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誰にも邪魔させない、私たちの青春。  作者: 青木ユイ
第一章 2016年度 高校一年生
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ご ごつぶの涙

 今日一日、私は桧原くんに無視され続けてしまった。

 ひどいとは思わなかった。思えなかった。調子に乗っていた私が悪かったんだから。

 でも、突然の冷たい態度には正直傷ついた。自分の存在を否定されたみたいで、怖かった。

 それでも私は、今も桧原くんのことが好き。この気持ちはきっとこれからも変わらないし、変えようともしない。素直に生きていたいから。

 私は、自分を否定しないって決めたんだ。



 入学三日目。

 朝学校に来て教室のドアを開けたところに、桧原くんが立っていた。なんでこんなにタイミングが悪いんだろう。

 私はうつむいて、顔を合わせないようにした。そして、走り出す。すぐに自分の席について、かばんをおろした。

 自分が怖くてたまらなかった。私、桧原くんを、無視した……。

 彼の顔を私は見ていなかったけれど、どんな顔をしていたのかな。

 桧原くんの気持ちを考えているとだんだん目の奥が熱くなってきた。我慢できなくなって、一粒、涙を零す。

 ああ、私、桧原くんのことが本当に好き。もう、こんなの嫌なのに。

 涙は、もう一粒落ちてきた。


「おーい、佐野さーん」

「ひっ!?」


 目の前に顔があった。私は思わず後ろに飛び退き、慌てて目元を手の甲でこする。

 相手の顔をまじまじと見ると、それは桧原くんの友達、尾川くんだった。


「お、尾川くん。どうしたの?」


 そう尋ねると、彼は言いにくそうにしてしばらく考えたあと、「ちょっと来て」と私の手首を引っ張った。

 このシチュエーション……。昨日のこと、入学式のこと。いろいろ思い出しそうで、怖かった。


 連れて来られたのは、英語少人数教室の前。なんでここに連れてくるんだろう……。人が少ないからかな?


「それで、なにか?」

「あー……。カナのことなんだけどさ」


 カナ。その言葉を聞いた途端、鼓動が早まった気がした。耳の奥でドクドク言っていて、尾川くんにも聞こえてるんじゃないかってくらいだ。

 頭の中がおかしくなりそうなほど、心臓は高鳴っていた。


「カナ、昨日からずっと元気ないんだよ。教室の中では明るく振る舞ってるけど、あれ、絶対無理してるし。でも、俺が聞いても大丈夫だって言って、教えてくれねーんだよな。だから、佐野さん。カナに聞いてくれないかな?」

「……え、でも、」


 私は返答につまった。

 元気がないのは、私のせいなのだろう。それなら、私が訊いたってきっと無視されちゃう。そんなの――――。


「頼む! カナ、佐野さんに気を許してるところ、絶対あるから。だからきっと、教えてくれると思う」

「わ、私っ……私は、無理だよ!」


 手を合わせて懇願してくる尾川くんに、私はそう告げた。

 無理なんだよ。目も合わせてくれないのに。尾川くんに話せないこと、私に話してくれるはずがない。

 それに、気を許してるところなんてないよ。私より、廣山さんとの方がきっと仲良い。


「私より、廣山さんに頼んだらいいんじゃないかな! 廣山さん、桧原くんと仲良いみたいだし!」


 自分でも、なにを言っているのかよくわからなかった。叫んだあと、自分の言ったことが無責任だと思った。


「……ごめんなさい」


 頭を下げて静かに謝ると、尾川くんはため息をついた。わかってねえなあ、と。


「カナと廣山の、どこが仲良いと思ってんの。廣山より、佐野さんの方が俺はずっといいって思ってるけど」

「う、えっ、あの」

「だから、カナは! ……佐野さんにしか話せないことが、あるんだよ」


 そう言う尾川くんの目は、悲しそうだった。きっと私のせい。

 尾川くんの方がずっと桧原くんと一緒にいるのに、なんで私にしか話せないことがあるの? 私と桧原くんは、まだ出会って三日なのに。

 でも、きっと、一緒にいる時間なんて関係なくて。私はきっと桧原くんのことがこれからもずっと好きで。

だから。


「私に、できることなら、する」


 もう逃げないって決めた。私にできることがあるなら、それを私がする。

 尾川くんは、笑った。


「佐野さんなら、言ってくれると思ってた」


 期待されてた。

 なんて、そんなことをのんきに考えてしまう。

 そう、のんきだった。私は。



 尾川くんと教室に戻ると、一気に視線が私たちの方に向いた。尾川なにやってんだよ、と男の子の声がする。

 それに続いて、口々になにか言い始めた。尾川くんをからかったりしている。一瞬なんでかわからなかったけど、私といたからなんだってことに気づいた。


 視線の中に、桧原くんのものはなかった。私と尾川くんを交互に見つめている廣山さんと、楽しそうに話している。やっぱり、私の出番なんかないよ。廣山さんの方が、きっと――――。

