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双魂の焔龍  作者: 白銀
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第二章 「秘術書」

 第二章 「秘術書」



 降りしきる雨の中、一人の青年が立っている。美しい銀髪は雨で濡れ、身に纏う袖の無いシャツも透き通る程に雨水を吸い込んでいた。背はそれほど高くないが、無駄なく引き締まった身体とのバランスは悪くない。ズボンのポケットに両手を突っ込み、彼はただ雨を浴びていた。

「それ以上雨に打たれていては御身体に障りませんか?」

 背後からの声にも、青年は動かなかった。

 青年の背後には切り立った崖がある。その岩壁の一部に穴が開き、洞窟となっていた。丁度青年の背後にできた洞窟の中から、一人の女性が彼を見つめていた。

 ウェーブのかかったセミロングの金髪に、整った目鼻立ち。どこか気だるそうにも見える表情をしているが、細められた目の奥にはそんな気配を一切感じさせない光がある。露出の高い薄着のシャツを着た女性は洞窟の内壁によりかかるようにして青年を見つめていた。

「シア」

 どこか鋭さのある声で、青年が呟いた。

「はい、何でしょう?」

 名前を呼ばれた女性は、嬉しそうに目を細めて応じた。

「お前は、この雨が冷たいと『思う』か?」

 青年が振り返り、問う。

 刃のような鋭い目がシア・ヴォルガに切っ先を向けた。どこか悲哀を含んだ青い瞳は、それでも澄んでいる。銀髪から滴り落ちた雨粒が、まるで涙のように頬を伝い、顎から落ちる。

「私の身体は冷たいと『感じて』います」

 シアは洞窟から右手だけを外へ出し、掌で雨を受け止めた。

「ですが……」

 一度、ゆっくりと目を閉じ、シアは青年の瞳を見つめ返す。

「あなた様は、そう『思え』ない」

 シアの瞳が揺らぐ。気だるげな表情の中に、哀しみが混じる。

「ああ」

 青年は雨の落ちてくる空を見上げた。両手をポケットから出し、雨を掬い上げるかのように胸の高さまで持ち上げる。青年の掌に落ちた水の滴が弾け、腕の筋を伝って肘から流れ落ちていった。

「俺には、この雨はまだ暖かい」

 目を細めもせず、青年は空を見上げる。雨粒が目に入るのも構わずに。

「はい」

 シアはただ頷いた。

 不意に、青年の視線が動いた。彼が見つめる先へと、シアも視線を向ける。

 空から黒い影が向かってくるのが見えた。徐々に近付いてくる影は、やがて鳥に似た輪郭を見せ始める。翼をはためかせるのを止め、鳥は滑空し、高度を落としていく。影は、鳥ではなかった。背中に翼を生やし、兜とでもいうように鳥の頭を被った一人の男だ。手足には鳥の毛皮を防具のように纏っている。

 男は青年の前に降下すると、足が着くか着かないかの所で翼を大きく後ろへと引いた。同時に、翼が淡い光を放ちながら縮んでいく。身に纏った鳥の皮も淡い光を帯び、男の身体の中へと染み込むように消えた。

 人間の姿に戻った男は着地すると共に青年に向き直った。

 雨の中に立つ青年同様、男もずぶ濡れだった。短い茶髪にやや面長の顔つき。釣り目がちだが、対峙している青年と比べればまだ親しみ易い印象がある。

「秘術書の在り処について、情報があります」

 男の言葉に青年は静かに頷き、背後の洞窟へと振り返った。

「お帰りなさい、イグル」

「ああ」

 シアの言葉に頷き、男は青年に続いて洞窟の中へと足を踏み入れる。

 暗い洞窟の中に、三人の足音が響く。時折、青年とイグルの身体から滴り落ちる水滴が静かに反響していた。

「蘇魂転生の呪はラシンケットに運ばれたようです」

 イグルが口を開いた。

「ガルムが護衛しているようです」

「戦士長はいたの?」

 シアが口を挟む。

「いや、いなかった。ただ、いずれ合流するはずだ」

 イグルは視線をシアへ向け、告げた。

 洞窟の最奥に、僅かに明かりが見える。閉ざされたドアの隙間から漏れた淡い橙色の光の前で、三人は足を止めた。

「入るぞ」

 右手の甲でノックし、青年はドアを開けた。

 木製のドアが軋んだ音を立てて開かれる。洞窟内だというのに岩壁は無く、丁寧に木製の壁で周囲が覆われていた。部屋の中には、テーブルと椅子が一セットと、大きなベッドがあった。ベッド脇のナイトテーブルの上にランプが置かれている。

