月光
王都らしい小洒落た宿の2階の一室で、リューイはベッドに腰を下していた。ジンドは下の階に部屋を取っている。リューイは宿で部屋を選ぶ際、窓の外に見える景色を重視した。月明かりに照らされる町並みを眺めながら精神統一をするのがリューイの日課だった。静かな夜、町はまだ青白く明るいが人の気配は消えている。
室内に灯りは無かったがリューイの身体の輪郭は不思議と優しく光り輝いている。それは空気中に舞う炎の精霊がリューイのもとへと集まってきているせいだった。黒く艶めく長髪が光を湛えてより一層幻想的に揺らめいた。
リューイは不意に立ち上がると窓に近づき、指でガラスをなぞった。軌跡と共に指の腹に水滴が付く。
「……」
窓は徐々に白く染まり、町の風景を隠していった。
夜になり気温が低くなったせいだけではない。冷気が壁面から染み込んで、薄い氷の膜が徐々に浸食していく。
「これは……」
リューイが窓を開け放つと、肌をさすような風が上空から吹き込んでくる。長い髪が激しく背後へと流れた。宿を見下ろすようにして佇む時計台の上に何者かの陰を視認すると、リューイの体から湯気が上がり、熱風が渦巻く。
「ベネディクト……」
リューイは窓から飛び降りると宿の煉瓦の壁を蹴り上げ、時計台の上へとゆっくり舞い上がった。闇にとけ込むような黒いドレスは月明かりで濃い青色にも見えた。
リューイが時計台に立つ人物の前まで来ると、それまで止まることの無かった凍てつく風がピタリと止んだ。身体に合わない大きなローブを羽織った何者かがゆっくりと振り返る。ローブの裾は地面に擦られてボロボロになっていた。
「ほら、やっぱり出てきた」
「見てたのね、あの商人の目の奥から」
「そう。驚いた~、まさか王都にあんたが居るなんてさ」
背は弧を描くように丸く歪んでいる。しゃがれ声だったが、辛うじて女であることはわかった。
「知らない間に随分歳を取ったのね、声も枯れているようだけど」
女はむせるように笑った。
「色々実験したからね、代償は大きかったけどその分得たものもあった」
細く白い腕が、深く頭を覆い隠していたフードをゆっくり脱ぎさると、その下に現れたのは少女のようなあどけなさを残す美しい顔だった。毛羽立った長い髪と猫背で前のめりになったままの背中が異様にミスマッチで、際立つのは不気味さだけだった。
「顔だけ取って付けたみたいね」
「見た目なんてどうでもいいの。私は手に入れた、あんたと同じ力を」
女が開いた両目にはリューイと同じように白目と黒目の境が無く、淀んだ白色が広がっているだけだった。
「それは何?」
「わからないの? 私も精霊の加護を受けた。あなたと同じ、ディーヴァになった」
リューイは髪を掻きあげてから後ろで一つに結いなおした。視線は時計台の下に広がる町並みに向けられている。
「ベネディクト、それくらいにしておくことね。精霊の加護は生まれ持ってのもの、後から発症することはないわ」
ベネディクトと呼ばれた魔女はにっと口角をつり上げて黄ばんだ歯を見せた。
「なら私がそのさきがけになる。あんたにはその足がかりになってもらう」
「弱い人間の力を借りなければ生きていけない魔女がほざくなよ」
ピシッと何かが弾けるような音がしたと思うと、2人の魔女は中空に飛び上がっていた。月光を反射させた雲が立体的に浮かび上がるその横で、冷気と熱の衝突が起きようとしていた。
リューイが指先から放った炎弾でベネディクトのローブが千切れて燃える。その下から現れた体表には、何本もの管のようなものが内側から飛び出して、一つ一つが意思をもったように蠢いていた。
「醜いと思うかい?」
リューイの周囲の空気が凍りつき、小刻みに不快な音を立てはじめる。
「頂戴よ、あんたの身体」
瞬時に現れた針のように鋭いつららが、リューイ目がけて全方向から突っ込んできた。