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第三十六話「賢者の試練」

 古ぼけた家の中に入ると、そこには一匹の猫が立っていた。不思議な事に、猫は二本の足で立っており、丁度着替えをしていたのか、下着姿の雌の猫は狼狽し、顔を赤らめて俺を見た。灰色の毛の猫は人間の様な体をしており、相手は猫だというのにも拘らず、俺は何だか恥ずかしくなって顔を背けて仕舞った。


「勝手に私の家に入って来るとは……! 全く無礼な人間だ!」

「すみません。賢者の試練の最中にこの家を見つけたので、つい入ってしまいました」

「賢者の試練? お前の様な若造が賢者を目指そうというのか?」

「いいえ、私が賢者を目指している訳ではありませんが、賢者の杖を入手したくて、試練に挑戦している最中なのです」


 当たり前の様に言葉を話す背の低い猫は、豊かな胸を手で隠すと、急いでローブを身に纏った。この生き物は魔物なのだろうか。それとも、人間以外の種族なのだろうか? 灰色の毛をした猫は古ぼけたソファに座ると、モフモフした小さな手を舐めて毛づくろいを始めた。


「それで、賢者の杖を手にして何をするつもりなのだ? 幼い人間よ」

「愛する女性に贈ろうと思っています」

「なんだと? 賢者の杖を贈り物に? そんな馬鹿な……お前は賢者の杖の価値を知っているのか?」

「いいえ、実は杖についてあまり知識がありません」

「そうじゃろう。賢者の杖は、攻撃魔法の威力を大幅に上昇させ、回復魔法の効果を倍増させる、この世で最も優れた杖だ。力の無い者が杖を使っても、幻獣を仕留められる程まで強くなれるだろう。杖の真価を発揮するには、賢者の素質を持つ者が杖を使う以外に方法はない。それで……お前さんが賢者の杖を贈りたい相手は、賢者の素質があるのかね?」

「はい。聖属性と雷属性の適性を持つ、賢者の素質を秘める女性です。アイゼンシュタイン王国の第三王女でありながら、冒険者ギルドのマスターをしています」


 身長は百三十センチ程だろうか、小さな猫は狭い部屋をゆっくりと歩きながら、何やら小声で呟いている。まさか、この猫が賢者なのだろうか? そんな事はないだろう。深い森で一人で暮らす猫か……。


「人間と話すのも久しぶりだな。私はケットシーのジル・ガウスだ」

「私はアイゼンシュタインの騎士、ラインハルト・フォン・イェーガーです」

「騎士? お主は騎士なのかね?」

「はい。国王陛下から騎士の称号を授かりました」

「ほう。騎士が賢者の杖を求めるか。愛する姫のために賢者の杖を贈り物にしようと、軽い気持ちで来たという訳かね?」

「いいえ。軽い気持ちで来た訳ではありません。杖があればレッドドラゴンとの戦闘で、生存率が上がる、勝利する可能性が生まれてくると思ったので、是非賢者の杖を入手したいと思って、試練に挑ませて頂きました」

「レッドドラゴン? 今の時代にも幻獣のレッドドラゴンに挑む者が居るのか。しかし、若き騎士よ。お前さんがレッドドラゴンを倒せる程の強さを持っているのかね? 賢者の杖を手にしたとしても、レッドドラゴンに殺されては、杖を使う機会もないだろう?」


 エメラルド色のクリクリとした目で俺を見つめながら、ケットシーは楽しそうに微笑んでいる。人間と猫の中間種なのだろうか。人間用の服を着ているが、見た目は猫にしか見えない。


「それはそうですが、私はレッドドラゴンを倒すために訓練を積んできました。そう簡単に負けるつもりはありません」

「レッドドラゴンを倒してどうするのだね?」

「レッドドラゴンが持つレッドストーンを手に入れる事が目的なのですが、レッドストーンを使って姫の目を治します。彼女は生まれつき盲目なのです……」

「ほう。盲目の姫に恋する騎士か。確かに、レッドストーンがあれば盲目程度は治せるだろう。レッドストーンとは全ての病を治癒する力を持つ魔石。魔石が割れるまでは何度も治癒の力を使う事が出来る。賢者の杖を求める理由は不純なものでは無いという訳だ」

「はい。今日は姫の、フローラの誕生日なので、贈り物に賢者の杖が必要なんです。彼女には最高の杖を使って欲しいですから」

「それでは、お主の姫に対する愛を確認させて貰おうか。私の試練に耐える事が出来れば、賢者の杖を差し上げよう」


 やはり目の前のケットシーが賢者だったのか。それにしても、自分自身を杖と共に箱に封印するとは、何故外の世界で暮らさないのだろうか。色々と謎がある人物だが、彼女の事は時間を掛けて知ってゆけば良いだろう。


