16.一角獣
新たな仲間、イノセントを伴い第9地区に移動したクオンとリュウセイは、荒れ果てた廃墟の屋敷を訪れた。
その1室で目にしたものは、美しい無食獣だった。
鎖付きの首輪に繋がれた真っ白な獣、その額には鋭利に尖った50センチもある角が堂々たる存在感を醸し出している。
艶やかな毛並みの背には純白の翼が折りたたまれており、ユニコーンのような姿をした一角獣。
一体いつからここにいるのか、一角獣はふてくされたような顔で眠っていた。
「かわいそう、こんな所に閉じ込められて……」
クオンは沈痛な面持ちで一角獣に近寄ると、鎖を引き千切ろうと腕に力を込めた―――が、頑丈な鎖はびくともしない。
「助ける気か?」
「うん、だってかわいそうだから。
無食獣なら解き放っても私たちに害は加えないと思う」
「お人よしだな」
鎖と奮闘するクオンの手は血が滲み痛々しい姿になっている。
そんな姿を黙って見ていられなかったのか、リュウセイは苦笑するとクオンに便乗し鎖を引っ張り出した。
お人よしはどっちだろう……
そう思い、クオンが微笑ましげにリュウセイを見つめていると、不意にイノセントが2人の眼前で何かをちらつかせた。
赤茶色に錆びた鍵だ。
「これ、落ちていました。
首輪の鍵だと思うのですが……」
クオンは鍵を受け取り、鍵穴に回し入れると、軽快な音を鳴らしすんなりと外れてくれた。
重々しい旋律と共に首輪が落下すると、薄目を開けてこちらの動向を窺っていた一角獣の金色の双眸が見開かれ、立ち上がった。
双翼をはためかせた一角獣は、まるで謝礼でもするかのように3人に頭を垂れる。
クオンのしなやかな指先が愛撫するように頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める仕草を見せた。
「好きな所へ行っていいよ。
君はもう自由なんだから」
優しい声色に肉食獣が小さないななきを上げると、3人は立ち去って行った。
無造作に書物が散乱した1階書庫を調査する3人。
求めるものが発見出来ず、手持無沙汰にリュウセイが本棚に寄り掛かると、岩でも落下してきたような轟音が本棚の中から響いた。
何事かとリュウセイが本棚から飛び退くと、本棚の真ん中に縦に割れ目が出来、自動ドアのように左右に重々しくスライドした。
そこに潜んでいたのは前回訪れた屋敷同様の階段。
この階段は地下へと続いているようだ。
「どこの屋敷にも隠し通路があるんだな」
「そうだね。
地下も調べてみよう」
感心したように呟くリュウセイにクオンが同調すると、3人は階下、漆黒の中へ身を沈めて行った。
屋敷の真下にあったのは、コンクリートで塗り固められた壁面の広大な空間だった。
特に何かあるわけでもない、四方を見渡してあるのは壁面に侘しく張り付けられたドアだけ。
3人は迷いなくその扉へ進み開け放った瞬間―――驚愕の光景が待っていた。
扉の向こうには数多の肉食獣の白骨のじゅうたんが広がり、その中心に佇むのは肉食獣を喰らう1体の肉食獣。
先刻3人が出会ったユニコーンのような無食獣と形状こそ酷似しているものの、色が違う。
先刻の無食獣は純白だったが、今3人の眼前にいる肉食獣は漆黒、全くの対照的だ。
眼前で繰り広げられる惨状に3人が絶句していると、妖光を宿した鋭利な深紅の双眸が唐突に3人を捕えた。
身を竦ませる3人に肉食獣は肉の片鱗を口端から零し、興味深そうに3人との間合いを詰めて行く。
「……おい、あいつこっちに来るぞ」
「そうだね、私たちを食べる気かな」
「たぶんそうでしょうね」
「なんでお前らはそんなに落ち着いてんだよ!」
まるでガウやニコラスがいた時のような雰囲気を彷彿とさせる光景だ。
3人は押し迫る肉食獣と対峙し、銃器や刀を手に取ると戦闘態勢に入った。
前足を上げいななきを撒き散らす肉食獣。
イノセントはひょうたんの酒を口に含みライターに炎を灯すと、炎に酒を吹き付け業火を生み出した。
業火に呑まれた肉食獣の悲鳴が響き渡る。
だが業火が消える頃、肉食獣はほとんど無傷で、イノセントの攻撃は怒りを植え付けただけだった。
これで本格的に戦うしかなくなった。
芽生えた殺意がみるみる増幅していき、3人の身体を舐め回すように絡み付く。
