赤い風景
商人には病気持ちの妻とまだ幼い娘がおり、各地で宝石を売り歩きながらその利益を2人へ送り届ける生活をしている。魔術師の都フラーモを訪れたのは、呪術的観念への意識の高い人々なら自然と宝石にも興味を持つだろうという考えからだった。
しかし現実はそれとは逆で、知識の高い魔術師たちからすれば商人が簡単に取り扱える宝石などたかがしれており、いくら路上で勧誘しても見向きもされず、一蹴されてしまうばかりだった。
これではフラーモまでかけた旅費すら取り戻すことができない、肩を落としていた商人の前に背の丸まった1人の魔女が近づいてきた。
「宝石を売っているんだって?」
「ええ! 是非見ていってくだせえ」
「生憎だけど石っころに興味はないの。あなた商人でしょ? 各地を渡り歩いてる?」
「ええ、まあ」
女の漆黒のとんがり帽子の下からは、地面につくほどに長く毛羽立った髪が不気味に垂れ下がっている。商人は女のしゃがれた声に肌の粟立ちを抑えられなかった。
「金がいるんだろ? 私が工面してやろうか?」
女が袖の奥から取り出したずたぶくろを広げると、中には大量の金貨が隙間なくつまっていた。目の肥えた商人にはまぶしい程の輝きをたたえているそれが、本物の金貨であることはすぐにわかった。
「いいかい? 簡単なことさ。あんたの目を私に貸してくれればいい。貸してくれっていってもほんのちょっぴり、視界の隅が暗くなるだけだよ。それだけでこれ全部手に入るんだ、安いもんだろ?」
「それを全部ですかい?」
「ああ、そうだ。宝石売りなんてするより随分割が良いだろ? どうだい?」
女が伸ばした手は白く透き通っていて皺が一つもなく、まるで人形のように精気が感じられなかった。商人は身動きが取れずただ黙って冷たい女の指の感触を頬に感じていた。
「わかった」
自然とそんな言葉が口から出ていた。
「……良い買い物をしたわ」
白く輝く女の両目が見えたと思った瞬間、自分の手には金貨の入っていた袋が握られており、女は忽然と姿を消していた。
「へえ、じゃあいいじゃない。お金が欲しかったんでしょう?」
リューイは街の雑踏を聞き流しながら退屈そうに呟いた。
「それが、開けてみたら金貨は一枚も入ってなかった……ただの汚い袋だけさ。最近は右目がほとんど見えないんだよ、左目にももやがかかったようだ。このままじゃ商売もできなくなる……助けてくれよ。あんたも魔法を使うんだろ?」
商人は再びリューイにすがりつこうとしたが、直前で思い直したように手を引っ込めるとその場にひざまずいて額を地面にこすり付けた。
「この通りだ、魔法を解いてくれよ」
「あんたの欲深さが招いた結果でしょう。それに私は解呪の法を知らない。もうどうしようもないわ」
おもむろにリューイが振った手のひらから手品のように金貨が数十枚現れた。
「イヤリング代よ、もう行くわ」
リューイが地に置いた金貨の束を眺めながら商人は力無い笑顔を浮かべた後、ぽろぽろと小さく丸い涙をこぼした。
「ありがとうよ、ありがとう。すまねえ……」
リューイの背中を目で追った後、ジンドは金貨を素早く袋に入れて商人に手渡した。
「人目についたな。商人に手を出すものはそういないとは思うが、大金だ。気をつけて持っていけ」
「ああ、あんたもありがとう。最近は嫁と娘の顔が見れなくなるのが恐くてよ……でもこれで帰れるよ、今は少しでも長くあいつらと過ごしたい」
リューイの渡した金でしばらくは家族を養うことができるだろう。しかしいつまでその姿を眺めていられるかはわからなかった。商人は袋を大事そうに抱えた後、思い出したように言った。
「そうだ、今はこんなものしかねえが、さっきの魔女さんに渡してくれ」
商人が先ほどの赤い小箱とは別に、懐に忍ばせていた手の平に収まるほどの紙袋をジンドに手渡した。
「滅多に出回るものじゃねえ宝石だ。貰った金貨分の価値はないかもしれねえが、昔採掘場で働いてた時にちょろまかしたもんだ」
「わかった、渡しておこう」
商人は深々と頭を下げると都の入り口へと足早に去っていった。小太りで服装も粗末では無かったが、その背中からは深い哀愁が漂ってくるようだった。
少し歩くと煉瓦の壁に寄りかかったリューイの姿が見えてきた。真っ黒いドレスに身を包んだ背の高い魔女、煉瓦の赤と相まって、その情景は絵のように止まって見えた。
「さっき話していた魔女に心当たりがあるのか?」
「……」
「白い目と言っていたが、精霊の加護を受けた魔女なのか?」
リューイはふっと鼻で笑った。
「違うわ、チャチな魔法でそう気取っているだけよ。下等な魔女だわ」
「あの商人はどうなる?」
ため息混じりにリューイは続けた。
「死ぬだろうね、解呪できたとしても遅すぎる。今生きてるのは魔法を掛けた魔女の魔力のおかげ。生かされてるのよ」
「何の魔法をかけられたんだ?」
「視覚の共有あたりじゃない? 商人の目に映る景色を術者も見ることができる。ただ、それだけじゃあそこまで体にガタはこない。何か別の魔法も併用してるんでしょうね」
オリジナルの魔法の作用まではその術者にしかわからない、そう言ってリューイは背を預けていた壁から離れた。
「これをお前にと」
ジンドが小袋を渡す。リューイが無造作に開けた袋の中には強烈な赤色を湛えた丸い球が入っていた。中で炎が燃えているかのように光が溢れてくる。
「エンシェントルビー……精霊の化石か。割と趣味が良いのね」
青い匂いの風が吹く。赤いベリーの実が詰まった籠を、少女が頭の上に乗せて器用に歩いている。レオンハルト城の真上に上がった太陽が、少女の陰をより黒くした。