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短編

よくある話。

作者: 唐子

似非大正明治時代風味。


 


「愛している」


 『嘘ね』

 電光石火のごとく脳裏に浮かんだ言葉を、笑顔で押し隠した。自分の面の皮の厚さに呆れる。


「ありがたく存じます。うれしいです」


 咄嗟にこんな言葉まで吐き出せるのだから、わたくしも大概噓吐きだ。






 旦那様の世迷言を聞いたのは、暦の上では休日の、午後のことでした。


 仕事がようやく落ち着いたという旦那様は、本当に珍しく家にいらして、居間で静かに読書などされていて。

 わたくしも家事を終わらせ、旦那様にお茶などさしあげたら、部屋に下がってやりかけの繕いものでもしてしまおうと考えていました。さしだした湯呑が一つなのを、旦那様がいぶかしく思われるまでは。

 あれよあれよと流されて、長椅子に並んで腰掛け、お茶をすする破目に。その最中に、言われたのです。


 旦那様は。

 昔気質と言いますか、いわゆる背中で語る男性でして、浮ついた言葉など、婚約期間から思いだしても記憶にないほどにお堅い、真面目な方です。


 それが、そのような方が、まさかの「愛してる」。


 正直申し上げて、不審しかないです。


 旦那様は、ほんの少しだけ目元を和らげて、お茶をすすります。一見穏やかな沈黙の中、わたくしはめまぐるしく頭の中で考えました。


「実家に、帰らせていただきたいのですが」

「構わん」


 できる限り常と変わらない様子を心がけて切り出せば、旦那様は気にすることもなく呆気ないほどに許可をくださいました。

 普段から実家へはよく足を向けているので、そこに疑う余地はないのでしょう。

 それとも、わたくしが旦那様にたてつくなど、思いもよらないといったところでしょうか。礼を言えば鷹揚にうなづき返されました。


「旦那様。最近、姉にはお会いになられましたか?」

「少し前に会ったな。昼飯を奢れと、役所に来た」

「まぁ。姉が、申し訳ございません」

「あれの突飛な行動には慣れている」

「何を召し上がられましたの?」

「最近できた洋食屋に連れて行かれた。まだまだ、女性一人で外食するには、世間が厳しい」

「それは、そうですわね。まず、良家の子女は、一人で出歩かないよう躾けられておりますもの」

「それもあるが、あれは、向こうでも終始活動的だったから、それに慣れたのだろう。まぁ、身内だしな」


 ほんの少し、口元に刷かれた微笑。終始真顔の鉄面皮さんには珍しい、表情。


 ああ、もう、駄目だわ。


 駄目なのだわ、と、すとんと胸に落ちて参りました。

 お茶を淹れかえるという口実で席を立ち、水屋の卓に手をついて、崩れ落ちそうになる膝を叱咤しました。無様な真似は、わたくし自身が許せません。



 姉は。

 突飛な行動をすると、笑われる、姉は。


 もともと、旦那様の、正式な婚約者でした。


 生まれから決まっていた許嫁でした。

 姉が十五、旦那様が二十二で破談になるまで、なんの過不足なく、内裏雛のようにしっくりと嵌った、お似合いのおふたりでした。

 旦那様が留学のため洋行し、それに姉が追行してしまっても、周囲ははしたなさより微笑ましさを覚える。そんなおふたりでした。


 思えば、この洋行がいけませんでした。

 今間に合えば、すがってでも姉を止めたでしょう。


 姉は、婚約破棄を願うために、旦那様を追い掛けたのです。


 旦那様は、姉の願いを聞き入れました。


 しかし婚約は家のものでした。

 我が家と旦那様の家が縁付くことは、決定してもう動かないことだったのです。


 そこで、妹であるわたくしに、話は転がり込んできました。


 旦那様も、姉も、当事者がいないこの日の本で、わたくしは旦那様の許嫁になりました。十三になる年のことです。


 姉は、そのまま異国の地に住みつき、いつのまにか音楽院に留学という体裁になっておりました。


 旦那様は、もう婚約者でもない姉を、なにくれと支えてくれていたと聞き及んでおります。婚約はなくなっても、幼いころからの仲だから、と。


 わたくしは、そのころ女学校に通いながら、いずれ婚家となる旦那様の御実家で、花嫁修業にあけくれておりました。


 奥様は、厳しくもお優しい方でした。御当主様は、鷹揚で懐の大きな方でした。


