楓と藤
九鳩市の遺跡を前にして藤は戸惑ったようだった。
(そうなるよな)
枯草積もる階段を一歩先に降りて楓は振り返った。
「何か埋まっていそうだよな」
「何かって」
「蛙とか蛇の死骸」
藤はひどく嫌そうな顔をして無言で楓の背中を押した。
先に行って安全を確保しろ、と冷ややかな眼差しで物語る。
足元を懐中電灯で照らす。
煙草の吸い殻がぽつぽつと散らばっている。
下手をすれば火事になると眉をひそめた。
荒れた遺跡だった。
十雪市の遺跡も似たようなものであるが、定期清掃が行われており、人が出入りする場所として最低限整えられている。
此所は一度でも人の手が入った事があるのだろうか。
荒んだ空気が漂う。
九鳩市が異常なのではない。
これが一般的な遺跡だと楓はつい先日知ったばかりだ。
現在全ての遺跡は財団の管轄下にある。
しかし清掃はおろか、安全点検でさえも全く行われていない。
十雪市の場合は森崎がうまく立ち回り遺跡の保守に予算を回させたらしい。
九鳩市の帰還者が長年踏み固めたのであろう道を進む。
階段を降りきり遺跡内に入ると十雪市と何一つ変わらぬように見えた。
壁に等間隔に並ぶ照明を眺めていると、十雪市なのか九鳩市なのか分からなくなる。
昇降機に一緒に乗り込もうとした楓を藤は遮った。
「いつまでついてくる気だ」
「もちろん下まで」
当然だといわんばかりの態度をとると睨まれた。
「ここから先は帰還者しか行けない」
「俺もそうだよ」
「そんな髪色でよく言えるな」
隙をついて昇降機に乗り込み藤の妨害をかわし素早く操作盤へ手を伸ばす。
「俺も帰還者だよ」
「違う」
「藤が否定しても事実だ」
「違う」
藤はもう楓と目も合わさなかった。
怒りをぶつけられるかと身構えていたが、深い溜め息を吐かれただけだった。
そうなると不用意に言葉を発する事が出来ず、口をすぼめて階層表示を見上げた。
二人を乗せた箱は下降を開始した。
微かに振動を感じる。
音声案内が無かった。
内部の見た目は変わらないが、十雪市よりも劣化が進んでいるのかもしれない。
八という表示が瞬き、箱は内の二人がたたらを踏む程に揺れ唐突に扉を開いた。
今度は先に藤が降りた。
パーカーのフードの折り重なった皺を眺めながら楓は口を開いた。
「根拠の無い出鱈目なんだよ」
真っ直ぐに延びる通路にその声はやけに通った。
「急に何だよ、出鱈目って」
藤は苛立ったように問う。
「うん。藤はさ、俺が下に降りる回数を気にしているんだろ」
閉まる扉の前に二人は立っていた。
その横に小さな硝子面が青白い光を周囲に放っていた。
言葉に気を取られ、反応が遅れる。
藤が気づいて止めようとした時には間に合わず、楓はその発光する硝子へ自分の手首を当てていた。
扉がするすると開いていく。
「おいっ」
肩を掴んで楓を扉から引き離した。
壁にぶつかり痛みに顔をしかめて言葉を次ぐ。
「だからさ、下に降りたとか、殻に入った回数で決まらないんだよ。消失は」
「そんなはずはない」
「消失の要因は年齢だ。それ以外はない」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ。殻どころか遺跡にも一度も入っていない帰還者が消失したと、管理棟の記録に残っている」
管理棟の書庫が脳裏に蘇る。
スチール製の簡素な棚に並ぶ膨大な白い段ボール箱には古びた書類がひっそりと沈んでいた。
その中には帰還者に対する人体実験めいた記録があった。
書類を持つ手が血に汚れていく幻覚を引き起こすような内容だった。
再生する記憶を止めたくて自分の腕を強く掴んだ。
痛みよりも気分の悪さが堪えた。
顔をあげると拳を握り締め今にも殴りかからんばかりの藤の姿があった。
信じたくないとその目は訴えている。
そんな藤と向き合うのがこれ程辛いとは想像だにしなかった。
「どこの誰が言い出したんだろうな。殻に入らなければ消失しないなんて」
それはどこからともなく耳に入る流言の類いだった。
ことの始まりは帰還者と親しい者の願いが産んだものかもしれない、と楓は考える。
