新しい友人
家を出ようと玄関でいつもの靴に片足を入れた。
雑誌で高評価を得ていたバンドの新譜がそろそろ発売日ではなかったか、ふと思い出す。
結び終えていた靴の紐を解き部屋へ戻った。
机の上に開いたままだった雑誌を取り上げ頁を捲る。
昨日の日付が発売日となっている。
(市外へ出る前に寄るか)
廊下へ出かけたところで向きを変え再び部屋へ入る。
壁の造り付けの棚から薄い箱を取り上げると鞄へ突っ込む。
何時もより家を出るのが少し遅くなった、走ってバス停へ行く。
鞄からかたかたと箱が何かにぶつかる音がする。
利用客が多い時間帯は避けているので今日も乗ったバスの車内は空いている。
座席に座り深く被ったパーカーのフード越しに窓の外を眺める。
藤の住む集合住宅はハ23居住区の外れにありバスは走り始めてすぐ隣のロ38商業区へ入った。
建ち並ぶ高層建築の硝子張りの外壁は晴れた青空を映す。
最近整備工事が終わった道路の街路樹はまだ若くひょろひょろと頼りなげに細い幹を秋の大気に晒す。
今日は昨日より気温が低いような気がする。
もう日を浴びても熱を感じない季節になっていた。
(肌は焼かれないけれど、人並みに熱は感じるんだ。これでも)
誰に言うでもなく心の中で呟く。
高層建築の尖塔がきらりと太陽光を跳ね返す。
今はまだ青空が見えるが来月辺りから雲が厚く覆いだす。
そして春が来るまで空が青いことなど忘れてしまうような日々が続くのだ。
季節は巡る、暦は一つまた一つ×印が増えていく、毎日同じバスに乗る。
いつまでこの日常を続けていけるだろうか。
(あと何回このバス乗れる?)
不意に車窓を流れていく景色が色鮮やかに目に映った。
胸に渦巻く薄暗い不安と正反対に、とうに見飽きたはずの景色は今芽吹いたばかりのような新鮮さに満ちていた。
藤は余りにも見入ってしまい降りるはずの停留所を乗り越してしまった。
藤が市外へ行く前に向かった先はミヤと知り合うきっかけとなった通称あの店である。
大手企業名が記された高層建築群が並ぶ大通りから横路に入り雑居ビルが肩を寄せ合う通りにその店はある。
雑居ビルの中でも一際間口が狭く四階までしかない造りである。
一階は塗装の剥げた鎧戸が降りていて閉店しているかに見える佇まいだが、道沿いからは隠れている階段を上がると店は開いている。
店の噂を聞きつけて初めて来た客などは勝手が分からず帰ってしまったりする。
そのような店なのでさぞ気難しい店主がいるのかと思えばそうでもない。
店員の質の良さは誰しもが認めるところであって、三階の喫茶では寛ぎきって一日を過ごす客もいる。
藤が鞄へ突っ込んだものは貸すと約束したアルバムだ。
名前さえ覚えていないが約束したものを破る理由はない。
平日の朝に学生だろうあの少年が店にいる確率は低いが構わない。
もともと預けておくつもりで持ってきたのだ。
店の私設私書箱を使う。
受取人を自分以外の誰かを指定して物の受け渡しをするという使い方も出来るので、ミヤの名前にする。
以前お試し券なるものを貰っていて使い途も無く財布で眠っていたがようやく日の目を見る。
店員が差し出した申込書に記入していると人の影が紙面へ落ちた。
「やっぱりな、藤か」
誰の声か分からず顔を上げると眼鏡をかけた男が一人立っていた。
「シノ」
「正解」
シノは不思議そうに藤が記入していた申込書を覗き込み指先で端を突いた。
「これは何?」
「私書箱の申込書」
「私書箱?そんなものがあるのか」
「名前は忘れたけれど、ちびがいただろう、桔梗屋で会った時。約束してたから」
アルバムを卓上に滑らせてシノに見せる。
「お前人が良すぎないか」
「うるさい、俺はこの音の格好良さが分かる奴には親切にしてやると決めている」
「語り合うなら楓がいるだろう」
「あいつは駄目だ。分かっていない」
「面白いな、お前」
気の良い笑い方をする。
こういうところは少しミヤに似ているかもしれない。
「あのちびはスズっていうんだ。覚えてやってくれ」
俺が渡しておくよとのシノの申し出に「頼む」と手渡した。
受け取ったアルバムをしげしげと眺めているので藤は「もし興味があるなら先に聴いてもいい」と言ってみた。
「こっち系は聴いたことがないな。うん。じゃあ聴かせてもらおう」
良かったら感想を言う、とまたにっと笑う。
鞄へ仕舞うとシノは人差し指を天井へ向けた。
「上に寄っていかないか」
三階の喫茶のことだ。
「いや、これから仕事があるから」
一瞬シノが息を飲む、しかしそれ以上の動揺は見せなかった。
「じゃあまた次の機会に」と何気ない約束を口に出す。
その挙動に藤は気付かない振りをした。
「ああ」
手を軽く上げ店を出た。
今日も仕事は多い。
乗る予定のバスの時刻が迫っている。
藤は走ってバス停へ向かった。
また次も読んでもらえるようがんばります。