「私は遥か昔に命を落としているが、この体は賢者の試練に挑戦する者と会話をするために作り上げた幻影だ。私は死後、優れた人間に賢者の杖を託すために、この様な試練の場を作り上げた。ここは箱の中の世界。この小さな世界で、杖を使うに相応しい者を待ち続けているのだ」

「今まで杖を授けた事はないのですか?」

「うむ。もう四百年は賢者の杖を持つに相応しい人物に出会えなかった。最近では試練を受ける者も居なかったから丁度退屈していたところだ。さて、最初の試練を与えようか」


 賢者は家の扉を開けると、外を指差した。外にはレッサーデーモンだろうか、全身に鎧を纏った無数の魔物の群れが待機していた。家の近くには結界が貼ってあるのか、レッサーデーモンは家に近づく事は出来ない様だ。


「この先にシュルスクの果実がある。十個ばかり取ってくるのだ」

「この先? この広い森の中で小さな果実を探すのですか?」

「そうだ。探せたら帰ってきなさい。ちなみに、外には千体以上のレッサーデーモンが居る。それ以外にも邪悪な魔物が巣食っているから、くれぐれも気をつけるのだぞ」

「千体? まさか、冗談でょう?」

「私はそんなつまらん冗談は言わんぞ。さぁ、私はシュルスクが食べたいのだ! つべこべ言わずに取ってこい!」


 賢者は小さな手で俺の背中を押すと、俺は家から締め出されてた。これが試練という訳か。一人で千体以上ものレッサーデーモンを狩り、シュルスクの果実を十個集めなければならない。果実の位置も分からなければ、敵の正確の数も不明だ。


 空を埋め尽くす程のレッサーデーモンの群れが、俺が結界の外に出る瞬間を、槍を構えて待っている。結界から出た瞬間、槍での一斉攻撃を喰らうだろう。この絶望的な状況を切り抜ける方法は無いだろうか。ヴォルフを連れてくれば良かったな……。


 使用出来る魔力も限られている。森の中で魔力が枯渇すれば、たちまちレッサーデーモンの餌食になるだろう。敵は俺よりも遥かに弱いが、数があまりにも多い。せめて仲間が居れば良いのだが……。


 タウロスを召喚して手伝って貰おうか。レッサーデーモンを狩り、召喚石を集めて仲間を増やし、敵を駆逐する。俺は魔王の加護を持っているのだから、敵を狩れば低確率で召喚石を入手出来る。まずはタウロスを召喚する前に、自力でレッサーデーモンを狩ろうか。


 賢者は扉の隙間から俺を見つめると、早く結界から出ろと言わんばかりに手を振った。魔剣を握り締め、精神を集中させてから結界の外に飛び出した。無数の黒い魔物の群れが一斉に槍での攻撃を仕掛けて来た瞬間、俺は魔剣に魔力を込めて振り下ろした。


『ソニックブロー!』


 魔力を温存するために、威力を控えて魔法を放った。赤い魔力から作られた巨大な刃が、一撃で五十体以上のレッサーデーモンを切り裂くと、空にはいつくもの魔石が舞った。それから魔物の群れは怒り狂って攻撃を仕掛けて来た。俺は咄嗟に後退して結界に入ろうとすると、結界が俺の体を弾いた。一度外に出れば、目的を達成するまでは戻れない仕組みになっているのだろう。


 魔剣よりもリーチが長い無数の槍の攻撃を魔剣で防ぐ事は困難で、俺は次々と繰り出される槍の攻撃を魔剣で受けているが、体力は徐々に減り始め、腕と肩の筋肉は悲鳴を上げた。敵の攻撃を全て受け切れる事もなく、防御に失敗した攻撃は容赦なく魔装を貫く。


 この場に居るレッサーデーモンは、アイゼンシュタインに居たレッサーデーモンよりも遥かに強く、軽々と魔装を貫く力を持っている。激痛に堪えながら森の中を走り、地面に落ちた無数の魔石の中から、召喚石を探して逃げまとう。


 逃げるだけでも精一杯で、頭上からは雨の様に槍が降り注いでくる。動きを止めた瞬間が最後。無数の槍が俺の体を貫くだろう。魔剣でレッサーデーモンを切り裂きながら、敵の攻撃を回避し、地面に落ちている魔石の中から召喚石を探そう……。

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