6.気に入られた者は
毎日、夜明けと共に監獄内にヘリコプターでいくつものコンテナが運ばれて来る。
その際に決まって起こるのが食糧や衣類やらの争奪戦。
平等に配給されるわけではなく、全て早い者勝ちだ。
量に不足はなく、割り当てれば全ての駒たちに行く届くはずなのだが、駒の中には遠慮も知らず欲しい分だけ持っていく輩も数多く存在する。
出遅れることにメリットはないのだ。
その上、空になったコンテナには駒や肉食獣の死体を収容し、どこかへ運ぶことになっている。
おそらく使い道のない死体は破棄されるのだろう……
毎日争奪戦に参戦するのはリュウセイとガウの役目。
クオンは羅刹だと周りに悟られないようにするため参戦出来ず、ニコラスに至ってはあんな野蛮な群衆の中に飛び込んだらもみくちゃにされるのがオチだ。
だから2人はコンテナにたかる群衆を遠くから傍観するだけだ。
怒声が響き渡り、時折勃発する乱闘を無関心に傍観している2人の元へ、きょう1日分の食糧やら武器を確保したリュウセイとガウが戻って来る。
いつものことながら、もみくちゃにされた2人の服はヨレヨレで、ひどく憔悴しきっていた。
「疲れた~。
ニコラス、お前の可愛さで俺を癒してくれ~」
「やだよ!
寄るなおっさん!
ヒゲが痛いんだよっ!」
嫌がるニコラスの反応を楽しむように、ガウが無精髭が生えた顔をニコラスの頬に擦り付ける。
そんな微笑ましい光景を見つめ、クオンが呟く。
「……親子みたい」
「はあっ!?
僕とおっさんが!?
冗談じゃない!
おっさんと親子に見えるくらいならサルと親子に間違われたほうが10倍はマシだ!」
「ひでぇなぁニコラス~。
お父さんは悲しい。
泣いちゃうぞ」
「勝手に泣けよ!
てゆーか、誰がお父さんだよ!」
「……朝から騒がしい奴らだな」
横で繰り広げられる騒音にリュウセイの顔がしかめられる。
「さてと、腹も減ってきた頃だし朝飯にするか」
「じゃあ私は向こうに行ってる」
「おー、行ってらっしゃーい」
ガウの陽気な声に送り出されるクオン。
これも日課の1つだ。
3人が食事をする時、クオンは決まって単独行動をする。
3人が食事をしている間にクオンも食事をするためだ。
羅刹とは厄介だ。
飢餓感が表れる時間に統一性はない。
飢餓感が表れないからと言って食事をしなければ、飢餓感が唐突に表れる場合もある。
そうなった時、真っ先に身近にいる人間を喰らおうとするだろう。
最悪の事態をどうしても避けたかったクオンは、こうして、3人が食事をする時間帯に1人食事に向かう。
1日最低でも1人の人間を喰らう。
それはリュウセイやガウも黙認していることだった。
クオンはこれから自分が引き起こす惨劇に罪悪感を覚えながら、重い足取りで3人の側を離れた。
―――食事を終えたクオンは、3人の元への道程を辿っていた。
口内に居座る鉄の味がなんとも煩わしかった。
人間を喰らい、1度も美味しいと感じたことはない。
ただ生きるために喰らっているに過ぎない。
他人の命を貪り自分の命を繋ぎ止めるなど、嫌悪感しか抱かない。
自分もかつては同じ人間だったというのに……
人間を喰らったあと、クオンは必ず思う。
消えたい、と……
気分がどんどん暗く沈んでいく。
そんな中、見知った顔に出くわした。
「―――ハロルド?」
クオンがハロルドと呼んだのは、リュウセイやガウと同年代くらいの男。
象牙色の短髪に、少し垂れ下がった青緑色の優しげな目元。
彼も羅刹の1人だ。
ジゼルほど長い付き合いではないにしても、クオンもジゼルも30年来の知り合いだ。
ハロルドはクオンに柔らかく微笑む。
「久しぶりだねクオン。
3年ぶりかな?」
「うん。久しぶり」
「最近ジルドとは会った?」
「うん、2ヶ月くらい前に。
元気だったよ」
「そう、よかった」
「ところで、その子は?」
クオンの視線の先には、ハロルドの背中に隠れるニコラスと同年代くらいの少女がいる。
桃色のふわふわの髪に、アメジストのような紫色の大きな瞳。
どこか脅えたようにクオンを見上げている。
「この子はルル。
半年くらい前に監獄に収容されたらしい。
こんな恐ろしい場所で1人で彷徨っていた。
放っておけなくて一緒に行動しているんだよ。
ほらルル、お姉さんにご挨拶して」
「……こんにちは」
「この子は人見知りが激しくてね」
ハロルドが苦笑交じりにルルの頭を撫でてやると、ルルは気持ちよさそうに目を細めた。
その仕草が猫のようで、今にもゴロゴロと喉を鳴らしそうに見える。
クオンはしゃがみ込み、ルルと同じ目線に高さを合わせると柔和に微笑んだ。
「君はハロルドが好き?」
クオンの言葉にルルが長い睫毛を揺らしながら双眸をしばたたかせる。
ルルはどこか恥ずかしそうに頬を薄紅色に染めた。
「……うん、好き」
「そう。
じゃあハロルドの側にいてあげて。
羅刹は孤独な存在だから」
まだ幼いルルには言葉の意味が理解出来ず、きょとんと小首を傾げた。
