17.母
13地区、廃墟の屋敷でクオン、リュウセイ、イノセントを出迎えたのはシェリーとその他大勢の貴族だった。
「お久しぶりね、クオンにリュウセイ。
それに初対面のイノセントといったかしら?」
「俺のことを調べたんですか」
「もちろん。
新たなクエスト参加者ですもの。
名前以外の素性は全く分からなかったけれど、あなたに興味はないわ。
さて、あなたたちをクオンの母の元へ案内するわ。
中にいらっしゃるお方からの命令なの。
付いて来なさい」
シェリーたち貴族に連れられ荒れ果てた屋敷内の奥へ進み辿り着いたのは1階中枢にある3メートルもの扉の前。
他の場所と比較するとこの扉だけ綺麗に掃除され埃1つ被っていない。
貴族たちによって扉が開け放たれる。
この扉の奥に母がいる。
クオンは緊張した面持ちで中に踏み入った。
内部は全面クリスタル張りになっており、全てがキラキラと煌めていていて目に痛い仕様となっていた。
最奥には30段ほどの階段があり、そこに立っているのはグラディスだ。
3人はシェリーと共に階段を上り、不敵な笑みを刻むグラディスと対面を果たした。
「よくここまで辿り着いたな。
褒めてつかわそう」
「……母はどこ?」
「そんなに母親に会いたいか。
ならば会うがいい。
古文書もそこにある」
まるで謳うように言葉を紡ぐグラディスの視線の先を追い、グラディスの背後を覗き―――クオンは呼吸をすることすら忘れるくらいに愕然とし言葉を失くした。
ふらふらとおぼつかない足で母と呼ぶその人に歩み寄って行くクオン。
間近でその人を見つめても、まるで言葉を失ってしまったようにクオンから言葉が出てこない。
眼前の人を母と呼んでいいのか……クオンは愕然とするしかない。
何故なら、身体を鎖につるされたそれは空よりも鮮やかな青の肌をし、かろうじて人間の形をしているがミイラ化したように干からび、下腹部だけが異様に膨張していたのだから。
「嘘だろ……
あれがクオンの母親か……?」
「そうだ。
クオンは確かにあれから生まれ、私の祖父の手で取り上げられたのだ」
「だがあれはどう見たって……」
「人間じゃない、か?
当然だ。
クオンは人間ではないのだからな」
衝撃的な言葉を残したグラディスは、母の元へと歩み、側のクリスタルの台の上に置かれた古びたノートを手に取り、クオンに手渡した。
「古文書は未完成に終わっているが、お前が知りたい答えは大方ここに記されている」
クオンは震える手で古文書を受け取り、所狭しと記された文字の羅列を追っていく。
リュウセイとイノセントがクオンの両脇から古文書を覗き込む。
古文書は著者であるグラディスの祖父の日記になっていた。
“1920年4月13日、新たなビジネスに手を出そうと山岳地帯で鉱石の採掘を行っていたら洞窟の中から不可思議なものを発見した。
ミイラ化した人間のようにも見えるが、人間で片付けるにはあまりにも異形な姿だった。
干からびた身体は全身鮮やかな青色をし、下腹部だけが風船のように異様に膨張していた。
それに興味を示した私は採掘を取りやめ、別荘にそれを運んだ。
調べていくに連れ分かってきたことは、ミイラが女性であり、膨張していた下腹部の正体は子宮だったことだ。
しかも身籠った状態で、胎児はまだ生きていたのだ。
胎児は双子で、我々成人と変わらぬ身体の大きさをしていた。
それから3日後のこと、突然母体の腹が裂けたかと思うと、最初に娘、次に青年が生まれた。
私は2人の素性を知るために研究をすることにした。
姉となる娘の名をクオン、弟となる青年の名をトワと名付けた。
2日後、クオンのほうは目覚めたが、トワのほうは1週間経っても目覚る気配がなく、トワは研究施設が整った場所へ移動することにした。
クオンが目覚めてから1週間、彼女は我々と同じ言語を話し、言葉も理解していたが、寝起きのようにいつもぼんやりとしていた。
それから2週間後、衝撃的な事件が引き起こることとなる。
突如体調不良を訴えたクオンだったが、理性を失うと、人間を喰らい始めたのだ。
その後すぐに理性を取り戻したものの、自分が犯したことは全く覚えていなかった。
その後、もっと繊細な研究をするために彼女を研究施設に収容した。
そして1か月後、ここで気付いたことがある。
彼女は人間が食すものは一切口にせず、唯一口にするものと言ったら人間の血肉。
しかも我々のように毎日食事をするわけではなく、2日に1度だったり1週間に1度だったりとその時によって異なる。
人間を喰らう前に必ず引き起こるのが引きつれるような胃の痛みと激しい喉の渇き。
この症状は空腹の合図だと察する。
空腹状態が続けば彼女は理性を失い無差別に人を襲うことが判明したため、1日に1度の食事となる人間を与えることにした。
