紫紺の槍
未だに炎がくすぶっている一際大きいサンドウォームの胴体の前でリューイが左手を軽く振ると、炎はたちまちその勢いを止めた。
輪切り状態となった断面部分からキラキラと光る繊維のようなものが顔を出している。リューイは迷わず手を突っ込み、繊維を掴むと乱暴に外へ引きずり出した。
金糸のように滑らかな輝きをたたえた細い繊維の束が、表面を覆う体液の上に夕日を反射させながら重い音をともなって砂の上に落ちた。
サンドウォームの体内ではその口から飲み込んだ砂や結晶が分解され、再構築されて丈夫な筋繊維に生まれ変わる。その際に胃液や体液が含有されることで人の手では作ることの出来ない特別な性質を持った繊維が出来上がる。
これはサンドウォームの飲み込んだものによって様々に変化するため巷では砂漠の涙と呼ばれ高値で取り引きされており、高いものになると国一つ買える程の金が動くこともある。
一匹のサンドウォームから採れる量にも変動があるが、多くて一キログラム程という非常に貴重な物質だ。
五感を研ぎすまし、ばらけた胴体の中から繊維のある場所を探していたリューイだったが一つの破片の前まで来るとぴたりと歩みを止めた。
まがまがしく重苦しい人間の気配を感じる。周囲を見回しても姿は見えず、気配は間違いなく千切れたサンドウォームの体内から漂ってくる。リューイは左手を前に突き出した状態で膝を落とした。
「どなたかしら?」
傷の痛みは未だに容赦なく全身を走り抜けている。さすがのリューイも今誰かと対峙することは避けたい事案だった。魔女の回復力は常人のそれに比べて圧倒的に高いが、折れた骨が元に戻るまでは少なくとも二、三日は掛かる。
「俺の寝床をこんなにしたのは誰かと思ったが、外に出てみれば女が一人」
全身を紫の鎧に包んだ男が一人、のそのそと腹の奥から姿を現した。水晶で出来た半透明の鎧の上からは装着する男の肌は一切見えなかったが、背の高さはリューイをはるかに上回っていた。
「サンドウォームが暴れ始めたのももしかしてあなたのせいかしら?」
「知らぬ」
男はそう言うと背負った三つ叉の槍を両手に持ち直して構えた。槍はぴたりと静止して動かない。
「私とやる気?」
「このままでは腹の虫が収まらぬ。貴様を裂いてその魔力をいただくとしよう」
「あなた何者? 妖気を纏っているようだけれど」
会話を続けながら傷の回復を計っていたリューイだが、目の前の男と完全な状態で戦ったところで自分に勝ち目がないことには気付いていた。杖を得た状態でやっとといったところか、殺気と圧力だけでいえばジンドのそれすらも遥かに凌駕している。
「教える必要はない」
男の槍がぴくりと動く、と同時にリューイは両目から熱線を発した。構えた左手に警戒を向けていた男はほんの一瞬動きを止めたがすぐに構えた槍を高速で振りぬき、熱線を消し飛ばした。高熱を帯びた血は瞬時に空気に触れて蒸発し、後から鉄の臭いがやってくる。
「血か、くだらん技だ」
リューイは既に男の真上に飛び上り、左手から炎弾を撃ち込もうとしている。
「確かにそうかも」
高速の炎弾が男の脳天を撃ちぬくかと思われたが、兜から飛び出す尖った水晶の柱に触れると瞬時に消え失せ、渦巻いた風が男の周囲の砂を空へ舞い上がらせた。
「あの鎧……」
男は空中のリューイ目がけて渾身の力で槍を放った。高い風切音、もはやかわせる速度ではない、リューイは身体を横向きに変え硬化させた左手の爪で右手の二の腕を掴んだ。
三つ又の槍の中心の刃がリューイの爪の上に直撃すると、金属と金属の擦れる嫌な音を出しながらリューイの乱れた髪を切り裂いて天高く逸れていった。こめかみが少し削れて鮮血が流れ出る。
体を翻して地面に降り立ったリューイを見ながら男は動きを止めていた。
「器用なものだ」
軽い音を立てて男の数メートル後ろに槍が落ちてきた。その投擲術もさることながら、最も恐るべきは男の槍に対する執着が全く感じられないことだった。得物を使う戦士ならばどうあっても得物に頼りがちになってしまうもの、その執着心は技を得るためには必要不可欠なものだが使う者が未熟であれば隙に繋がってしまうこともある。
型にはまらない戦い方というのは存外やっかいだが、それが出来る程の腕を持つことが大前提の話である。
「私の顔に傷をつけるなんて、罪な人ね」
「もう諦めろ。お前に勝ち目はない」
リューイはにっと口角を吊りあげるとこめかみの血を指に付け、おもむろに口に運んだ。
「魔法使いをなめないことね」