3人は思わず踵を返し、ドアの外へ逃亡した。
その時、喧嘩を売ったイノセントに肉食獣が背後から飛び掛かり、押し倒された。
銃を取ろうにも蹄がイノセントの両手首に重くのし掛かり、苦悶の表情を浮かべるしかない。
すかさずクオンとリュウセイが背後から詰め寄る―――がしかし、気配に敏感な肉食獣は2人の気配を悟ると、見向きもしないまま後ろ足で2人を蹴り上げると床に投げ出された。
重圧な蹄が身体にめり込んだ感覚は一瞬だけだったが、痛みは持続的なもので2人はしばらく悶絶していた。
重い巨体が骨を軋ませ、イノセントの額に脂汗が滲む。
唾液がこびり付いた牙を剥き出しにし、イノセントに喰らい付こうとしたその時、1つのいななきが轟き、何かが肉食獣に突進し突き飛ばした。
無食獣だ。
無食獣がどこからともなく現れ、イノセントを救ってくれたのだ。
「助けてくれたのですか……?」
イノセントが戸惑いがちに問えば、無食獣の温和な眼差しが注がれる。
先刻助けたことに対して、3人に恩を感じているのだ。
突き飛ばされた肉食獣は怒りの矛先を無食獣へと向けると、漆黒の双翼を広げ飛躍した。
肉食獣に同調するように無食獣も純白の双翼を広げ飛躍した。
無食獣と肉食獣の戦闘が始まる。
鋭角な角をかち合わせ、金属音のような旋律が地下に反響する。
3人に翼があったなら無食獣を助太刀することも出来ただろう。
銃で応戦することも可能だが、誤って無食獣に当たってしまう可能性を考えると、容易に発砲することが出来なかった。
激しい攻防戦が空中で繰り広げられている。
双方掠り傷を負っているものの、戦闘に支障をきたすほどのものではない。
いつしか双方の息も上がり、動きが鈍くなっている。
3人が心の中で無食獣を応援しながら戦況を見守っていると、疲弊しふらついた無食獣の胸元に肉食獣の角が突き刺さった。
鮮血が迸り悲鳴を上げる無食獣から角が乱雑に引き抜かれると、浮遊する力さえ失った無食獣は無造作に地面に落下した。
すかさず3人が駆け寄る。
無食獣の傷を目にしたクオンは息を呑んだ。
深すぎる傷口からとめどなく鮮血が溢れ出し、無食獣は荒々しく呼吸を繰り返している。
致命傷だ、これではもう助からない。
3人が暗い顔をした途端、肉食獣が悠然と降り立った。
無食獣にとどめを刺す気だ。
思わずクオンが無食獣を庇うように前に進み出ると、無食獣は己を奮い立たせ立ち上がり肉食獣と再度対峙した。
「もういい。
もう戦わなくていいからっ……」
クオンが悲痛な面差しで無食獣の赤く染色された身体に触れると、3人は無食獣に階段のほうへ向かって蹴り飛ばされた。
「いってぇ……
何すんだよっ…―――」
リュウセイが怒気を含ませながらそう言った時、無食獣の温和な眼差しと視線が絡まった。
何かを訴え掛けるように、真摯に3人を見つめている。
「……行けってか?」
リュウセイがそう問うと、無食獣は微かにいななきを上げた。
自分が戦っている間に逃げろと言うのだろう。
「そんなの駄目っ。
逃げるなら君も一緒にっ―――」
クオンが無食獣に縋り付くと、無食獣は鼻先でクオンを階段のほうへ押し返した。
たてがみがクオンの頬をくすぐる。
無食獣は目で“行け”と訴える。
クオンの顔が悲痛に歪むと、イノセントがクオンの手を取った。
「行きましょう」
「でもっ……」
「無食獣の思いを無駄にしてはいけません。
これは無食獣が望んだ結果です」
イノセントの言葉にクオンは顔を伏せると、苦渋の思いで頷き、無食獣に背を向け、階段のほうへ走り出した。
走り出すと同時に、肉食獣は獲物を逃さないとばかりに3人に駆け寄る。
だがその行動は無食獣に阻まれることとなる。
無食獣の鋭角な角が肉食獣の心臓を貫いたのだ。
響き渡った悲鳴に3人が振り返ると、肉食獣が崩れ落ちる横で無食獣が3人を見つめていた。
「―――ありがとう」
クオンは泣きそうな顔で微笑み、2人と共に階上へと駆け上がって行った。
死んだ肉食獣と2人きりになった無食獣は膝から崩れ落ちると、ゆっくりと巨体を横たわらせた。
弱まっていく胸の鼓動を聞きながら瞼を閉じれば、クオンとリュウセイ、イノセントの姿が瞼の裏に浮かんで―――鼓動と共に消えた。




