19.救済法
第5地区、ボリスの自宅。
2週間ぶりにニコラスと再会を果たしたクオンとリュウセイ。
再会の余韻に浸る間もなく、2人はニコラス、イノセント、ボリス、シーザーを交えてクオンについて話したあと、羅刹が死ぬ方法についての話し合いの場を設けていた。
「そういえば以前国立図書館で調べ物をしていたら見つけたんすけどね、3百年前の新聞があったんすよ。
そこに羅刹と思われる記事が載ってたっす」
「内容は?」
「それが……当時は羅刹について興味がなかったですし、何分4年も前のことなんで覚えてないんすよ。
すんません」
「彼、役立たずだね」
シーザーを見つめ馬鹿にしてくすくすと笑うボリスをリュウセイが一瞥すると、沈黙を貫いていたイノセントが開口した。
「それなら国立図書館に行ってみよう。
何か少しでも手掛かりがあるかもしれない」
「そうだな」
「あっしも一緒に行くっすよ」
「僕も行く!」
「私は仕事があるんでいけないよ。
皆で気を付けて行っておいで。
クオンそれでいいよね?」
「うん、皆ありがとう」
ここまで周りに思われていることをこそばゆく感じながら、クオンは柔和な笑みを浮かべるのだった。
―――翌日、第7地区の国立図書館を訪れたクオン、リュウセイ、イノセント、そしてシーザーとニコラス。
モダンな造りで広々とした静かな図書館には数え切れない人々が本を借り、それぞれが席に着き自分の世界に入り浸っている。
国立図書館には3百年前の新聞が存在するほど豊富な種類の本が揃い、読みごたえがあるというものだ。
着いて早々、早速シーザーが昔目にした新聞を探す5人。
それは簡単に見つかった。
席に着き、ファイリングされた新聞をめくってすぐ、目的の記事は一面に掲載されていた。
そして写真に写っていた人物を目にし、5人は愕然とした。
何故なら、その人物はクオンと瓜二つの姿をしていたのだから。
「これって、クオンか……?
そんな馬鹿な……
だってこの新聞は3百年前のだろ?
その頃クオンはまだ存在してないはず……」
「とりあえず記事を読んでみましょう」
イノセントが文字の羅刹を追い、音読していく。
記事によると約3百年前、連続殺人事件が起こっていたようだ。
手法は残酷なもので、遺体は全て肉を食い千切られた状態で発見された。
当初獣の仕業かと思われていたが、遺体から検出された歯形は人間の物だと分かった。
世間では<鬼>が現れたのだと噂された。
写真の遺体が発見された事件現場には野次馬の中に紛れてクオンによく似た人物が佇んでいる姿が窺える。
だがそれ以上の情報は得られなかった。
「おや、随分昔の新聞を引っ張り出してきたものだねぇ」
「あ、館長。
お疲れっす」
シーザーは館長と呼ぶ老人と顔見知りの仲なのか、やけに親しげにあいさつを交わした。
新聞を覗き込む館長は、ふと何かに気付いたように細い目を見開いた。
「そういえば、この新聞を毎日のように見に来てた子がいたなぁ。
最近はあまり来なくなったけど」
「ほんとっすか!?
一体いつ!?」
「通い始めてくれたのは1年くらい前だよ。
最近は週に2回くらい通ってくれてるよ。
20代後半くらいの女性だったはずだ」
「もしかしたら、その人何か知ってるかもしれないっすね」
「そうだな。
会うだけ会ってみるか―――」
―――1度ボリスの元へ戻った2日後、クオン、リュウセイ、シーザーの3人は再度図書館を訪れていた。
3人は本棚の陰に身を隠し、3百年前の新聞が並べられた本棚を窺う。
現状況で新聞に気を留めるものは現れていない。
だが根気強く館長が言っていた女が現れるのを待ち続けた。
そして4日目のこと、開館と共に図書館に通い、3人が寝ぼけ眼で本棚を窺っていると、1人の女が本棚の前で立ち止まり、新聞が並ぶ上段を見上げた。
館長から聞いた長身でコバルトグリーンの双眸にマリーゴールドの短髪という容姿とも一致していた。
女が例の新聞を手にしたのを見計らい、3人は女の前に飛び出した。
「ちょっといいっすか?
