ろく ろくしちしじゅうはち
朝休み。時は流れ日は進み、15日になった。明日は桧原くんたちとカラオケだ。うぅ、不安だなあ……。
って、私、全然カナくんって呼べてないじゃん! 約束した意味ないなあー……。
机に頭を乗せてため息をつく。そのとき瞳に映ったのは、楽しそうに話すひ、じゃない、カナくんと尾川くんの姿だった。
「えー……と、六かける七?」
カナくんがちょこんと首を傾げながら、尾川くんに尋ねる。すると尾川くんは、
「そう、六かける七」
と、頷いた。するとカナくんは少し悩んでから、答える。
「えっと、48」
「は?」
尾川くんが眉を寄せて低い声で言った。私も、思わず「え?」と言ってしまいそうになる。
6×7=48……? 違う違う!
「……カナ、俺はお前は天然なところがいいと思ってるよ」
私が勝手に脳内で話に割り込んでいると、尾川くんがそう言った。呆れたような声。
たしかに、カナくんのいいところはそういうちょっとずれたところなんだよね。あれ、私もしかして尾川くんと気が合うのかな?
「え、なんだよ隆夜」
「でも、六かける七が48だと思っているような高校生はちょっとやばいと思うぞ」
うんうん、と心の中で同意する。たしかに、かけ算ができない高校生はちょっとやばいと思う。六かける七は42です。
「え? ……あ、ほんとだ」
「今気づいた!?」
いちにぃさん……と指を折って数えるカナくん。それで42までいくのは大変だと思うけど。
「バカじゃねえの、お前」
「うるさい」
それにしても、は? と言われたところで間違ったということに気づかないとは、彼はやっぱり天然なんだと思う。でも、そういうところも、かわいいなぁ。
すると、甲高い女の子の声が聞こえてきた。
「かーな! 数学やってんの?」
ぱっちりした目をカナくんに向けて声をかけたのは、誰であろう廣山さん。今日も綺麗なポニーテールだ。
「そう。これ、塾の宿題なんだけど、全然わかんねーんだよ。廣山、教えてくれる?」
「えー? なになに、これはねー……」
一緒に一つの問題集を見るものだから、顔をすごく近づけている。うわあぁ……う、羨ましい。
すると、視線に気づいたのか尾川くんがこっちを見た。目があってびっくりした私は、慌てて顔を背ける。でも、彼をごまかすことはできなかった。
尾川くんはゆっくりとこっちに近づいてきて、静かに声をかけてきた。
「佐野さん」
「うっ、お、尾川くん。な、に?」
なにを言われるのかとびくびくしていると、尾川くんは不敵な笑みを浮かべた。
「佐野さんに協力しようか?」
「……え?」
協力。それが、私の恋についてだということに私が気がつくのは、それから約十秒後のことでした。
「というわけなんだよ瑞樹ちゃん!」
「頑張れ~」
「応援する気ないよね!? それ、棒読みだよね!?」
昼休みになり、尾川くんとのことを瑞樹ちゃんに話したところこんな感じ。誰か真面目に話聞いてくれる人はいないかなぁ……。
「ま、協力しようかって言ってくれてんだから、してもらえば? あたしはカラオケ誘われてないから助けられないし」
「うぅ……」
なんで瑞樹ちゃん、こんなに言うこと厳しくなってるの? 元の性格はこんなのだったってこと? ちょっとだけだけど、怖い。
……なんか、イメージと違うなあ。
後ろを向いて椅子に座る私は、瑞樹ちゃんに「行儀悪い」と叱られてしまった。そうなのかな?
でも、行儀悪い女の子なんて好かれないよね。ちゃんと椅子を後ろに向けて座ろう。
それにしても、瑞樹ちゃんってほんとすごい。恋愛上級者? って疑いたくなるくらいいろいろ詳しいし、私にもカナくんのことを教えてくれる。瑞樹ちゃんと友達になれてよかった。
……っあ、利用価値とか、そんなんじゃなくってね!?
