3話
事務所に向かう車の中、運転中にちらちらと横から視線を感じた。
横目で女を見れば視線があったことに驚いたように肩を跳ねさせ、慌てて視線を不自然に外へと流す。
不安そうな表情は、稀種でなければ思わず声を掛けるほどの弱々しさだ。
「……あちらの世界と、景色が違うか」
「え?あ、いいえ。全く瓜二つです」
居心地の悪い空間を打破するために質問をすれば、きょとんとした声を上げた後に返ってきたのは意外な答えだった。
異界と表現されるからにはなにかしらの違いでもあるのかと見越していたのだがそうでもないらしい。
「あの、水科さん……なんでカイなんですか?」
今度は此方が予想外の質問に面食らった。
事態を理解するのに数秒時間を要したが、先程名乗った名前とルイが呼んでいた名前のことを言っているのだと把握する。
「……あぁ、呼び方か。海だから、音読みでカイ、だ。向こうの世界でもそう呼ぶのかはわからんが」
「あ、いえ。音読みですね。ありましたよ」
なるほど、と納得する女の呆気ない程の平凡さに違和感すら覚える。
しかし、十六の年端もいかない少女が知らない世界に放り込まれ、ここまで平然としていられるものなのだろうか。
「平気なのか」
「なにが、ですか?」
自分の置かれた立場をわかっていないのか不思議そうな声に、思わず眉を顰めた。
泣きわめかれても迷惑だが、危機感すら感じられないなど、無防備を通り越して阿呆ではないか。
「ここは貴様が生まれ育った世界ではないんだぞ?」
「戻れないかもしれない、ってことでしょうか?」
頷くと、女は小さく笑い声を漏らした。
なにを今更、と目がそう語っている。
「確かに、寂しいなって思います。でも、戻れないのなら嘆いても仕方ないことです。私、諦めること得意ですし」
眉を下げたまま、しかし口元に笑みを絶やすことなく話すその声に、俺はふっ、と片方の口端を吊り上げる。
「殺されてもか」
保護監察は名目上であり、覚醒すればすぐにこちらの手で排除することになる。
俺の言葉に怯えるかと思えば、女は驚いた様子もなく落ち着いて頷いた。
「覚醒したら、処分されるのですよね。だからといって、私になにができるというのですか」
痛いのは確かに嫌ですけど、と静かな声が車内に響いた。
どうやら全てを受け入れているようだった。
反抗的であったり、ただただいずれ迎えるであろう最期に怯えていたりする反応ばかりを想定していたから、肩すかしを食らう。
「……気に食わんな」
思わず、小さく声を漏らしてした。
全てを諦めているようなその言葉も、全てに流されるまま対応する姿も、それでいて辛そうに笑う表情も。全てが厭わしかった。
俺の言葉が耳に届いたのか、女は困ったように私もそう思います、と静かに言った。
そのまま俺が黙ると、女も口を閉ざす。
窓の外を見つめたまま結局、事務所に着くまで一言も喋らなかった。
「あ、おかえり~」
事務所の扉を開けば、コウが疲れ切った笑みで出迎えた。
その表情を見ると、任せておいた事務仕事は無事終えられたらしい。
俺が車いすを押して部屋に入れば、コウは目を丸くして、女を見つめた。
「え、この子だれ?」
「稀種だ」
「え! この子が!?」
俺の言葉にコウは益々目を丸くして女を上から下まで観察するように眺めた。
その視線に耐えられないのかちらりと女が此方を見上げる。
助けを求めるような目線。本当に、小動物のような女だ。
か弱くて、放っておけばすぐに死んでしまうような―――
「……コウ、あまりじろじろ見るな。シンも言っていただろう、稀種は人の形を保っていると」
「驚いたなあ……普通にかわいい子なのに」
縋るようなその視線に、助け船を出すとコウはようやく視線を外すも未だに納得していないように首を捻っている。
そのまま、車いすに座る女に片膝をついて目線を合わせると、にこり、とコウお得意の人懐こい笑みを浮かべた。
「僕は、深紫晃司。皆はコウって呼ぶよ。君のお名前は?」
「し、白羽由紀です!」
「じゃ、ユキちゃんだね」
緊張気味に名乗る女の手を取って、気障にウインクするコウに溜息をつく。
こういう軽薄な所は本当に、ルイにそっくりだ。
俺の溜息が聞こえたのかコウは立ち上がって、宥めるように微笑んだ。
「じゃあ改めましてユキちゃん。ようこそ!我々の事務所へ!」
「何故貴様が我が物顔をするのだ」
「ごめん、ごめん。だって、カイくんだとお堅いしさあ」
一応ここの長は俺なのだが。
しかし、コウのように女を歓迎するつもりはなかったので、けらけら笑うコウをこれ以上追及するつもりはなかった。
「とりあえず、ユキちゃん。アイツの作った食事しか摂ってないんでしょ?なんか美味しいものでも食べよっか」
コウの言うアイツ、と呼ぶのは紛れもなくルイのことだろう。
以前は存在を口に出すことでさえ嫌悪を示していたのに、名前は出さなくとも会話に出てくるようになったのだから、確執は消えずともあの出来事が過去のことになりつつあるのだろうか。
「話は、それからだね」
状況が把握できず、オドオドしている女に笑いかけると、コウは俺から車いすのハンドルを奪い、シンの眠るソファーまで移動させ、そのまま事務所の簡易キッチンへ向かった。