4.小さな仲間
リュウセイとガウが監獄に収容されてから1ヶ月が経過した。
ワクチンを探す毎日だが、依然として成果は得られていない。
2人は疲弊していた。
そんなる日、空がオレンジ色に染色されていく頃。
成果が得られなかった3人は日課となった宿を探すことに。
ふと、ガウの視界に1匹の黒猫の姿が飛び込んでくる。
艶やかな毛並みとまん丸の瞳に誘われるように、ガウは黒猫の側に歩み寄った。
黒猫の側にしゃがみ込み、恍惚ににやけるガウ。
「黒いにゃんこか~、可愛いな~。
おいでおいで~」
ガウがおもむろに手を差し出すと、クオンがガウの手首を掴み阻む。
ガウは眉を潜めクオンを見上げた。
「触らないほうがいい」
「どうして?
こんなに可愛いのに……」
「―――その生物は肉食獣だから」
クオンがそう言った直後、黒猫はハリネズミのように毛を逆立て、鋭利な牙を剥き出しにした。
それどころか黒猫の背後から同じ毛を逆立てた黒猫が数十匹もぞろぞろと現れ始める。
「ぞ、増殖したーっ!?」
「……逃げたほうがいい。
食べられちゃう」
「落ち着いてる場合か!?
とっとと逃げるぞ!」
クオンとガウはリュウセイに背中を押され夕陽に向かって猛ダッシュした。
背後を振り返れば、見渡す限り黒猫で覆い尽されている。
ただの黒猫であれば逃げることもないのに、とガウは心底残念そうに思った。
「ここに来てから走ってばっかだっ……」
「いいんじゃないか?
いい運動になるし」
「命の危機に晒されてるんだぞ!!」
どこまでも呑気なガウにリュウセイが怒鳴り散らす。
2人の掛け合いに無関心なクオンはただ黙々と走り続ける。
この光景も日課になりつつあった。
とりあえず手近な建物に逃げ込んだ3人。
外ではニャーニャーと黒猫の大合唱が奏でられている。
「今夜はここで休もう。
しばらくすれば、肉食獣もいなくなると思うから」
「……了解」
クオンの提案にリュウセイは疲労困憊といった様子で返答する。
監獄に収容されて長いクオンにとって、この程度の距離の走行は造作もないことのようでほとんど息切れしていなかった。
クオンはぐるりと周囲を見回す。
コンクリート造りの小さな3階建てビル。
壊れたパソコンやデスク、資料などが散乱している。
「上の階を見て来る。
肉食獣がいるかもしれないし、ワクチンもあるかもしれない」
「いや、俺が見て来るからクオンとリュウセイはこの階にワクチンがないか探してくれ」
ガウはそう言うと、支給された懐中電灯と拳銃を手に階上へと上って行った。
「……面倒だが俺たちもワクチンを探すか」
リュウセイは億劫げに後頭部を掻くと、懐中電灯を手にワクチンを探し始める。
クオンもリュウセイに倣う。
―――暗闇と化したビル内を懐中電灯の明かりを頼りに進んで行く。
2階は生物の気配もワクチンもなかった。
あとは3階だけ。
ガウは銃を構えながら警戒心を最大限に発し、3階の室内に踏み入り―――ガウは目を剥いた。
そこにいたのは―――
―――どれくらいの時間が経ったのか分からない。
そんなに経っていない気もするが、窓から見える空は濃紺で、三日月と星が瞬いている。
いつの間にか黒猫たちの大合唱も綺麗さっぱり消えていた。
室内を照らすのは床に置かれた懐中電灯の明かり。
リュウセイは支給された食糧を広げ、頬張りながらガウの帰りを待っていた。
不意に離れた場所に膝を抱えて座るクオンに目を向ける。
空虚な瞳は夜空を見上げている。
リュウセイの気のせいかもしれないが、クオンの横顔が愁いに満ちているように窺えた。
何を思っているのか……
そんな疑問がリュウセイの思考を駆け巡ったが、すぐに考えることを放棄した。
近い未来に死ぬ相手を知っても無意味だと自分に言い聞かせたからだ。
リュウセイが1人で悶々と思考の渦に囚われていると、ガウが帰って来た。
ガウの背後には見慣れぬ少年がいる。
蒼い瞳に鋭い目付き、柔らかそうな漆黒の髪の10歳くらいの少年。
警戒しているのか、ガウの背後に隠れ、クオンとリュウセイを睨み付けている。
「ワクチンはなかったけど、代わりにこの子見つけた。
なんでも、昨日ここに収容されたばっかなんだと。
1人らしいからさ、この子も一緒に行動していいだろ?