 家格も身分も、旦那様のお家の方が高いのです。我が家は婚約して『いただいている』、乙の家なのです。

 にもかかわらず、破棄を突きつけた姉は、旦那様のお家の体面に泥を塗りつけたも同義。

 怒られるだけならまだしも、制裁を加えられても文句も言えない。それだけのことを、しでかしたのです。


 それなのに、面子をつぶされた御当主様も奥様も、責めるどころか、労わりと愛情をもって、わたくしに接してくださいました。


 旦那様の留学期間が延び、女学校の卒業後の身の振り方を思い悩むわたくしに、上の女学校への進学と援助を勧めてくださったほどに、お優しい方々でした。

 平凡なわたくしが、優秀だった姉ほどの成果を上げなくても微笑んでくださる、お優しい方々でした。


 旦那様は、姉と一緒に、帰国いたしました。


 わたくしが女学校を卒業してから婚姻を結び、約一年。

 長かったのでしょうか、短かったのでしょうか。

 でも、わたくしが疲れ果ててしまうのに十分な時間だったと思います。



 旦那様から、姉の影が消えない。


 もともと睦まじい二人だったのです。

 でも許嫁時代より、留学期間を経た今の方が、以前よりずっと気安くあけすけな仲に見えるのは、わたくしだけではありませんでした。


 方々から寄せられる目撃情報。

 曰く、カフェーでの逢引、デパートメントで寄り添う姿、舞台劇に連れ立つ様子、公園で笑い並び歩く状況……。

 それらに含まれる好奇心、邪推、憶測、下世話な勘繰り。


 生来、わたくしは注目を浴びることに慣れていないのです。

 人の目はすべて姉が持っていき、わたくしはその影に隠れることに満足していました。

 ですから、この悪い意味での衆目の集め方は、ほとほとわたくしを疲弊させたのです。


 仕事を理由に、この一年ほとんど家に寄りつかなかった旦那様。

 その旦那様に、ちょくちょくお会いになっている姉。


 そもそも、旦那様のお考えが、わたくしにはわからないのです。


 物心ついた時から、姉の許嫁だった方です。


 いずれ義兄になる方と、慕わしく思ってはいましたが、それは旦那様も同じでしょう。

 いずれ義妹になると、折につけ気にかけていただいてはおりました。ですが、それだけです。


 忙しさを理由に家を空け、ほとんど会話もなかったこの一年。

 旦那様が寝に帰るだけのこの家で、わたくしがどんな思いでいたか。


 どうして旦那様は、わたくしと結婚すると、決意したのか。


 わたくしには、旦那様のお考えが、わからない。

 なぜ、姉では駄目だったのか。

 なぜ、わたくしといるはずの時間で姉と会うのか。

 もしかしたら、これが旦那様なりの制裁なのか。それなら。


 なぜ、「あいしている」などと今更。



 すっと頬を冷たさが走り、わたくしは、自分が泣いているのだと自覚しました。

 涙が出るほどには、旦那様をお慕いしてると、それも含めて自覚しました。


 袷から出した手巾で涙を拭きます。泣いても大して変わらない顔は、こういうとき便利です。


 水屋の窓の向こうに透き通った春の空が見えました。どこからかハラハラ舞う桜の花弁が、開いた窓から入り込みます。




 わたくしは悟りました。

 もう、この婚姻は、終わりなのだと。




 正直、奥様と御当主様を失望させることだけが、心から悩ましいばかりです。









わたくし:姉の代理で結婚した人。元子爵令嬢。

旦那様:姉に婚約破棄されて妹と結婚した人。役人で次期伯爵。


このあと実家帰ったっきり戻ってこない嫁にあわてふためく旦那様がいる。


続けられたらその時に名前を考えます。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 短編なら完結させましょうよ(苦笑)。 [一言]  とりあえず。姉と一緒にいたのは本当に旦那だったんですか?  実は旦那の腹違いの兄弟だったりしません?
[気になる点] だから完結してない物語を短編で上げるのやめません? 続きが書けたらって続き前提ならそもそも短編ですらないし
[一言] 是非続きをお願いします。 この後どうなるのか、気になって気になって。
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