その新聞の件で聞きたいことがあるんすけど……」
「なんだよお前ら―――」
女の怪訝な双眸がシーザーとリュウセイを見やり、クオンへと移ろいだ瞬間、女は愕然としクオンを凝視した。
「クオン……」
「……何故私を知っているの?」
思わず口を突いて出た言葉に女がしまったという顔をする。
新聞を取り落とし、踵を返して立ち去ろうとする女の手をクオンが掴んだ。
「待って!
お願い、何故私を知っているのか答えて!」
泣き叫ぶようなクオンの声が静寂に満ちていた図書館に響き、周りの視線を浴びながら女がクオンを見つめる。
視線が交わった瞬間、女の顔がほんの刹那に悲痛に歪んだ気がした。
女は溜め息を吐くと、観念したように逃げる体制を崩した。
「どうせ逃げたって無駄なんだろうな。
お前は母親に似て頑固みてぇだしな」
「母を知っているの?」
「ああ。
場所を変えようぜ、全部話してやる。
お前の母親のことも、羅刹のこともな」
中性的で、耳に心地よく響くほどよい低音の声色を聞きながら、リュウセイとシーザーが囁き合う。
「どうやら当たりみたいっすね。
彼女、羅刹について知ってるみたいっす」
「そうだな。
今度こそクオンが望む答えが見つかるといいが……」
クオンが望む答え―――羅刹が死ぬ方法。
それが見つかった時、クオンとの別れが訪れる。
そう思うと、胸が張り裂けそうに息苦しくなる。
心のどこかで見つからないでほしいと願う自分を嫌悪しながら、リュウセイは希望を宿したクオンの横顔を見つめた。
―――第7地区、住宅街。
女が住んでいるという集合住宅の一端のダイニングルームに通された3人。
広すぎることもなく、狭すぎることもない室内には余計なものがなく、生活必需品と思われるものが揃い整頓されている。
ダイニングとバス、トイレ、寝室といった部屋も備わっており、人1人が住むには充分すぎる環境だ。
ダイニングテーブルを挟み、クオン、リュウセイ、シーザーが女の正面の椅子に腰掛けると、女が単刀直入に切り出した。
「早速だが、あたしの知ってることを話す。
あたしの名はキャンディス。
お前と同じ羅刹だ」
「羅刹って……
毒薬を……私の血を投与されて羅刹になったわけじゃなくて、私と同じ最初から羅刹だったってこと?」
「ああ。
お前のことも知ってる。
お前の母親のことも……
お前の母親とは親友だった」
キャンディスの言葉に驚きつつも、3人は静かに耳を傾ける。
キャンディスは語る。
人間の姿をしていながらも人間とは異なる種族羅刹は古来より存在していた。
現存している中でキャンディスが認知している羅刹はクオンと自分自身だけ。
キャンディスが知らないところで羅刹は他にも存在しているという。
時折世界中で起こる残虐な事件、人肉を喰らうという事件は羅刹が引き起こしているものがほとんどだ。
羅刹の血液には不思議な効力があり、人間に投与すれば不死になり、動物に投与すれば狂暴化する節がある。
羅刹は未来永劫生き続けなければならない。
それ故に生きることに疲れ果てる者も多い。
だからなのか、いつの頃からか羅刹は2種類の血液を持つようになった。
1つ目は属に毒薬と呼ばれるプラス血液、2つ目は羅刹に死ねる身体を与えるマイナス血液。
後者はワクチンと呼ばれるものだ。
ワクチンは毒薬同様、羅刹の血液だったのだ。
プラス血液をマイナス血液を持つ羅刹に投与すれば投与された羅刹は瞬時に死に、マイナス血液をプラス血液を持つ羅刹に投与すれば投与された羅刹は死ねる身体を手に入れる。
要するに、自分と対照的な血液を投与すれば死ねるということだ。
今から約3百年前、キャンディスとクオンの母クレアは生まれ、幼馴染みとして共に育った。
2百円寝年間羅刹でいることに苦悩して生きていく中で、クレアは人間と恋に落ち、クオンと弟のトワを身籠った。
羅刹の妊娠は人生の大きな岐路に立つことを意味する。
人間の妊娠とは違い、深く命に関わることだからだ。
胎児は母体の子宮の中で約百年かけて成長し、母体の命を吸い尽くしていき、やがて成人した姿で生まれてくる。