答えがなくてもクオンにはそれで充分だった。
きっといつか理解してくれる日が来る確信があったから。
不意にハロルドが重く開口する。
「……ルルは監獄から出ることになっているんだ」
クオンは目を丸くする。
真意を問おうと口を開いた時―――
「おーい、クオーン!」
ガウが手を振りながらクオンの側に駆けて来た。
その背後にはリュウセイとニコラスの姿も窺える。
「戻って来ないもんだから心配になっちゃってさ、皆で探しに来たんだ。
知り合いと話してたの?」
「うん」
「俺らにも紹介してくれよー」
ガウはウキウキと声を弾ませる。
クオンはどこか興味津々といった雰囲気を醸すリュウセイとニコラスを見やると、開口する。
「彼は私と同じ羅刹のハロルド。
この子はルル。
ルルとは私も初対面。
2人は一緒に行動してるんだって」
クオンから飛び出した羅刹の単語にガウたち3人は絶句することとなった―――
ニコラスとルルの子守をするガウを尻目に、残りの3人は神妙な面差しで会話を進める。
「監獄から出る方法は羅刹を殺す以外にももう1つある。
監視カメラで観覧している貴族が気に入った駒は、監獄から出ることが許されているんだ。
そんなこと滅多にないことなんだけど……
ルルは貴族に気に入られてしまった。
今日このあと監獄から出ることになっている」
「けど、それっていいことじゃないんだろ?」
「ああ。
性奴隷や人身売買に利用されることだってある。
利用価値がなくなったら捨てられるか、殺されるか……」
「ルルを気に入った貴族はなんの目的で?」
「養子にしたいそうだよ。
子供のいない老夫婦だった。
闇社会の人間だけど、子供に対しては優しい人たちだったよ。
監獄を観覧している知人の勧めで、ルルを養子にすることに決めたそうだ。
きっとあの人たちはルルを大切にしてくれる。
こんな所にいるよりは幸せになれるだろう。
でも、離れるのは寂しいことだね……」
ハロルドは楽しげにガウとニコラスと遊ぶルルを見つめ、寂しげに笑う。
ルルを見つめる瞳はとても優しくて、心底からルルを想っていることが伝わってくる。
しばらく交わす言葉もなくぼんやりとしていると、外壁に取り付けられた外界との間に隔てる重厚な扉の1つが開け放たれた。
十数人の武装集団が接近して来る。
「ルルという娘を迎えに来た」
武装集団の1人が端的に告げる。
見知らぬ人物たちを前に恐怖を覚えたルルはハロルドに駆け寄り、抱き付いた。
不安げなルルを落ち着かせるようにハロルドがルルの背中をポンポンと叩く。
「ルル、君はここから出て、老夫婦と一緒に暮らすんだよ」
「ろうふうふ?
ハロルドも一緒?」
「……俺は行けないんだよ」
「やだっ!
ハロルドが行かないならルルも行かない!」
「ルル、君はここにはいられないんだよ。
ここで拒否してしまえば、君は殺されてしまう」
「やだやだやだっ!!
ハロルドと一緒にいたい!
……ハロルド、ルルのこと嫌いになったの?」
「そんなわけないっ……」
駄々をこねるルルをハロルドがきつく抱きしめる。
柔らかな髪に顔を埋め、まだここに在る小さな温もりを確かめるように……
「ルルが好きだから、大切だからこんな危険な場所にいさせたくないんだ。
分かってくれ……」
「……また会えるよね?」
「……当たり前だよ」
ハロルドは優しい嘘をつく。
貴族の一員になってしまえば、もう2度と会えないだろう。
ルルを悲しませないためにも嘘をつくしかなかったのだ。
まだ幼いルルがハロルドの葛藤に気付くことはない。
「わかった。
ハロルドの言うこときく。
そのかわり、ぜったい会いにきてね」
「ああ……」
ぽろぽろと涙を零すルルをハロルドが掻き抱く。
ルルの髪に埋めるハロルドの頬には、1滴の涙が煌めいていた。
―――ルルが監獄を去ったあと、ハロルドはクオンと2人で今はもう閉じられた重厚な扉を見つめていた。
そんな2人をリュウセイたち3人が遠巻きに眺めている。
「俺はね、ルルを監獄から出すためにこの命を使おうと思っていた。
この地獄のような暗い場所で、ルルだけが俺の光だったから。
……でも、ルルがいない今、この命に利用価値なんてない。
ルル以外の人のためにこの命を使おうとは思えないから」
「……死ぬつもり?」
クオンの言葉にハロルドは切なげに微笑むだけで答えない。
ハロルドはおもむろにポケットから何かを取り出すと、クオンの眼前に掲げて見せた。
赤い液体が揺れる注射器―――それを見たクオンは目を剥いた。
「きのうこれを見つけた。
今日使うつもりだったんだ。
ここにルルがいればね。
この液体の正体がワクチンなのか毒薬なのか分からないけど、俺たち羅刹がこの監獄から解放されるにも、また避けては通れない道だから」
「……君の望みも、私やジゼルと同じなんだね」
ハロルドは微笑を浮かべ静かに頷く。
クオンは今にも消えそうな儚い微笑を浮かべるハロルドを、ただ見つめるしかなかった―――――