可哀想じゃん」
「別に構わないが……」
「クオンは?」
「……2人がそれでいいなら、私に異論はない」
「よし、決まりな!
よかったなニコラス!」
ガウは満面の笑みを浮かべ、武骨な手でニコラスの頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。
撫で回されている本人は少々鬱陶しそうな顔をしている。
「腹減ったろ?
飯分けてやっから」
ガウが床に広げられた食糧を物色していると、周囲を見回していたニコラスの視線がクオンの左手首で止まった。
そこには羅刹の証である血色の腕輪が煌めいている。
それを認識した瞬間、ニコラスの大きな瞳にみるみる殺意の炎が灯った。
ニコラスは所持していた拳銃を手にしクオンに押し迫ると、クオンの額に銃口を突き付けた。
「なんでっ、羅刹がここにいるんだよっ……」
「ちょっ、ニコラスやめろって!
そいつは―――」
「うるさい!
お前らなんで羅刹と一緒にいるんだよ?
羅刹を殺せばこんな変なとこから出られるんだろ!?」
「ニコラス、俺の話を―――」
「お前らが殺せないなら、僕が殺してやる」
毅然と言い放つニコラスの手は言葉とは裏腹に震えている。
他人の命を奪うことが恐ろしいのだろう。
クオンはニコラスを無感情な瞳で見つめると、あろうことか震えるニコラスの腕を掴み、自ら額に照準を合わせた。
クオンの奇怪な行動にニコラスはおろかガウやリュウセイまでも唖然とする。
「生きたいと願うなら私を撃って。
同情なんかいらないから」
「……っ、言われなくてもっ……」
ニコラスはクオンに促されるままにトリガーを引き―――クオンの額を撃ち抜いた。
鮮血が迸り、ニコラスの頬を汚す。
即死となったクオンは脱力し、壁に寄り掛かった状態で目を閉じていた。
ニコラスは初めて他人の命を奪ったことに激しく動揺し、数歩後退し、銃を取り落とす。
全身がぶるぶるとおののいていた。
そんなニコラスの様子をガウとリュウセイが静観していると、クオンが息を吹き返した。
予想も出来なかった展開にニコラスがたじろぐと、クオンはニコラスの腕を掴み、神妙に見つめた。
「な、なんだよお前っ……
死んだんじゃなかったのかよ!?」
「羅刹は不死身。
殺すにはワクチンを投与しなければならない」
「わくちん?」
「羅刹を殺すために必要な道具。
さっきは君に本当に生きたいという意思があるのかどうかを確かめるために私を撃たせた。
怖かったでしょう?
ごめんなさい」
突然の謝罪にニコラスはどうしていいか分からず、クオンをじっと見つめる。
すると、クオンの白い手がニコラスの頬を慈しむように撫でた。
「君はまだ幼い。
君が私を殺さなくても、君がリュウセイやガウと一緒にチームとして行動すれば、2人のどちらかが私を殺した時、君も一緒に監獄から出られる。
君がその小さな手を血で汚す必要はない。
大丈夫。
君のことは私が必ず監獄から出してあげるから。
約束」
クオンは柔和に微笑むとニコラスの小指に自身の小指を絡める仕草を取る。
クオンの微笑みにニコラスが抱える恐怖や懸念が淡雪のように溶けていき、強張っていた全身の力が自ずと抜けていった。
「仲間が増えちまったなぁ。
なんかさ、俺とクオンの間にニコラスを入れたら親子に見えないか?」
「お前の脳みそとうとう壊れたか」
「おちゃめな冗談だろー?」
「お前の場合素で言いそうだ」
いつものようにリュウセイとガウが軽口を叩き合う。
2人は穏やかな雰囲気の中微笑み合うクオンとニコラスを見つめ、笑みを零した。