 ベッドには誰かが眠っていた。

「他に報告は?」

 テーブルの上に置かれたタオルで濡れた身体を拭きながら、青年が問う。

「はい、気になる人物が二人いました」

「名は?」

「イルゼ、フィオラの二名です」

 イグルの返答に、青年が動きを止めた。

「御知り合いなのですか?」

 一瞬の反応を、イグルは見逃さなかった。

 二人の名前に反応したのならば、少なくとも既知の相手だ。

「ああ、知っている」

 外にいる時から今まで、一切表情を変えなかった青年が目を細めた。まるで、懐かしいものを見るかのように、遠い目を見せる。

「古い、知り合いだ」

 事実を噛み締めるかのように、青年は呟いた。

「何者です? 二人とも、只者ではないようでしたが……」

 イグルは尋ねた。

 実際に二人と対峙したイグルには、その二人の戦闘能力が極めて高いものであるという確信があった。突然、人格が変わったように体術を使う少女と、炎を操る少年は、イグルには脅威に思えたのだ。特に、イルゼという少年が持つ魂にイグルは気圧されていたのだ。イグルの持つ魂が、少年の持つ魂を恐れていたようにすら感じられた。

「二人共、魂を持っていたか?」

「少なくとも、イルゼという少年は持っています」

 青年の言葉に、イグルは答えた。

 フィオラという少女が魂を持っているかどうか、イグルには判らない。彼が実際に力を見たのはイルゼだけなのだから。

「……恐らく、フェニックスかと」

 間を置いてから、イグルは言った。

「フェニックスだなんて、本当なの?」

 シアが口を挟んだ。怪訝そうに眉を顰め、イグルの言葉の真偽を推し測っていうるようにも見える。

「一瞬だが、腕が炎と同化していた。そんな事ができる魂を、俺は他に知らない」

 炎を操る特性を持つ魂は、少なからず存在する。だが、イルゼの持っていた魂は桁外れの力を持っていた。自らの腕すらも炎と同化させる魂など、イグルが知る限りでは一つしかない。

「それは……脅威になりえるわね」

 僅かに俯き、シアは呟いた。

 彼女もまた、フェニックス以外にそれだけの力を持つ魂を知らなかった。

「戦うとなったら、下手に手加減はするな」

 青年が言った。その言葉に、イグルとシアは顔を上げる。

「あの二人は油断できない」

 真剣な面持ちで呟く青年に、二人は静かに頷いた。

「たとえ力がなくとも向かってくるような者達だ」

 魂の力を使役するには、『ドライバー』の精神力の強さが最も影響する。単純な攻撃の意思ではなく、心の強さや優しさといった総合的なものだ。強靭な精神力を持つ者は、魂の限界を超えた力を引き出す。それこそが、『ソウル・ドライバー』としての本当の力だ。魂の力を増幅させるのは『ドライバー』側の精神力なのである。

 力がなくとも戦おうとする、不屈の意志を持つ者はそれだけ増幅力が高い。

「その二人が、一番の障害になるかもしれない」

 イグルとシアはその言葉に唾を飲み込んだ。

 青年はゆっくりとベッドへと歩み寄っていく。

「情報収集、御苦労だった。今日はもう良い」

「解りました」

 イルゼは青年の言葉に答え、踵を返してドアへと向かった。それを追う形で、シアも退室しようとする。

「数日中に、動くぞ」

 ドアが開くとほぼ同時に、青年は鋭く告げた。

「白虎様の仰せのままに」

 今度はシアが答え、退室した。

 部屋に残された青年、白虎はベッドの端に腰を下ろした。

 そこには、一人の女性が眠っている。艶やかな黒髪と、すっと整った鼻梁に、柔らかそうな唇の若い女性だ。

「もうすぐだ……」

 白虎はそっと掌を女性の頬に触れさせた。

 今までは刃のように鋭かった表情を、悲しげに、しかし愛おしげに緩め、白虎は女性のなめらかな肌の上で手を滑らせる。触れた指先から感じるのは、生気のない冷たさだけ。それに比べれば、先程まで感じていた雨など、彼にはまだ暖かくすら思えるのだ。