「ゆっきーならきっと大丈夫だよ。桧原もゆっきーのこと気に入ってるみたいだし。少なくとも、あいつは嫌いな人をわざわざ呼び出して謝ったりなんかしないよ」
「そ、そうなのかな!?」
よかったぁ……。少なくとも、嫌われてはいないってことだね。
私は安心して、ほっと息を吐いた。まだ少し寒くて指先が冷たいので、息を吹きかける。それを見た瑞樹ちゃんは何か微笑ましいものでも見るかのようににっこりと笑みを浮かべていた。
「そうだよ。きっと桧原は――――」
そう言いかけて、瑞樹ちゃんは口を閉じた。言いにくそうにして、ぎゅっと両手を握りしめている。
彼女の複雑そうな顔を見ると、私は何か気の利いたことを言おうと思ったけど、そんな言葉はぱっとうかばなかった。
でも、それ以上に、瑞樹ちゃんの言いかけた言葉の続きが気になって仕方なかった。
カナくんは、なに……?
聞こうと思ってけど、瑞樹ちゃんが作り笑いをしているのを見て、やめようと思った。今は多分、聞いたらいけない。そんな感じがしたんだ。
「ごめん、気分悪いよね。でも、今は言えないの。ほんと、ごめん」
申し訳なさそうに言う瑞樹ちゃんに、私はぶんぶん首を振った。
「そんなことないよ! 気にしないで。聞かないから」
「うん……ごめんね」
瑞樹ちゃんがあまりにもしおらしく謝るから、こっちが申し訳なくなってしまう。なんか、瑞樹ちゃんかわいいなぁ。
「気にしないで! その代わり……その、協力して、ね?」
恥ずかしかったから遠慮がちに言ったけど、多分伝わったはず。
案の定、瑞樹ちゃんはぱちぱちと瞬きをしたあと、はっと気づいたみたいだった。
「……あ! うん!」
彼女はこくこくうなずいてにっこり笑った。ふわあぁ、天使……! カナくんももちろんだけど、瑞樹ちゃんもかわいい!
「それじゃあ、その、お願いします!」
「もっちろん! あたしに任せてよ!」
自信満々な瑞樹ちゃんを見ていると、こっちまで自信が湧いてくる。やっぱり、なんか瑞樹ちゃんは不思議な子だなぁ……。
というわけで、瑞樹ちゃんにも協力してもらうことになりました!
一人じゃないって、心強いよね。私は、一人より大勢でいる方が好き。だって、あたたかいから。
みんなのぬくもりを、感じられるから。
「おー、なるほど! さすが廣山だな。頭イイ!」
そう言ったのは、カナくん。やっぱり、廣山さんと仲良いのかな。また話してる。
「なんだよカナ、俺は頭よくないって言いたいのか?」
「へ? っあ、そんなんじゃねー……って、痛え! やめろ隆夜!」
廣山さんを褒めたカナくんは、尾川くんに頭をごりごりされていた。あー、痛そう。
でも、楽しそうでいいなぁ。
私はその光景を見て、思わず笑ってしまった。
「ちょっ、痛っ、痛いから! 離せってもう!」
カナくんは尾川くんを引きはがすようにして離れると、盛大にため息をついた。尾川くんの方は楽しそうに笑っている。楽しんでるなあ。
対して廣山さんは、それを微笑ましいと言わんばかりの穏やかな笑顔を見せていた。えっ、誰あの人! 廣山さんのあんな顔見たことないよ! なにあの穏やかすぎる顔!
私の前ではいっつも眉間にしわ寄せて目を吊り上げてこっち睨みつけてるくせに。これだから女子怖い。男子の前でいい子ぶる女子ほんと怖い。
「もー、カナはほんとに尾川にいじられるよねー」
彼女のその一言で、私はあれ? と首を傾げた。
そういえばさっきも廣山さんはカナくんのことをカナと呼んでいた。けど、カナくんは廣山って呼んでる。廣山さん、勝手に呼び捨てで呼んでるのかな?
