さん さんにんの距離
「お昼ご飯できたよー」
ドアの外からお兄ちゃんが声をかけてきた。あ、そうだ鍵閉めてたんだった。
私は鍵を開けドアを開けお兄ちゃんからお昼ご飯を受け取った。わあ、おいしそうなサンドイッチ……って、なんでお兄ちゃんまで平然として座ってるの!?
「ちょ、っとお兄ちゃん? なんでここで食べようとしてんの?」
「え、ダメなの? だって、奏音くんと話したいじゃん」
佐野優樹菜、高校一年生。まだまだ道のりは長く続く。
「おいしい?」
「うん……」
「おいしぃです!」
私は、小さくため息をついた。なんでこんなことに……。いや、いいんだよ? 別にお兄ちゃんのこと嫌いじゃないし、そもそもお兄ちゃんが最初に桧原くんと話したいって言って招いたんだから、私が文句を言うのはおかしいかもしれないし。だけど。
うちの部屋にあるこのちっさいテーブルを、高校生三人で囲まなくてもいいんじゃないんですか? 正直言って、狭いっす。
そもそも私は桧原くんか犬が苦手なのだと知ってこの部屋にいれただけ。お兄ちゃんもくるんだったら、リビングで食べて、サユはゲージのままこの部屋においておけばよかった。そしたら、こんな恥ずかしい思いをしなくてもよかったのに……。しかもかなり狭いし。
「ごめん桧原くん。狭くない?」
「あ、俺は大丈夫。佐野さんは?」
「私のことは気にしなくていいから」
そうそう。私のことは気にしなくていいから。だって桧原くんはお客さんなんだからね。気を遣わせたら悪いよ。せっかくだし、ゆったりしてもらいたい。
「……そう?」
桧原くんは私の表情を伺うように顔を覗き込んできた。あぁっ、食べてるところは見ないでいただきたいっ! 口の周りに何もついてないかな?
だけど、彼は目線を逸らして不機嫌そうにちょっぴり頬を膨らませ、サンドイッチにかぶりついた。
でも、こんなときでも私はついつい同じようなことを思ってしまう。
(あぁもうなにあの顔……。ほっぺた膨らませてるとか、かわいすぎるよぉ……)
桧原くんのせいで、私はどこか変態っぽくなってしまった。こんなに私のキャラが変わってしまったのも全部、桧原くんに出会ってしまったからだ。
でも、後悔はしていない。だって、これからの高校生活が二倍三倍と楽しみになったから。ああ、もう、すきです。
「ごちそーさまぁー。あ、私皿持ってくよ。貸して」
私が食べ終わると、隣の桧原くんも食べ終わっていた。だから、私はそう言って彼が使っていた皿を私の皿と重ねて持って行こうとする。
「え、いいって。これくらい俺もするし」
桧原くんがそう言うけど、私はさせない。させるはずない。何度も言うけど、桧原くんはお客さんなんです。お客さんに雑用を押し付けるわけにはいかない。が、しかし。
「優樹菜、持って行ってもらいなさい」
「ちょっとお兄ちゃんなに言ってんの!?」
お兄ちゃんがいらないことを言ってくる。ちょっと黙っててくれんものか!
桧原くんに持っていかせるわけないじゃん。私の立場がない。家に引きずりこんだあげくに雑用をさせるなんて、そんな失礼なことして許されるはずがない。許されても、私が許さない。だから、だめ。
「じゃ、ほら。お兄さんもああ言ってるし、俺が持ってくって」
「だめっ! だめだめっ! そんなのお客さんにさせられないからっ!」
私は皿を受け取ろうとする桧原くんの手から皿を遠ざける。そして、ややこしいことになる前にと早足で台所へ向かった。無理だから、ほんと。
部屋に戻ると、これまでにない暗いオーラが桧原くんの周りを纏っていた。ひっ、怖い! 絶対、これは私が悪い……。
私は駆け寄って、頭を下げた。
「桧原くん、ごめ……」
「ごめん、俺、今日は帰る。お兄さん、お昼ごちそうさまでした。おじゃましました」
桧原くんは私と目線を合わせてくれなかった。下を向いたまま、部屋を出て行ってしまう。
怒らせた。その事実が信じられなくて、受け入れられなくて、桧原くんを追いかけようとする。
「待って!」
「……」
桧原くんはこっちを向いてくれない。彼の背中が遠く見えた。ああ、行ってしまう。
バタン。玄関のドアがこれほどさみしげに閉まったところを、私は見たことがなかった。
「……優樹菜」
呆然として立ち尽くす私に、お兄ちゃんが声をかけてきた。
「お兄ちゃん。ねえ、私ダメだった? 何がダメだった? なんで怒らせちゃったのかな!?」
私は必死になって叫ぶ。わからない。男の子の気持ちって、わからない。私のどこがダメだったの? 何が嫌だったの? 教えてよ。
すると、お兄ちゃんはにこっと笑った。何気にひどいよ……。
「彼は怒ってたんじゃないよ」
「え?」
さすが男子同士。桧原くんのこと、わかってるみたい。でも、怒ってないってどういうことだろう? 私は首を傾げて腕組みしながら考える。
(あの態度でも、怒ってなかったってことは、なんだったんだろう……?)