 だが、彼女はまだ生きている。いや、死んでいない、という方が正しいかもしれない。

「俺はもうすぐ、君を助ける事ができる」

 白虎の口調には鋭さはなかった。優しげな声だ。口元には微笑が浮かんでいる。

 それでも、深い場所にある哀しみだけは消えない。

 指先に感じる冷たさを噛み締めながら、白虎は彼女から決して手を離さなかった。彼は、彼女にも感触が伝わっているはずと信じていた。互いに肌を接するうちに、彼女が目を覚ましてくれるのではないかという、願望に近い希望もある。

「俺には、君が全てだ……」

 毎日のように、彼女に言い聞かせている言葉を、白虎は呟く。

 その言葉も、彼女に伝わっていると信じて。

「リクシア……」

 白虎は、静かに彼女の名を紡いだ。


 *


 フィオラとイルゼは都市の中央区へと続く大通りを歩いていた。空はまだ晴れているが、雨雲が広がって来ているのが見える。今日の夜か、明日には空が雲に覆われてしまうだろう。

「結局、その秘術書ってどういうものなの?」

 声を潜めて、イルゼはフィオラに尋ねた。正確には、フィオラの中にいるイクシオに、だが。

「知りたいか?」

 感覚的には胸の中央辺りから聞こえてくるイクシオの声に、フィオラは頷いていた。

「秘術書には様々なものがある。それは知っているな?」

「うん」

 相槌が口から漏れてしまったが、フィオラは気にしなかった。

 秘術書は現在、複数確認されている。工業や技術に対して記された秘術書もあれば、生物に関して記された書物もある。中には、強力な魔術を発動させる秘術書もあるのだ。

 魔術と呼ばれる技術は、専門の学校で習得する。知識や技術を教えるために、専用の場所が必要になるからだ。加えて、良識の無い者に習得させないようにするという目的もある。それでも、習得後に賞金首となる者がいるのは事実だ。

 無論、魔術も簡単に習得できるものでもない。専門の学校に行くにも費用がかかる。そのため、既に魔術を会得している者から我流で学ぶ者もいるほどだ。

「白虎が狙っている『蘇魂転生の呪』は、死んだ者を蘇らせる術に関しての書物だと聞いている」

「え……?」

 イクシオからの答えに、フィオラは眉根を寄せた。

「詳しい事は俺も知らない。だが、目的がそれであるのは真実だ」

「そんな事、本当にできるの?」

「できない、とは言い切れない」

 完全に解読されていない秘術書が相手では、内容の可能不可能を否定できない。今まで実現不可能と考えられてきた技術が秘術書によってもたらされているのは事実だ。表向きは研究者の功績となっているが、実際は新発見や新技術の半数以上は秘術書によるところが大きい。

「秘術書とはいえ、完璧じゃない。実用化できずに研究が断念された秘術書もあった」

「そうなの?」

 秘術書に関しての知識が浅いフィオラには、失敗作の秘術書というのが理解できなかった。

「ああ、昔、一度だけ見た事がある」

 イクシオが答えた瞬間、フィオラの視界が漆黒に染まった。黒一色の空間に一人立たされたような、足場も壁も判断できない場所だ。

 だが、フィオラは動じなかった。彼女は今までにも何度か同じ経験をしていた。

 閉じていた目を開いたかのように、黒一色の空間が裂けた。外の景色は、今までフィオラが立っていた場所ではなかった。白一色の清潔そうな壁で覆われた部屋の隅に、フィオラは立っていた。

 そこには数人の人間が忙しなく動き回っていた。いや、人間だけではなかった。絹のように白い肌と翡翠色の髪を持つ知力に長けた長寿の種族、エルフもいる。二人いるエルフのうちの一人が書物を片手に指示を飛ばしているようだった。