衝撃的な事実はこれだけには留まらない。
彼女が誤って階段から転落した時、彼女は確かに死んだはずだったのに、すぐに息を吹き返したのだ。
彼女は不死の身体を持つ存在だったのだ。
人間を餌にし生きる彼女を見て、私は彼女に人間とは異なる<羅刹>という種族名を与えた。
彼女も、依然目覚めないトワのほうも、これからどんな人生を送っていくのか非常に楽しみだ。”
―――古文書を読み終え、クオンもリュウセイもイノセントも事実を受け止めきれずに呆然としていた。
自分が人間ではなかった衝撃が大きすぎて、クオンの思考が麻痺している。
考えなければならないことが山ほどある。
クオンは麻痺した思考を無理矢理働かせ、無機質な瞳でグラディスを見つめた。
「私は死ねないの……?」
やっと出た声はひどく掠れていて、クオンでさえもよく聞き取れなかった。
だがグラディスにはちゃんと届いており、嘲笑するような笑みを浮かべてみせた。
「そうだ。
お前は意図的に羅刹にした人間とは違い、元々羅刹だった。
死ぬ術などない」
クオンの頭に鈍器で殴られたような衝撃が走り、目の前が暗くなった。
足元がふらつき、足の裏が地面に着いている感覚さえ失っていくと、イノセントが背中を支えてくれた。
「さて、これでお前たちはクエストクリアしたということになる。
約束通り監獄は廃止しよう。
お前たちも今後は好きに生きるといい」
呆然とする3人をよそにグラディスがそう言った直後、リュウセイの携帯電話が着信を報せた。
着信音で我に返ったリュウセイは慌てて電話に出た。
通話口からシーザーのひどく焦った声が聴こえる。
『旦那っ、大変なことが分かったんす!』
「シーザー、今それどころじゃ―――」
『いいから聞いて下さい!
貴族は監獄の廃止を決定したんす!』
「それのどこが大変なんだ?
むしろいいことなんじゃ……」
『問題は廃止の方法っす。
監獄を爆破するそうっす』
「なっ……!?」
『すでに監獄中に爆弾を設置し、あとは爆破するだけのようっす。
予定ではこのあとに……』
シーザーから知らされた衝撃的な事実にリュウセイは愕然とし、携帯電話を取り落とした。
シーザーの声が聞こえていたクオンとイノセントも必然的に事実を知ることになり、どうしていいのか分からず呆然と佇んでいた。
そして、虚ろだったリュウセイの双眸にみるみる怒りが宿っていく。
その怒りの矛先はもちろん、全てを目論み指示したグラディスだ。
「話が違うだろ。
お前は監獄を廃止し、駒を解放すると言ったはずだ。
爆破するなんて……」
「私は爆破という方法で監獄を廃止しようと考えている、間違ったことは言っていないはずだが?
どんな方法で廃止するか定めなかったお前たちに非がある」
正当論を述べられて言い返すことが出来ず、ぐっと唇を噛み締めた。
だがその双眸に宿る怒りは損なわないままだ。
「今すぐ爆破を止めろ」
「何故だ?
せっかく監獄を廃止してやろうと言っているのに」
「他の方法を考えろって言ってんだよ!!」
リュウセイの怒声がクリスタルに反響する。
今にも殴り掛かりそうな勢いで睨み付けていると、グラディスはリュウセイの怒りが込められた視線を一身に浴びほくそ笑んだ。
「あと数分後には爆破するよう手配してある。
今さら止めることなど出来ん」
「お前なら止められるだろ!」
「私が止めるとでも?」
怒りがついに頂点まで駆け上がると、リュウセイは拳銃を取り出し、グラディスに向けた。
突発的な行動に貴族たちがざわめいた。
だが銃を向けられた当人は至って平静だ。
「今すぐ爆破を止めろ。
さもないとお前を殺す」
「ならば殺してみろ」
妖しい輝きを双眸に灯しほくそ笑むグラディス。
ここでグラディスが応じなければリュウセイは本気で発砲する気でいた。
グラディスさえいなければ監獄が建設されることも、ガウが死ぬこともなかったのだ。
ガウの死を引き金にグラディスを殺したいほど憎むようになっていた。
だから躊躇う理由などなくトリガーを引けた。
銃声が反響する。
額を撃ち抜かれたグラディスは呆気なく倒れ、死んだ。
リュウセイがグラディスを無情に見つめていると、室内の異変に気付かされた。
てっきり悲鳴の1つでも聞こえてくるものかと思っていたリュウセイだが、室内は異様な静寂に包まれていた。
階下を見下ろせば、貴族たちは皆一様に嘲笑を浮かべ、卑下するような眼差しをリュウセイに注いでいる。
リュウセイが妙な違和感を覚えていると、不意に背後に佇んでいたシェリーがクスクスと喉を鳴らした。
「何がおかしい」
「そりゃおかしいわよ。
クロフォード公爵を殺そうだなんて、よくもそんな無駄なことが言えたものだわ」
「公爵は死んだ。
お前も見てただろ」
「あなたの目は節穴?
