紙ノ森、夜
工業団地紙ノ森は夜になると人の気配は消えまるで廃棄地区のようだ。
あちこちで赤い非常灯が暗闇にひっそりと灯る。
いつも持ち歩く小さな懐中電灯はリュックの中でカタカタ音を発てる。
電信柱に取り付けられた街灯は真っ直ぐに延びる道路に並び立ちアスファルトに光を落とす。
この光の下をいくつも通り抜け居住区へ帰る。
一歩また一歩、地下から遠ざかり居住区へ近づくこの時、藤は心許ない気持ちになる。
踏み出す足裏は硬いアスファルトを認識し手足は意のままに動く。
それなのに意識と身体の擦れを感じる。
この身体は本当に自分のものなのか、そのような疑問さえ浮かんでくる。
街灯の灯は帰り道を指し示していてもその先にある街へ果たして辿り着けるのだろうか。
消滅に近くなっているのかもしれない。
しかし消滅したわけではない。
市外とも都市とも属しない浮遊する存在に成り果てるこの瞬間、悲しくはない辛くもないと藤は考える。
(ただ気持ちが悪いだけ)
居住区へ入り暫くすればこの不安感は消えている。
それまでは我慢すればいいだけだ。
耐えられる、そう自分に言い聞かせて歩く。
(歩ける、大丈夫だ)
道路はやがて国道へ繋がる。
そこに人の気配があった。
(何だ)
視点が定まらず暗さもあってよく見えない。
視界の端で人影が動いた。
「藤」
名を呼ばれたその瞬間血が全身を巡った。
藤は今確かに身体を取り戻していた。
それは漂っていた水中から急激に引き上げたような感覚で視野もはっきり鮮明になっていた。
名を呼んだ人物は藤の方へ向かってくる。
暗闇よりなお暗い黒髪が街灯に照らされる。
カラカラと車輪が歩みに合わせてゆっくり回る。
自転車を引き楓は藤の前に立った。
「どうしてここにいる」
尋ねる藤に「迎えに来た」と答える。
「メール入れたよ」
「見てない」
地下に降りている頃にでも入ったのだろう、あの場所は電波が届かない。
「おばさん今日、晩の用意が出来ないって連絡もらったからさ。どこか行こう」
「ああ」
(そうだった、忘れていた)
「入れ違いにならなくて良かったよ。どこへ行く」
「桔梗屋一択だろ」
藤の即決を受けて楓が歩き出す。
動きだした自転車の荷台を掴み止めた藤はそこへ跨がった。
「乗るの」
楓は困惑した顔で藤を見るが当人は真っ直ぐ前を向き当然と言わんばかりだ。
「ここから歩いて桔梗屋まで行けるか」
「じゃあ別の所でも」
「却下だ」
「俺が漕ぐのか」
溜め息が大きく吐かれる。
「他に誰がいる」
渋々楓は自転車に乗った。
走り出す瞬間車体がぐらつく、藤は妙に可笑しくなり笑ってしまいそうになるが何とか堪えた。
代わりに「しっかり漕げ」と前の背を叩く。
安定して走り始めると思いがけない速度で進む。
切り裂いた大気の冷たさに藤はふと我にかえった。
「おい」
「何」
「お前はもう地下に来るな」
大型車が二台続けて横を通り過ぎた。
「何、もう一度言ってくれ」
口を開こうとするがまた自動車が通り過ぎて行く。
「いい、後で言う」
その言葉も楓には届かなかったようだった。
まだ続きます
次回少し間空きますが読んでもらえると嬉しいです