藤もまたその願いを抱いた一人だった。
自分自身ではなく一つ年下の幼馴染みへの願いだ。
(藤は優しい)
「消失しない奴だっているかもしれないだろう!」
発光する硝子の青白い光を受けて藤は叫ぶ。
「俺をもう心配しなくていいんだよ」
きりりと胸が痛む。
(どうしてかな)
腕を持ち上げていた。
暖かさと後藤を体躯に感じる。
藤を抱き締めたのだとようやく気づいた。
胸の痛みは更に増す。
「お前は何も変わらなかった」
苦しげに呟く藤を今一度引き寄せた。
「髪も黒いままで。水晶病にかかったなんて、きっとおばさんも母さんも見間違えたんだ。なのに、どうして此所にいる?」
「俺が藤と同じ帰還者だからだよ」
灰色の髪に染みついた冷えた風が吹き渡る荒野の匂いがする。
いつからかこの寂しい匂いから解放したいと望んでいた。
「俺は帰還者なのに、一人だけずっとその責任から逃れていて狡かった」
「違う」
藤は抱き締める楓の腕を押しやった。
「狡いわけあるか。お前が気にする事なんて何一つ無い」
顔を上げた藤の栗色の瞳は淡く輝き白い手が陽に愛された頬を撫で黒い髪をそっとすく。
(帰ってこなければ、帰還者など遠い存在となって、普通の生活を送れたのにな)
管理棟へ留め置く為にもっと知恵を巡らせるべきではなかったか。
今更だと後悔に落ちる藤の体躯を楓は再び包み込んだ。
「このまま抱き締めていたら俺の色、うつらないかな」
「阿呆だな」
本当に愚かしい考えだ。
へへへと笑う楓に「いい加減に放せ」と藤は言った。
「ここ二十年間、消失した帰還者の年齢は四十歳前後だ」
告げられた言葉に藤ははっとしたように目を見開いた。
「雪さんは四十をいくつか越えたばかりだった」
「当てはまるね」
藤の伏せた睫毛の奥には穏やかに微笑む一人の男の姿があった。
「四十だとしても、俺たちはあと、二十年以上だ。二十年も先なんて遠い。遠すぎる。永遠にも等しいくらいだ」
「大袈裟だな」
呆れる藤の視線は楓へと戻っていた。
帰還者だと名乗り出るつもりはない、と話すと安堵したのか藤が小さく静かに息を吐いた。
帰還者は貴重な存在だ。
隠蔽は罪に問われる。
懲罰は帰還者本人ではなく親族へと下される。
境界探索中の両親は最悪の場合、無期限の期間延長さえ想定される。
「代わりに俺は帰還者の為に働きたい。今の状況を変えたい。他人事じゃない。俺だから出来る事はあるはずだ。それを果たしに行きたい」
「具体的にはどうするつもりだ」
「いや、実はまだ分かってない。勉強中。でもきっと、どうすればいいのか見つけられると思う」
曖昧な返答をし困った顔で「具体的・・・」と考え始めた楓に「やっぱり阿呆だ」と罵った。
そのくせ藤の心の内には奇妙な高揚感があった。
楓は必ずや道を見つけ誓いを果たすだろう、ふいに確信が沸き上がる。
根拠は無い。
違う都市にいるという高揚感のせいかもしれない。
困惑を抱えながらも、こんこんと体躯の内を満たし始めた眩しく輝くものから背を向けられなかった。
「消失がこの先の待っていようとも、帰還者という誇りを持ちうる未来を」
楓が唐突に言う。
「受け売り」
へへへとまた笑う。
(希望を持ち過ぎじゃないのか)
口を開こうとして止めた。
代わりに「そうだな」と素直に賛同した。
二人で殻に入れば回復する人数が多くて変に思われる、藤の意見に渋々頷きそれでも一緒に室内に入ろうとした。
「上で待て」
通路へ追い出され昇降機へ向かわざるを得なかった。
途中ちらりと振り返ってみたが「早く行け」と冷たくあしらわれた。
一人になると藤は高い天井を見上げた。
今までひどく狭い視野で楓を見ていたのだろうか。
楓の進まんとする意思を阻もうとは思わない。
しかし尚も自分が消失しても楓はそうはならないという希望は捨てきらない。
ならば自分はこれからどうあるべきか。
殻へ向かう靴音が響く。
その反響音は軽快に体躯の芯へ落ちてきた。
次のお話で一先ず船は終わる予定です。
まだお話自体は続くのですが、船としては終わりです。
全部読んで下さる方がいますようにと願いつつ。