「あ、佐野さんちょっと来てー」
カナくんは、確かにそう言った。佐野さん、と。
「な、なに?」
声が震える。約束、なんだったの?
確かに、約束してからゆきって呼ばれたことはほとんどないけど、でも、なんで?
「カラオケのこと。12時にアレクで集合して昼食べて、そこからボワール・サクス行ってフリータイムでカラオケして、6時解散でいい?」
「あ、うん!」
アレクというのはハンバーガーショップ。ボワール・サクスのすぐ近くにある。
ボワール・サクス自体も中でいろいろ食べられるんだけど、あそこの中は高くて、高校生にはつらい。だから、だいたいカラオケに行くときはアレクで食べてから行くのが基本だったりする。
「じゃ、それで決まり」
カナくんはそう言って笑ったあと、不意に私の顔をじっと見つめだした。な、なにかついてる?
「佐野さん、顔色悪くない?」
「え?」
そんなことはないはず。朝だって鏡見てきたけど、顔色は別に悪くなかった。なんでだろう。
「だ、大丈夫! 今日、早く寝るから」
「……なら、いいけど」
カナくんは少し不満そうにもごもごつぶやいた。うっ、か、かわいい。これは、大ダメージです。かわいすぎて罪です。
「明日楽しみだねー!」
廣山さんが、頭がキンキンしてきそうな高い声で叫ぶ。う、うるさい……。廣山さん、テンション高すぎだよ。
「廣山、うるさい」
そう言ったのは尾川くん。あれ、なんか意外かも。尾川くんってこんな人だったっけ……?
なんか、女子にはキツく言えないタイプだと思い込んでたけど、そうじゃないみたいだなあ。人間、見かけにはよらないものです。
と言っても、尾川くんはどちらかというとキツそうなタイプに見える。少なくとも、カナくんのようなほんわかしたかわいい系の男の子ではない。
……って、なんか今更だけどカナくんって呼ぶことに抵抗がっ! そういえば、さっき私、桧原くん(なんとなく恥ずかしくなった)に佐野さんって呼ばれたよね。ほんとに、突然どうしたんだろう?
そもそも、本当に私は桧原くんくんに下の名前呼びを許可されたのかな? 夢だったりして……。考えるだけでも恐ろしい!
「佐野さん、ほんとに大丈夫?」
「ふああああ!?」
桧原くんに突然声をかけられて驚いた私はとっさに飛びのいていた。び、びっくりした……。
「ご、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど」
彼は申し訳なさそうに謝ると、おもむろに私の方に手を伸ばした。ぽす、というかわいい音がする。
頭に、私の頭に、桧原くんの手が乗っている――――!?
突然すぎる展開に私の頭はついていけなかった。理性がぶっ飛んでしまっていた。
くしゃくしゃと頭を撫でられる。なに、この、状況。
この状況でなんとか働かせた頭の中で思ったのは、朝早く起きて整えた髪がぐちゃぐちゃになっちゃうかもしれないなあということだけだった。
*
後世の人にはこう伝えるとしよう。桧原奏音くんは、罪の塊のような存在であったと。
*
「ななっ、ななな、何やってるんですか!?」
「あ、ごめん。こうしたら驚きが少しは収まるかと思って」
どんな思考なの、それは! 普通頭なんか撫でられたら驚きが収まるどころか恥ずかしさで死ねるよ!
はにかむ桧原くんを薄目で眺める私。
……将来、桧原くんはある意味結婚詐欺師にでもなってしまいそうです。恐ろしや。
というか、背伸びしないと頭撫でられない桧原くんがめちゃくちゃかわいいです。
優樹菜です。明日が来なかったらいいのにと思っています。