廃墟の屋敷でクオンの母クレアがミイラ化していたのは、クオンとトワが命を吸い尽くしたからだ。
妊娠とは、羅刹に必ず死を与えるもの。
だが生まなければその理念は覆る。
母体の命がまだある時に中絶すれば、母体は助かるのだ。
その代わり、今後一生妊娠することも出来なくなる。
クレアはクオンとトワを生むことで死んだのだ。
会うことも出来ない我が子に想いを馳せながら……
「クレアは羅刹でいることに苦悩していた。
いつも死にたいと言っていた。
だが、あたしたちの持つ血液は同じプラス血液、マイナス血液を持つ者が周りにいなかったからどうにも出来なかった。
苦悩して生きる日々の中でクレアは愛する男と出会い、妊娠した。
ずっと生むべきか迷ってた。
だって生まれてくる子供は羅刹だ、いつか必ず羅刹でいることに苦しむ日が来る。
それでもクレアが生むことを選んだのは、せっかく授かった命を殺したくなかったからだ。
お前たちを愛していたからだ」
切々と語られるキャンディスの声がクオンの胸にずしっと重たくのし掛かり、息苦しくなった。
「あの新聞に載ってた写真、あれはクレアだ。
あたしはクレアの顔を見たくて図書館に通ってたんだ。
クレアの遺体は洞窟に隠してたはずなんだけど、人間に見つかり、連れてかれちまった。
迂闊に手を出すわけにもいかねぇし、百年間人間の動向を注意深く観察し続けた。
人間のしてきたこと、お前が監獄に入れられたことも全部知ってる。
本当は手助けしたかったけど、クレアに止められてたんだ。
自分で乗り越えなきゃならないからって。
それにいつかきっと、お前に仲間が現れるから、その時まで見守ってほしいって。
だからずっと見守ってきた。
トワのことならもうずっと前にあたしが保護してある。
ただ……もう死んでるけどな。
お前のプラス血液を投与されたんだ」
うなだれながら言葉を紡いでいくキャンディスを見つめ、クオンの胸中に死ぬ方法が見つかった喜びと、たった1人の弟を失ったという哀しみがない交ぜになって襲う。
トワのことを知っていたわけじゃない。
でも同じ血を分けた姉弟だから、死んでしまったことがとてつもなく哀しかった。
「なあ、ちょっと疑問なんだけど、以前クオンはワクチンであるマイナス血液ってやつを投与したことがある。
だがなんの変化も見られなかったのはなんでだ?」
「ああそれは、体外に出た血液は10分以内に投与しないと効果がないんだ。
たぶんそのせいだろ」
「……もう1つ、なんでワクチンは半透明だったんだ?
羅刹の血液は元から半透明ってわけじゃないんだろ?」
「体外に出た血液は徐々に色素が薄くなっていき、増殖するんだよ。
1滴の血液なら、注射器1本分くらいにまでは増殖するだろうな」
羅刹はことごとく人間の理念を上回った存在だ。
その事実を突き付けられたリュウセイは唖然とし、何も返せなくなってしまった。
「これで死ぬ方法が分かったわけっすけど、どうやってマイナス血液を入手するんすか?」
「トワから摂取すればいい」
「もう逝去してるんじゃ……」
「死んでても血液の効力は残ってる。
羅刹は死後150年は生前の姿を維持したままだからな」
不意にキャンディスはどこか哀しみを宿した眼差しでクオンを見つめた。
「―――クオン、やっぱりお前は死ぬ道を行くんだな」
「……私は人を食べて生きたくないし、たくさん罪を犯してきた。
死ぬことは私への罰。
それに……私は死ぬことで救われるから」
「そうか……」
「キャンディスは?
君の血液が私と同じものなら、トワの血で死ぬことが出来る。
君も羅刹でいることに苦しんできたんじゃないの?」
「確かにそうだが……」
歯切れ悪く顔を伏せるキャンディス。
聞いてはいけない質問だったのかもしれないと、クオンは聞いてしまったことを後悔した。
「とにかく、トワの元へ行くならあたしが案内する。
それでいいな」
「……うん」
うなだれるクオンの横顔をリュウセイが見つめる。
もうじき別れが訪れてしまう。
引き留めたいのに引き留められない。
クオンがそれを望まない。
どうすることも出来なくて、リュウセイは誰にも気付かれないようにきつく拳を握り締めた。