 フィオラに声は聞こえない。だが、書物を持ったエルフの指示で他の人間達が動き回っているのは理解できた。

 岩や小動物、鉱石や武器など様々な物質を一箇所に集め、その周囲に魔方陣のようなものが刻まれていく。複雑な紋様を慎重に描き出し、周囲に魔術を用いて作り出した特殊な結晶、魔石を配置している。

 書物を持っていたエルフが何かを唱えた。紋様が淡い光を帯びる。呼応するかのように魔石も光を放った。魔方陣から溢れ出した光の中を、魔石から放たれた閃光が駆け巡る。円筒形に伸び上がった光の中を、光が満たしていく。

 眩しさに誰もが手で目を覆った。

 やがて、光が収まった場所を見て、全員が絶句した。

 そこにあったのは奇怪な塊としか言えないものだった。術を使用する前と違い、集められたものが中途半端に融合し、混ざり合っている。全ての物体が原型を留めていなかった。小動物は身体の中を裏返したかのような醜悪な身体を晒し、枝分かれしたかのように刃の増えた剣が突き刺さるような形で生え、岩石や鉱石が変質して皮膚に張り付いているようなものだ。その身体は脈打ち、全身を震わせながらゆっくりと前進してくる。

 誰もが後退った。吐き気を催したのか、口元を押さえている者もいる。

 視界が動いた。

 フィオラは立ったままだ。だが、フィオラの目に映る光景が動いている。フィオラと視界を共有している存在が、部屋の隅から駆け出していた。

 駆け出したのは『フィオラ』だけではなかった。銀髪の青年と、青みがかった灰色の髪を首の後ろで纏めた青年が視界の端に映っている。

 銀髪の青年の存在に気付いた瞬間、無意識のうちにフィオラは目を細めていた。

 灰色の髪の青年の上半身が銀色の狼に変化する。銀髪の青年は上半身を白い虎に変化させていた。フィオラの視界も一瞬ブレた。鎧のように鱗で覆われた手が視界に移り、鋭利な爪に電撃を纏わせる。

 爪が奇怪な生物を真横に切り裂いた。白い虎と銀色の狼が化け物を別の方向から爪で切り刻む。風が弾け、雷が焼き、冷気が化け物を凍らせた。凍結した化け物を三人がかりで粉砕していく。

 フィオラの視界が振り返った時、そこにいた者達は安堵と恐怖の入り混じった視線を化け物の成れの果てに向けていた。

「その時の秘術書は、『創造変換の呪』というものだった」

 視界が黒一色に閉ざされると同時に、フィオラはイクシオの声を聞いた。

 フィオラはイクシオの過去を見ていた。彼が見た光景を、そのままフィオラが見たのだ。同時に、イクシオの記憶がフィオラの頭の中へ断片的に流れ込んで来る。

 五年ほど前、イクシオは秘術書の実験に立ち会った。不慮の事故が起きた際の対処が目的だ。一緒にいた二人の青年も同じ目的で召集されていた。

 秘術書は『創造変換の呪』と題された書物だ。要約すれば、目の前に存在している物質を別の物質に作り変えるという内容のものだ。実験では、集めてきた不要な品を貴金属に変換しようとしていた。だが、それは失敗に終わった。

