火種
「はっ!」
深い森の中に精悍な声が響きわたる。それは1人の少女が薪の束に向かって炎の玉を放つ瞬間だった。みるみるうちに炎は燃え上がり、巨大な火柱となって鬱蒼とする木々の葉の間から空へと立ち上がった。
「おばあちゃん、見て見て!」
幼いベネディクトは、側でロッキングチェアに腰かける祖母の肩を揺らした。
「ベニーは偉いねえ。もうこんな魔法が使えるなんて」
祖母の皺だらけではあるが暖かい手のひらで頭を撫でられ、ベネディクトは夢心地だった。ベネディクトの両親は彼女を産んですぐにこの世を去った。優秀な魔法使いだった2人は貴重な戦力として戦争に駆り出され、命を落としたのだ。
当時、ベネディクトやリューイの出身国である魔術の都フラーモは、隣国ガイナスと長きに渡って戦争を繰り広げていた。
数百年の歴史を持つ古都ガイナスを統治する王バルザックは、魔術によって一気に繁栄を極めたフラーモを快く思っておらず、魔術という不可思議な現象についてもひどく懐疑的だった。
当時のフラーモは完全な鎖国状態にあり、外界との交流を遮断するその姿勢にもバルザックは憤りを感じていた。互いの国はそれぞれを見下し、いがみ合ってはいたものの、争う程の必要性もメリットも無いため、静かに独立した暮らしを送っていた。
2つの国が戦争という最悪の道を歩んでしまった原因は、ほんの些細な出来事だった。フラーモの魔女の1人がガイナスの男の子どもを身ごもったのである。
鎖国状態に嫌気がさした若い魔女は、用水路を通って密かにフラーモの外へと出かけ、そこで知り合った旅人と恋仲となった。2人はお互いが敵対国の出身であることを後になって知ったが、その頃には新しい命がその身体の中で育ちつつあった。
若い魔女はこのことを隠し通そうとしたが、魔力の流れを見ることが日常的である魔法使いたちの中では、いくら口を閉ざしたところで時間の無駄だった。騒動は瞬く間に両国に知れ渡り、これに乗じてガイナス側が動きを見せた。
「父親がガイナスの出身であれば、その腹の中の子どもにもガイナスの血が流れている。女と共にこちらに引き渡せば手厚く保護することを約束しよう」
表向きのガイナスの言い分はこうだったが、その裏には魔女の血を受けた者を研究することにより、魔術の真理を解き明かそうとするバルザックの狙いがあった。フラーモはこの申し出に対し沈黙、数週間が過ぎたころにようやく声明を発表したのだが、その内容はあまりにも衝撃的なものだった。
「気高き魔術の血脈に蛮族の血が混じることなどあってはならない。魔女は既に斬首された。今回の件は全てが運命のいたずらによって起こってしまったこと、魔女の主人である者の首を差し出せばこちらで魂の浄化を行い、相国の関係は保たれるだろう」
蛮族と罵られた挙句、その血が流れた子どもを殺されたことに、同族の絆を何よりも重んじるガイナスの国民は激怒、もはやお互いが歩み寄る道は閉ざされた。
フラーモ側はこうなることを予測していなかったわけではない。ガイナス側を焚き付けることによって、煮え切らない現状を打破しようと考えたのだ。もちろん自ら戦を仕掛けることもできたのだが、その立地条件や結界魔術の特性上、攻めよりも守りの戦においてこそ、フラーモは本領を発揮できた。目を血走らせて攻めてくる力自慢な蛮族ほど、扱いやすい相手はいなかったのである。