 そう考えていた時、ふと尾川くんの声が聞こえた。


『佐野さんにしか話せないことがあるって、言っただろ』


 目を丸くして尾川くんの方を振り返る。私と目が合うと、彼は微笑んだ。私はうなずく。


(いいんだ、これで)


 私はもう、気づいていた。桧原くんが、こっちを見ていることに。


「桧原くん」

「……なに?」


 至って普通の声。でも、少しだけ桧原くんの声は震えていた。

 彼の向かいに座る廣山さんの視線が刺さった。痛い。なんであんたがここにいるのよ、というような声が聞こえてきそうだった。

 もう中学生の時みたいなことにはなりたくない。でも、今私は本気だから。本気で、桧原くんのこと好きだから。


「ちょっと、話そう」


 私が教室のドアに向かって歩き出すと、後ろを桧原くんがついてきた。

 後ろから、誰のものなのか舌打ちが聞こえてきた。



 英語少人数の前。自動的に、私の足はここに連れてきた。

 人が通らないっていうのもあるし、入り組んだ場所にあるから人に見られにくいというのもある。それから、薄暗いから、大事な話をするにはいい感じの場所だったりする。

 ……というのは、今思っただけなんだけど。


「あの、さ」


 歯切れの悪い切り出し方に、私は自分を恨みたくなった。なんでこんな時に噛みそうになるの、ばか。


「ごめん」


 桧原くんは、うつむいたままつぶやいた。私は、びっくりして彼を見つめる。


「あの、私は、」

「ほんとごめん!」


 言い訳をしようとする私の言葉を、桧原くんは遮って言う。なんで謝られているのかはなんとなく察していたけど、でも、私だって同じだから。そう思っていた。

 でも、違った。


「俺さ、廣山に相談したんだよ。どうやったら、佐野さんと仲直りできるかなって。そしたら、無視してみたらヤキモチ焼いてくれるんじゃないかって言うから、それで、その、してみた」


 私の中の何かが、崩れていく。

 無言の私に、桧原くんは頭を下げながら謝った。


「ご、ごめん! あの、俺もおかしいって思ってたんだよ! 無視して仲直りできるのかなって不思議だったんだよ! でも、その、女子の廣山が言うんだから、そうなのかなって」


 決まり悪そうに言う桧原くんの言葉は、私の耳にほとんど入ってこなかった。確かに聞き取れたのは、廣山さんの名前。彼女のしたいことは十分わかった。私と桧原くんを引き離したかったんだ。だから、嘘ついて、桧原くん騙してた。

 私が嫌いならはっきり言ってくれればいいのに。なんで桧原くんを、好きな人を騙すような真似するの?


「俺が間違ってた。だからっ、ほんとごめん!」


(何度も謝らなくてもいいのに……)


 私は、謝り倒す桧原くんを見てそう思った。でも、声に出すことは叶わなかった。

 大丈夫だよ、ありがとう。

 それだけでいいのに、声が出てこなかった。


「俺さ、佐野さんと気が合ってると思ってる。だから、その、これからも仲良くしてくれると嬉しい……です」


 桧原くんは少しだけ頬を赤くして、右手を差し出した。これは、なに?


「……えっ、と」

「あ。え、仲直りだから、握手かと」


 彼は動揺しながら口にする。

 握手なんて、男の子としたのは幼稚園の時くらいだ。それからは多分、していないはず。


「う、あ、あの」


 どうしようかと迷っていたら、無理やり右手をとられて握手させられた。顔を上げると、満足そうに笑う桧原くんの姿があった。


(まあ、いいかな)


 笑顔の彼を見たら、何も言えなくなってしまう私だった。



 そんなわけで仲直りを果たした私たちは、教室に戻ることにした。これから英語少人数教室に行く時は、絶対に迷わない自信がある。

 英語少人数も私たちの教室も四階なんだけど、北館と南館に別れているから、渡り廊下を通らないといけない。しかもその渡り廊下は吹き抜けみたいになっていて、この廊下を囲うものは屋根と肘あたりまでのフェンスのようなものしかないから、風が吹くと寒い。雨の日とかは、雨水が吹き込んで水たまりがいっぱいできてしまいそうだ。

