8人目
大聖堂から空間移動魔法を使用したジャンクスは、アメーリアの守る国境沿いの石壁の上に降り立っていた。多少風が強い以外には、静かな荒野に延々と石壁が続く単調な風景。一定の間隔で設けられた櫓の上へと飛び上がり、周囲を見渡してみても、特に争ったような形跡や物音はしない。
が、それこそが本来あってはならない状況だった。
周囲に人の姿が一切見当たらないのである。本来前線部隊が防衛線を張っていなければならない重要な防壁、周囲に敵の気配は無いがこれではあまりにも無防備だった。
「アメーリアは何をしてやがる」
ジャンクスは東西南北全ての櫓へと飛び回ったが、見張りについている魔法使いは誰1人おらず、石壁の裏手にある守衛キャンプさえも、もぬけの殻だった。
最後の櫓へと差し掛かったとき、ジャンクスの表情が険しくなる。
濃い紫色をしたゲル状の何かが櫓全体と、その周囲の石壁にべったりと張り付き、
一定の間隔で膨れては縮む動作を繰り返していた。
「なんだ、こいつは……」
「やっぱりあんたが来たか」
ジャンクスが声のする方へ振り返ると、両腕を組んで立つ女の姿があった。
「ジート?」
そう呼ばれた女は、ボサボサの長い髪を細長い指でかきあげた。どぎつい紫色の爪が茶色い髪の間から見え隠れする。
「どうしてお前がここにいる? 何故聖堂に来なかった」
「ディーヴァの集会? そんなものに興味はないわ」
ジート、毒の精霊の加護を受けたディーヴァ。
ディーヴァは本来、眼球全てに加護を受けた精霊の色を宿すものだが、ジートだけは虹彩のみが濃い紫色をしていた。毛羽だった長い髪は膝まで伸び、空気を含んで横に広がっている。均整の取れた顔立ちと高い鼻、しかしそれを打ち消すほどに肌の血色の悪さが目立った。
「フラーモの戦争だぜ? 他人事じゃねーだろ」
「元は上の奴らがふっかけた喧嘩だろ?なんでその尻拭いを私がやらなきゃいけないのよ」
ジートが自らの髪の毛を撫でるように何本か引き抜くと、まるで生き物のように絡まり合ったそれが、杖の形へと変貌した。
「そんなことよりあんた、アメーリアを探してるんじゃないの?」
「知ってんのか?」
「当たり前じゃない」
黒く、禍々しい杖の先が石畳の上で鈍い音を立てると、ジャンクスの後方で蠢いていた塊に鋭い亀裂が入った。紫色の煙が中から漏れ出すと共に、変わり果てたアメーリアの首と腕が零れ落ちる。それは地面に叩きつけられると、水風船のように破裂し、一瞬で蒸発した。
「精霊の使い、ディーヴァ様の成れの果て。ひどいものでしょう?」
ジャンクスはジートの台詞を聞いても、まだ状況が把握できていなかった。
強大な力を持つディーヴァだったアメーリアが、死んだ?
誰にやられた? ジートは今何をした?
「バーサーカーにやられたのか? 」
ジートは不機嫌そうに舌打ちをしながら、正面に杖を構えた。
「馬鹿だね、あたしがやったんだよ。蛮族なんぞと勘違いするんじゃねぇ」
杖の先から、幾筋もの紫色の帯のようなものがジャンクスに向かって撃ち出された。地を蹴り、真上に飛び退いたジャンクスの右手には、既に何処からか転送された2メートルはあろうかという大杖が握られていた。