「秘術書の解読は間違ってはいなかった。その数日後にも同じ実験をしたが、結果は変わらなかった」

 イクシオの声がフィオラの中に響く。

 実験が失敗した数日後、変換前の物質から生物を除き、鉱石単体でも試したのだ。だが、望む物質に変化させられず、鉱石が爆散してしまった。

 解読自体に間違いは見受けられず、最終的に秘術書自体が未完成なのだという結論が出された。

「解ったか?」

「うん」

 驚きながらも、フィオラは頷いていた。

 視界が都市の街中に戻る。

 あれだけの記憶映像が流れても、実際にはほとんど時間が経っていない。ほんの一瞬の出来事でしかないのだ。

 視界が暗転する前に踏み出そうと持ち上げた足がようやく地面に着く。視界の変化に身体の感覚が一時的に狂い、足元がふらついた。

「大丈夫?」

 隣にいたイルゼがすかさずフィオラを支える。

「うん、大丈夫。イクシオに秘術書について教えてもらってたの」

 イルゼに笑みを返し、フィオラは答えた。

「それで、何か解った?」

「ええ。秘術書って、全部完璧なものじゃないらしいの。未完成のまま破棄された秘術書があったらしいわ」

 フィオラは小声でイルゼに告げた。

 イクシオが見せた過去の映像を、言葉にしてイルゼに伝えていく。

「イクシオが立ち会った秘術の発動実験の中に失敗したものがあったの。だから、白虎が狙ってる秘術書が完全なものかは解らないって」

「『蘇魂転生の呪』だよね?」

「それ自体は死者の魂を蘇らせる術らしいわ」

 イルゼの言葉に頷き、フィオラは答えた。

「気を付けろ、何か来るぞ!」

 不意に、イクシオがフィオラを呼んだ。

「え?」

 フィオラが首を傾げた直後だった。

 二人の背後の方、外壁の向こうから轟音が響いた。腹の底に響くような振動が重低音と共に伝わってくる。知識がなければ地震と間違える者もいるかもしれない。

 外壁に設置された砲台が火を噴いたのだ。

 何か危険なものが迫っている。巨大な敵性種族か、小型だが大群の敵性種族か、外壁の内部からは判らない。はっきり言えるのは、砲台を使ってでも追い返したい『敵』が近付いているという事実だ。

 ただ、イクシオの言葉を考えるなら、巨大な何か、の方が近いかもしれない。フィオラは漠然とそう考えていた。

「何だろう、厭な予感がする」

 不安気な表情で、イルゼが呟いた。胸元をきつく握り締めている。イルゼの中にあるフェニックスの魂が反応しているのだ。敵の存在を察知し、イルゼに伝えている。

 砲撃音が何度か続いた後、都市内に警鐘が鳴り響いた。

 外壁が内側に膨らんだかのように見えた刹那、外界からの侵入者によって壁が砕かれた。弾け跳んだ破片が轟音と共に周囲に降り注ぎ、砂埃を巻き上げる。

「グリフォン……!」

 イルゼが驚愕に目を見開いた。

 外壁を突き破って侵入してきたのは、鳥獣系種族の中でも高位に位置する存在だった。体長は五十メートル近くある、大型肉食獣の身体に大きな翼と鳥の頭と前足を持つ種族だ。敵性種族というわけではないが、友好的とも言えない。言うなれば中立のはずの種族が、都市に攻め込んで来たのだ。

 フィオラとイルゼが歩いて来た方角から大勢の人が逃げ出してくる。騒ぎの流れの中、フィオラとイルゼは食い入るようにグリフォンを見つめていた。

 グリフォンは街の中央を走る大通りを、真っ直ぐに都市の中心へ向けて進んでいる。周りではガーディアンが武器を構えているが、空を飛んでいるグリフォンに攻撃できる者はほとんどいない。

 時折、弓矢や銃弾が空へと放たれているが、グリフォンには効果がなかった。距離が離れ過ぎているが故に、威力が減衰されてしまうのだ。至近距離で撃ち込んでいるのならともかく、遠距離では攻撃力が足りない。

 ガーディアンの中に数人、魂を解放している者がいたが、半数以上が飛行能力の無い種族の魂だった。地上からグリフォンを睨み付けるだけで、何もできていない。一人か二人、鳥系種族の魂を持った者がいたが、力の差は圧倒的だった。彼らがグリフォンの高度まで上昇した直後、グリフォンが雄叫びを上げる。グリフォンの翼が光を帯び、その閃光を撃ち出す。攻撃を避けきれずに一人が直撃を受け、血を撒き散らしながら吹き飛んだ。

「この先にあるのって、研究所ぐらいだよね?」

 イルゼの言葉に、フィオラは頷いた。

 同時に、イクシオに呼び掛けた。今、フィオラが何をすべきか。

「もう少し様子を見よう」

 イクシオの答えはそれだった。

 戦うにしても、二人の力はできる限り使わない方が良い。ガルムが近くにいるかもしれないし、腕の立つガーディアンがまだいる可能性もある。

 視線を空に戻せば、残ったガーディアンがグリフォンに反撃を繰り出していた。翼から先端の尖った羽根を弾丸のように打ち出し、グリフォンに攻撃する。一秒間に十枚以上の羽根が打ち出されるその攻撃に、グリフォンが回避行動を取った。