 その渡り廊下を二人で歩いていると、桧原くんが思い出したように「あ」と声をあげた。


「そうだ、佐野さん」

「は、はい」


 緊張しながら答えると、笑われた。ひどい。


「桧原くんっていうの、なんか遠い気がするからさ。普通に下の名前で呼んでくれていいよって言いたかっただけなんだけど」

「え、えぇー」


 私はわざとらしく驚いたような声を漏らす。それを聞いた桧原くんはまた笑った。……ひどい。


「ごめんごめん。かわいかったから、つい。それで、いい?」


 かわいい。軽々と口にできる桧原くんはすごいと思う。私は友達にもそんな軽々と言えないのに。

 やっぱり、桧原くんはすごい。真ん中で輝いている太陽みたいだ。

 私がそんなことを考えていると、彼は突然弾かれたように一気に顔を赤く染めた。


「あっ、あの、佐野さんが嫌なら俺は佐野さんって呼ぶけど、でも」


 そこまで言って、桧原くんは頭を抱えた。まだ風が吹いたら寒いくらいなのに汗をかいている。


「わ、私はなんて呼ばれてもいいよ」


 慌ててそう言ったけど、できればさのっちとかあだ名にしてほしい。優樹菜、なんて呼ばれたら確実に恥ずかしさで五回は死ねる。

 一回呼ばれるたびに五回死んでたらキリがない。だから、それはやめていただければと思う。


「じゃあ、優樹菜?」

「ああああああああ!」


 桧原くんの声をかき消すように私は叫んだ。うぅ……。

 ばっちり聞こえてしまった。しんじゃう。わたししんじゃう。

 しゃがみこんで恥ずかしさに悶えていると、桧原くんが私の肩に手をおいた。プット、ユア、ハンド。


「さ、佐野さん大丈夫?」

「……桧原くんは、罪です」


 嬉しかったのかなんなのか、一筋の涙が零れた。

 優樹菜、敗れたり。

 ……とりあえず教室に戻ることにした。


 結局、乱闘の末に呼び名は桧原くんがカナくん、私はユキと呼ばれることになった。優樹菜はハードルが高いけど、ユキはあだ名だと思えば大丈夫。よかった。ゆっきーとか言われたら余計に恥ずかしいし。

 しかし、こうなると問題は呼ばれる方でなく呼ぶ方になる。


「か、カナ……くん」

「なに?」


 この対話だけでもう、はい。胸がいっぱいです。

 カナくんって呼ぶのもすごく恥ずかしいし、もう桧原くんでいいですかと交渉したくなってしまう。でも、せっかく仲直りできたんだから、特別って感じでいいかなあ、なんて。


「なにもない」


 こうして、教室に無事到着。遅刻しなくてよかった。

 やっぱりカナくんって呼ぶのは恥ずかしいなぁ。私なんかがこんな固有名詞を口にしていいのかと恐れ多くなってくる。

 というか、付き合ってもないのに下の名前で呼び合うのは、カナくん的にありなのですか。こんなの、誤解されがちじゃないですか。それとも、誤解されたいってことなんですか。気があるって考えてもいいのですか。

 ぐるぐると頭の中を駆け巡る。あーなんか、もう、私都合のいいように考えすぎな気がする。気があるわけないよ。

 桧原くんは中心人物なんだから、いつだって誰にでも平等で、特別なんてそんな、ありえない。しかも、出会って三日。特別な感情なんて、抱いていないはずで。たとえ桧原くんが私のことを好きだとしても、それなら廣山さんとあんなにくっつくはずがない。だから、違う。

 ……ん? なんで、桧原くんが私のことを好きじゃないってことに、私、安心してるの?



「あ、そうだユキ」

「ふああぁっ!? ああっ、は、ハイっ!」


 一時間目が終わったあとの話。突然名前を呼ばれて、私はばっと顔をあげた。

 一時間目は数学。次の時間は古文をするらしい。古文ってどんなのかな。枕草子とか、するのかな? ……じゃなくて。


「ユキ、16日空いてる?」

「は、はい……?」


 16日は土曜日だ。部活に入るつもりのない私に、予定などない。私はこくこく頷いた。


「ならよかった。その日の昼からカラオケ行こうと思ってるんだけど、一緒に行かない?」

「……」


 一瞬、返答につまる。それは誰と……?

 数秒後。天使の笑顔に殺られた私は自動的に頷いていた。


「あ、あとのメンバーは隆夜と廣山だから」


 それを、先に言ってほしかった。心の中で泣いた。多分、両目から一筋ずつ出たんじゃないかな。なんでよりによって廣山さんなの……。

 かくして、16日にカナくん尾川くん廣山さんの四人でカラオケに行くことになりました。

 ……もう、私は死んでしまいそうです。廣山さん怖い。絶対割り込んでくるだろうし。そうだ瑞樹ちゃんを連れて行こうか。


「あ、桧原くん――――」

「これ以上増やしたら歌う回数減るから、誘わなくていいよな」

「うん」


 いつの間にか現れた尾川くんが、見事に私の作戦をぶち壊してくれた。

 私、悪いことしましたか? もう泣きそう。また一粒の涙が零れた。


 佐野優樹菜、高校二年生。平凡な恋する乙女。

 好きな人とカラオケに行けることになったけど、ライバルもいるという少女漫画的な展開になってしまいました。早速何やってるの、私は……。

 でも、私が一緒に行かなかったらきっと廣山さんは桧原くんにくっつくだろうから。それは、嫌なんです。

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