私がわからないですというようにまた首を傾げると、お兄ちゃんはくすくす笑った。なんかよく考えると、お兄ちゃんと桧原くん、笑い方とか似てるような……。男の子同士だからかな?
「彼は、優樹菜を手伝ってあげたかったんじゃないかな? でも、優樹菜が譲らなかったからここにいるのが恥ずかしくなって、出て行った……みたいな」
私を、手伝いたかった?
よく考えたら、悪いことをしたと思ってきた。私は、悪いと思ってお客さんに手伝わせたくなんかなかった。桧原くんは、何もしないのは悪いと思って手伝おうとしてくれた。二人とも、同じ気持ちだったんだ。
だからきっと桧原くんは嫌だったんだね。怒ったんじゃなくて、自分自身が嫌になっちゃったんだ。
「私、明日謝るよ」
「それがいいよ。頑張れ」
お兄ちゃんは、いつも優しくて、たまにウザくて、でも私を助けてくれる。私の中の、一番身近な男の子。
お兄ちゃんはシスコンじゃなくて、私もブラコンじゃなくて、普通の兄妹だけど。でも、仲良しな兄妹。大切な、たった一人のお兄ちゃん。……って、なんだこれ。
「頑張る」
私はお兄ちゃんにそう宣言すると、リビングには入らず、自分の部屋に入った。真ん中におかれた白い小さな机。部屋の隅には片付けられた勉強用のデスク。それから、壁はまるごと本棚に改造されている。そこには『ドリームトラベル』をはじめとする長編漫画や小説が、所狭しと並んでいた。
さらに、ベッドの上には大量のぬいぐるみ。クマやパンダやうさぎ、キャラクターものもアルパカもある。そういえば桧原くん、入ったときひいてなかったかな。
今更ながら、桧原くんを嫌な気持ちにさせてしまったことを後悔した。彼はとってもいい人なのに。私が悪い。桧原くんのこと、ちゃんと考えてなかった。それが、悔しかった。
ごめんね、桧原くん。いろいろ考えさせちゃってごめんね。私は、桧原くんに気を遣ってほしくなかった。でも、それが桧原くんからしたら、余計に嫌だったんだよね。ごめんね。
私はベットに寝転がった。去年、受験を頑張るっていう約束で買ってもらったスマホの画面を開く。桧原くんは、メールとかグループチャット、してるのかな。してるんだったら、アドレス知りたいな。
私は本当に仲のいい子としかメアドの交換やグループチャットはしていなかった。変にいろんな人と交流してしまうと、面倒なことに巻き込まれかねないからだ。私はそういうのは苦手だから、していない。
既読無視はダメだとか、ずっと見てないといけないとか、ルールが多い。おまけに、夜中も誰かが話していれば通知がくる。下手すれば、知らないうちに何百という件数の通知がきたりもするらしい。それも、内容はスタンプ連打だったりなど、くだらないものばかりだ。恐ろしい。だから私は、あんまりそういうのはしたくないんだ。
でも、桧原くんのアドレスは知りたい。一緒に、グループチャットをしてみたい。こんなに強く思ったのは、初めてだ。やっぱり私、桧原くんのことが好き。会ったばっかりなのに? って言われるかもしれないけど、一目惚れだから、いいよね。
まだまだ距離はあるけれど。少し遠い星だけど。私は目指す。あの星を手に入れられるように、高く飛び上がる。
佐野優樹菜、高校一年生。高校の入学式で、今日初めて出会った男の子、桧原奏音くんに一目惚れしてしまいました。私の恋は、叶うのかな?