 高度を落とし、地上にいるガーディアンを風圧で薙ぎ払う。まだ逃げ惑っている住民を吹き飛ばし、建物を崩壊させながら、グリフォンはフィオラとイルゼのいる場所へ一直線に向かって来ていた。

 グリフォンの目が、フィオラに向いたのが判った。

 フィオラが身構えるよりも早く、イルゼが飛び出していた。

 イルゼの両腕が熱気を帯び、陽炎を纏う。陽炎は次第に揺らめきの濃度を増し、イルゼの両腕から炎が噴き出した。放出される莫大な量の熱気が周囲に風を巻き起こす。炎は流動し、イルゼの両腕を飲み込み、同化させている。

「ぐうぅぅううっ!」

 イルゼが呻き声を上げた。

 身体の目の前で交差させた腕が熱気を更に増した。風が髪を靡かせ、周りの人達がそれを避けるように逃げていく。イルゼの腕から広がった熱量が彼自身を包み込んだ。

 炎に包まれたイルゼを、フィオラは黙って見つめていた。

 グリフォンがイルゼに気付いたのか、速度を落とし、距離を取って停止する。普通の『ドライバー』なら、今のイルゼが放つ波動に足が竦んで動けないだろう。ほとんどの魂は、最高位種族を恐れているのだから。無論、それは魂の状態ではない種族にも適応される。いくらグリフォンといえど、フェニックスの力を前に突撃はできない。単純な力同士のぶつかり合いでは、最高位種族に匹敵する者はいないのだ。

 炎の塊から翼が伸びた。内側から丸めていた身体を伸ばすように、魂を解放したイルゼが姿を現す。まさしく火の鳥としか形容のしようがない姿だった。

 グリフォンに比べれば小さいが、彼が放つ威圧感は並大抵のものではない。

 火の鳥が翼をはためかせた。熱気が周囲に吹き荒れる。

 一瞬のうちに、イルゼはグリフォンの真上に移動していた。

「ごめん……!」

 辛く苦しげなイルゼの声を、フィオラは確かに聞いた。

 上空から火の鳥が翼を振り下ろす。刹那、翼から放たれた炎が縦に伸びて行く。大通りの中央を切り裂くかのように炎が叩き付けられ、それがグリフォンの背後から向かって来る。

 グリフォンの足は、震えていた。

 炎は一瞬でグリフォンを飲み込み、灰へと変える。熱量が遅れて周囲へと吹き荒れ、半壊した建物が瓦礫へと変化する。近くにある建物の壁を焼き、溶かし、炎は容赦なく熱量を撒き散らして赤々と燃え盛っていた。


 *


 医療施設のドアを開け、男は病室に足を踏み入れた。

 青みがかった灰色の長髪を首の後ろで纏めた長身の男だ。精悍な顔立ちに細長いサングラスをかけ、足元にまで達する長い外套を纏っている。

「負傷したそうだな、グライス」

 ベッドに横になっているグライスへ、男は声をかけた。

「戦士長……!」

 グライスが身を起こし、目を見張った。

「傷の方はどうだ?」

 戦士長と呼ばれた男、ヴィルノア・ライルはサングラスを外して尋ねた。

 サングラスをしている時の鋭さのある姿と違い、彼の目つきは優しげだった。

「明日には復帰できるかと」

「そうか……」

 ヴィルノアは目を細め、ベッド脇にある椅子に腰を下ろす。身を起こしたグライスの様子からも、既に傷が完治しつつあると判断できる。魂という形でこそあれ命を一つ多く持つ『ドライバー』の生命力は高い。

 揺れた外套の隙間から片刃の剣、刀と呼ばれる種類の武器が見えた。

「先程の戦闘、見ましたか?」

 グライスの問いに、ヴィルノアは静かに頷いた。

 つい先刻、外では大規模な戦闘があった。直ぐに終結したと言えるが、被害は少なくない。外壁は崩壊し、戦闘の影響で建物の多くが倒壊もしくは半壊している。

「グリフォン、久しぶりに見ました」

 緊張した面持ちで呟くグライスの言葉を聞きながら、ヴィルノアは窓の外へ視線を向けた。

 医療施設は大通りに近い位置にある。都市の中央に近いと言う方が正しいかもしれない。病室の窓からは戦闘の一部始終が見えた。

 崩れた外壁から一直線に続く大通りが見渡せる。

 戦場となった大通りには、グリフォンは既に見当たらない。ただ、どこで決着が着いたのかを予測するのは容易かった。大通りの中で一箇所、地面が溶けたように抉れている場所があった。そこから崩れた外壁の方へ、一直線に溝ができている。抉れ、溝となった地面は焼け焦げており、周囲の建物にも影響が出ているのが判った。