よく見てごらんなさい」
シェリーの言葉にリュウセイがグラディスを見つめる。
そこには床に血溜まりを作り息絶えたグラディスが横たわっている。
額を撃ち抜いたのだ、羅刹ではあるまいし生きているわけがない。
ほとほとシェリーの言葉が理解出来なかった。
リュウセイが再びシェリーに目を向けようとした時、あるまじきことが起こった。
グラディスの閉ざされた瞼が痙攣したかと思うとパールグレイの瞳がリュウセイを映し、息を吹き返したのだ。
あるまじき出来事にリュウセイたち3人が愕然としていると、額から流血させ立ち上がったグラディスが高笑いを響かせた。
普通の人間が蘇生するなんてあるわけがない。
だが普通じゃなかったら?
死んでも蘇生する存在は今まで幾度となく見てきたではないか。
「……お前まさか、自分に毒薬を……」
洩れ出たリュウセイの言葉にグラディスの笑みが濃くなる。
それは肯定の意を表すのだと、リュウセイは悟った。
「私は長く生き、成さねばならぬことが山ほどある。
それらを成すためには人間などのたかだか知れた命だけでは足らぬのだ。
危険な賭けだったが、ブラッド・オメガ・プラスの投与に成功した私は、見事羅刹に成り得たというわけだ」
「……いかれてるにもほどがある」
吐き捨てるようなリュウセイの言葉にグラディスは鼻で笑うと、懐から懐中時計を取り出し時間を確認した。
「そろそろ爆破の時間だ」
グラディスがそう言った直後、遠方から凄まじい轟音と地響きがヘルシティ全土に轟いた。
リュウセイたち3人は回廊に出、窓から外を窺った。
この屋敷が高台に建設されてるお蔭でヘルシティが一望できる。
だが今は景色を堪能している場合じゃない。
遥か遠くの水平線に浮かぶ孤島、ゴッドシティ。
見るも無惨な光景が3人の目に飛び込んできた。
ゴッドシティは炎で真っ赤に染め上がり、黒煙がもうもうと空に立ち上っていたのだ。
「さて、約束通り監獄は廃止した。
先ほど言ったようにお前たちは好きに生きるといい」
「待って」
踵を返すグラディスをクオンが呼び止めると、2人の視線が交差する。
気丈な面差しの上で一際異彩を放つ深紅の瞳には、深い惑いが揺らめいていた。
「羅刹についての古文書はこれだけ?」
「残されているのはこれだけだ。
ただ、文字起こしはしていない事実が他にもまだあるがな」
「じゃあ教えて」
「知りたければ自分で探るんだな」
グラディスは冷徹に言い放つと、手の甲で額の鮮血を拭い、貴族たちを伴って立ち去って行った。
クオンが釈然としない心境で佇んでいると、不意にシェリーが話し掛けた。
「羅刹についてもっと詳しく知りたいならうちに来る?
教えてあげる」
「え……?」
突拍子もない発言に意表を突かれたクオンの口から、素っ頓狂な声が洩れ出た。
どうすべきかクオンが思案し、リュウセイとイノセントと視線を交わす。
クオンの決定に従うつもりなのか、2人は何も言わない。
やがて決意を固めたクオンは真摯にシェリーを見つめた。
「羅刹について教えて」
クオンの答えにシェリーが満足げに笑う。
クオンは人間ではなく、最初から羅刹だった。
死ぬ方法がないと言われた時は、奈落の底に突き落とされたような錯覚さえ起こした。
今だってまだショックが抜け切らない。
だがこういう時こそ気丈に振る舞っていないと絶望に押し潰されてしまいそうで怖かった。
ここで潰れてしまったら、犠牲にしてしまった命を無駄にすることになる。
ここで立ち止まるわけにはいかない。
クオンは自分自身を知る義務がある。
人間じゃなく、死ぬ方法がないことがこの上なく辛いけれど、今は前に進むしかないのだ。
たとえこの先、どんな絶望が待っていたとしても―――――




