訪問を待っていたのだろう。きっと寂しい思いをしてきたはずだ。ジルさんは嬉しそうに俺を顔を見上げると、恥ずかしそうに小さな手で顔を隠した。


 ジルさんのフワフワした頭を撫でていると、彼女はすぐに眠りに就いた。早くアイゼンシュタインに戻りたい気持ちはあるが、現実での六時間を、六ヶ月に変えて過ごす機会を手に入れたのだ。更に強くなるために、暫くこの世界で訓練を積もう。俺はジルさんを抱きしめながらフローラの事を思っていると、いつの間にか眠りに落ちていた……。


「ラインハルト……ラインハルト」


 柔らかい肉球が俺の頬に当たる。朝からジルさんが楽しそうに俺の顔に頬ずりをしているのだ。早朝に目を覚ますと、ジルさんは俺を抱きしめた。やはり一人でこの家に居たから寂しかったのだろう。彼女は何度も頬ずりをすると、ついに満足したのか、ベッドから飛び降りた。


 ジルさんは可愛らしく微笑むと、朝からシュルスクの果実を齧り、俺の魔剣を手に持った。まるで踊りでも踊るかの様に、魔剣を使って剣技を披露すると、俺は彼女の剣の腕前に感激した。父の様な鋭い剣ではないが、動きに無駄がなく、大胆で力強い。剣を使った戦闘も得意なのだろう。


「さて、まずは体力を付けるために、暫く森を走ろうかね」

「森で体を鍛えるんですね」

「うむ。私を背負ったまま走るんだよ」


 と言うと、ジルさんは俺の背中に抱きついた。小さな体とは裏腹に、ジルさんの体は非常に重く彼女を背負ったまま家を出ると、体中の筋肉が悲鳴を上げた。


「これって何かの魔法ですか……? 信じられない程重いんですが」

「そうよ。重力の魔法を掛けてあるからね。ただ森を走っても時間の無駄だからね」

「そうですか……」


 まるで大きな岩を背負っている様だ。一歩歩くだけでも下半身の筋肉が悲鳴を上げる。ジルさんは右手を空に向けると、空中に光の球を作った。球は空中で炸裂すると、どこからともなくレッサーデーモンが集まってきた。


「レッサーデーモンに追いつかれずに一時間走ってご覧」

「そんなの無理ですよ! 五分も持たないと思いますよ……」

「それじゃ諦めるかね? ラインハルトの姫を想う気持ちはたった五分なのかね?」

「それとこれは違いますよ!」

「いいから早く走りなさい! 強くなりたいのだろう?」


 それから俺は死ぬ気で森を駆けた。背後から襲いかかるレッサーデーモンの攻撃をかわし、ジルさんを守りながら逃げるのは非常に困難だが、『盲目の姫を守りながらレッドドラゴンと戦うよりは易しい』とジルさんに言われてからは、自然とやる気が湧いてきた。


 体中の筋肉が悲鳴を上げ、大量の汗が流れた。何度も投げ出したいと思いながら、必死に森を走った。一分が一時間の様に感じられ、足を一歩動かすだけでも体力を消耗する。そんな地獄の様な一時間を終えると、ジルさんは宙を舞うレッサーデーモンに右手を向け、小声で魔法を呟いた。上空に爆発的な熱風が吹き始めると、空には無数の炎の槍が生まれた……。

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