「正直、焦りましたよ」

 グライスは真剣な表情で呟いた。

「腕の立つガーディアンが出払っていたからな」

 ヴィルノアが小さく呟いた。

 グリフォンが現れた時、都市にいるはずのガーディアンは半数以上が出払っていたのだ。グリフォンが来た方角とは丁度正反対の方向にも敵性種族がいたのである。その対応のために、腕の立つ者達が率先して都市外に出ていた。

「タイミングが良すぎますね」

「ああ」

 グライスの言葉に、ヴィルノアは頷いた。

「何か変わった事は無かったか?」

 先に情報が欲しい、ヴィルノアはそう付け加えた。

 先程の戦闘の不自然さを推測する前に、他の情報が欲しいのだ。できる限りの多くの情報を集めて、総合的な判断を下す。戦士長という立場からも、ヴィルノアには正確な判断力が求められる。

 情報の見落としは極力少なくしなければならないのだ。

「イグル・リードという賞金首を御存知で?」

「ああ。第一級の賞金首だったな」

 高位種族の魂を持つ危険な賞金首の一人だ。白虎ほどではないが、ガルムの者達も何人か返り討ちにあっている。

「奴が白虎と繋がっている事が判りました」

 グライスの言葉を耳にした瞬間、ヴィルノアが目を鋭く細めた。

「秘術書の在り処も悟られたと思われます」

「……他には?」

 数秒の間黙考した後、ヴィルノアは尋ねた。

「気になる人物と出会いました。イルゼという少年と、フィオラという少女です」

「その二人なら知っている」

「知り合いですか?」

「ああ、古い知り合いだ」

 微かに目を見張るグライスから視線を外し、ヴィルノアは答えた。

「古い、な……」

 目を細め、ヴィルノアは言葉を噛み締めるかのようにもう一度呟いた。窓の外へ向けた視線に僅かに哀しみが混じっている。

「先程のグリフォンを倒したのは、イルゼでしょうか?」

「それは間違いない」

 グライスの問いに、ヴィルノアは視線を戻した。

 グリフォンが都市内に侵入してからの一部始終を、ヴィルノアも見ていた。いざという時はヴィルノアが戦うつもりであったが、その前にイルゼが魂の力を解放するのが見え、傍観していたのだ。

「フェニックスの力、初めて見ました。凄まじいですね……」

「あれでもまだ序の口だ」

「全力ではない、と?」

「あいつは、人のいる場所で全力はまだ出せないだろうな」

 驚いた様子のグライスに、ヴィルノアは静かに告げた。

 フェニックス本来の力はあんなものではない。都市一つを軽く火の海にするぐらいは可能だ。イルゼは力を抑えて使役している。それでも、彼の持つ力は強大だ。

「まぁいい、他には無いか?」

 首を傾げるグライスに、ヴィルノアは深くは語らなかった。

「あ、はい、他に私が得ている情報はないですね」

「そうか」

 顎に手を当て、ヴィルノアは情報を纏めて行く。

「どうですか?」

「そうだな……。まず、今回の一件は白虎、あるいはイグルが関わっていると考えるべきだろう」

 イグルの追跡を妨害する目的も考えられる。イグルが白虎と繋がっているという情報も考慮するなら、白虎の差し金という線も否定できない。

「敵性種族はともかく、グリフォンが力を貸すでしょうか?」

「あいつの魂なら脅す事もできるだろうが、あれは脅されているようには見えなかった」

「では、何故?」

「恐らく、別の『ドライバー』の仕業だ」

 グライスの問いに、ヴィルノアは冷静に分析を下す。

 錯乱、もしくは脅されているのであれば、ダメージを気にせずに突撃していくはずだ。だが、先程のグリフォンは確かにガーディアンの攻撃をかわしていた。理性が残っている証拠だ。脅迫や錯乱させて嗾けたとは考えにくい状況だった。

「もしや、シア・ヴォルガですか?」

「その可能性が高い」

 シアもまたイグル同様、高位種族の魂を持つ第一級の賞金首だ。

「シア・ヴォルガは白虎を慕っていると聞いていますが、本当でしょうか」

「はっきりとは確認はされていない。だが、可能性は高いな」

 白虎と繋がっているイグルの逃走に合わせてグリフォンや敵性種族の軍勢を誘導したのだとすれば、シアも彼らの側にいると考えられる。

「無関係と見るには、でき過ぎている」

 ヴィルノアの言葉にグライスは真剣な表情で頷いていた。

 一連の事件を偶然と考えるのは簡単だ。偶然だとするならば危険も少ない。だが、白虎が秘術書を狙っている以上、最悪の状況を考え、それに備えておく必要がある。決して油断できない相手なのだ。

「我々の戦力で足りますか?」

「正直、厳しいな」

 グライスの問いに、ヴィルノアは静かに首を振った。

「奴らが小細工を使っている間はまだ対応できるだろうが、それでもぎりぎりと言ったところだ」

 相手が白虎だからといって、ガルムの全戦力を集めるわけにはいかない。ガルム本来の目的である防衛行動のため、最低限残して置かなければならない戦力がある。余分に動かせる戦力を掻き集めて秘術書の護衛に回しているが、第一級の賞金首二人とそれ以上の存在である白虎を相手に互角で戦えるとは言えない。

「先に言っておくが、奴ら三人が現れた時はこちらから攻撃はするな」

「それはどういう事ですか?」

「攻撃すれば反撃が来る。奴らとまともに戦えるのは戦士長以上の『ドライバー』だけだ。それ以外は無駄に被害を増やす事になる」

 ヴィルノアの言葉に、グライスが息を呑んだ。

 ガルムの中では、構成員を指揮する権限を持つ戦士長が何人か存在する。戦士長は皆、高位種族以上の魂を持っている。

 高位種族の力を使役する『ドライバー』に対抗するには、同じだけの力を使役できなければならない。種族の位置付け的に劣る『ドライバー』が高位の力を使役する存在に勝つのは至難の業だ。

「ですが、戦士長一人では……」

「フィオラとイルゼの二人がいる」

「何故、何も言っていないのに彼らが力になってくれると判ったんですか?」

 目を見張るグライスに、ヴィルノアは微かに苦笑を浮かべた。

 二人が味方につくと、グライスはまだ話を切り出していなかった。だが、ヴィルノアは二人がガルムの側に着くであろうと気付いていたのだ。

「言っただろう、古い知り合いだと。二人が白虎を追っている事は、俺も知っている」

 グライスも既に、グリフォンを一撃の下に葬り去ったイルゼの力を目の当たりにしている。フェニックスの力を使役できるイルゼの存在は大きな戦力になるのは明白だ。

 返す言葉の無いといった様子のグライスを見て、ヴィルノアは椅子から立ち上がった。サングラスをかけ、ドアへと向かう。

「研究所へ行かれるのですか?」

「ああ。自分の目でも秘術書を確認しておきたい」

 それに、と言い掛け、ヴィルノアは止めた。

「体長は万全にしておけよ」

「はい」

 グライスが頷くのを確認して、ヴィルノアは病室を後にした。

 ヴィルノアは医療施設の廊下を進みながら、フィオラとイルゼ、そしてイクシオの存在を思っていた。イクシオはかつて、ヴィルノアと共に戦った仲間だ。昔は『三人』でガルムのトップに立っていた。口数が少ないのが難点だったが、若いながらも思慮深く行動的なイクシオに、ヴィルノアは彼の成長を期待していたものだった。

「白虎……」

 ヴィルノアも最高位種族の魂を持っている。白虎と戦うための条件においてはフィオラやイルゼに劣っていない。戦闘経験の量を考慮するなら、むしろヴィルノアの方が上だろう。

 もっとも、ヴィルノアは自ら白虎を相手にするつもりだった。否、そうしなければならないという義務感も抱いていた。

「今回の一件で、全てのケリが着きそうだな……」

 微かに口の中で呟き、ヴィルノアはサングラスの奥の目を細めた。

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