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エスケープ  作者: 星宮
15/22

15.記憶の片鱗

第4地区に到着してから1時間半後。

草木が鬱葱と生い茂る郊外にそびえ立つ廃墟の屋敷の前にクオンとリュウセイはいた。

屋敷の状態は綺麗に保たれているが、どこか不気味な雰囲気を醸し出しており、2人は踏み入ることを躊躇っていた。

だがここでぼんやりと突っ立っているわけにもいかず、2人は強張った面持ちのまま意を決して踏み入った。


長い回廊を銃や剣を手に進み、数え切れないほどの部屋がある屋敷内を調査していく。

今のところ特に変わった様子もないが、最上階の5階の1室に踏み入った時状況は一転した。

一見生活用品に満ち溢れた普通の部屋だが、埃が溜まった」床にはどす黒く変色した血痕が落ちていた。

リュウセイが眉を潜めながら指先で血痕をなぞると、愕然とした面持ちでクオンがチェストの上の写真立てに触れる。


「―――私ここ知ってる。

ここ私の記憶の中にある、私が1番最初に目覚めた場所……」


クオンが見つめる写真の中には、現在と寸分違わぬ姿の約百年前のクオンが映っていた。


「……床に落ちてる血痕は私が人を食べたあと。

私が1番最初に食べた人。

うっすらとだけど思い出した、私は自分と年端の違わない女の子を食べた」


クオンはリュウセイの傍らに片膝を着き、血痕に触れると瞼を閉ざした。

長く艶やかな睫毛が揺れる。

まるで血痕の主に懺悔するかのように数十秒間、だがクオンにとっては永遠とも思える時間黙とうを捧げた。

今さら遅いが、ごめんなさい、と……

愁いに満ちたクオンの横顔をリュウセイは黙って見つめていた。

やがてクオンは目を開け立ち上がった。


「ここには私の記憶しかない。

残りの部屋を探そう」


「……ああ」


リュウセイはぎこちなく返答すると、室外へ出て行くクオンのあとを追った。


ふとした瞬間に窓の外に目を向ければ、屋敷に到着した頃はまだ陽も低かったのにすでに真上にまで昇っている。

目当ての物を没頭して探しているうちに正午を過ぎていたのだ。

結局屋敷内の隅々まで探したものの、クオンの母や古文書といった類のものは見つからず、2人は残り2か所の屋敷へ移動することにした。

その時、シーザーから渡された携帯電話が着信を告げた。


「はい」


『あ、旦那!?

実は例の件で仲間内から情報が入りまして……

なんでも、貴族がそちらの屋敷に向かってるって話っす。

しかも肉食獣まで連れてるって話っすから充分気を付けて下さいよ!』


まくし立てられるように一方的に話されたあと、シーザーはまたしても一方的に通話を切った。


「シーザーから?」


「ああ、なんでもこっちに貴族が向ってるって話だ」


「じゃあ早くここを出ないと……」


2人が足早に屋敷を出ようとエントランスに降り立った時、2人に纏わり付くように周囲をハエのような数匹の虫が飛び交った。

リュウセイが煩わしげにそれを手で払うと、虫はリュウセイの手の甲に噛み付いた。

針でも突き立てられたような鋭い痛みに、虫を蚊でも潰すように掌で叩き殺したリュウセイの手の甲には血が滲んでいた。


「なんだよこれ……」


「それは肉食獣じゃよ」


不意に聞こえたしゃがれ声に2人が振り返れば、いつの間にかエントランスにステッキを着いた腰の曲がった老婆と武装集団がいた。


「あたしらはその肉食獣が嫌う匂いを付けているから襲って来んが、おぬしらのことは襲うじゃろうなぁ」


「……貴族め、もう到着しやがったのか」


「さて、あたしの人生もそう長くはあるまい。

あの世へ行く前に、存分に楽しませてもらうぞ」


卑しい笑みを浮かべる老婆が取り出したのはかめ壺のような丸みを帯びた人の顔ほどもある瓶。

老婆のしわがれた手が栓を抜いた直後、何万匹もの虫たちが一斉に空中に飛び出した。

1匹1匹は小さな個体だが、寄せ集まったら巨大な黒い塊だ。

耳障りな羽音を撒き散らしながらもぞもぞと蠢くその様が気持ち悪くて、リュウセイとクオンは顔を引きつらせた。


「リュウセイ、逃げないと……」


「ああ……」


短く言葉を交わし合った2人は肉食獣に背を向けると、エントランス階段を鬼気迫る勢いで駆け上がった。

2人の背後から数多の虫たちが追尾する。

時折リュウセイは振り返りながら発砲するものの、あんな小さな的にはなかなか命中しない。

仮に命中したとしても、たかが数匹撃ち殺したところで2人の状況が変わるわけではなかった。

傷だらけになりながら2人は手近な部屋に逃げ込みドアを施錠すると、肩を上下させ、吹き出る額の汗を拭った。

しかし安堵したのも束の間、ドアの外でカリカリと不可思議な音が鳴り出し、ドアが軋み出したではないか。


「まさか、ドアを食ってるのか……?」


2人は愕然とした面差しで軋むドアを見つめた。

逃げようにもここは3階、窓から飛び降りることは出来ない。

成す術もなく2人は呆然とドアを見つめ―――とうとうドアが食い破られた。

室内になだれ込み、襲い掛かろうとする虫たちから2人が思わず抱き合うと―――唐突に窓ガラスが割れ、何者かが飛び込んで来た。


「伏せろ!!」


響き渡る怒声に2人が反射的に床に伏せると、声の主の男はひょうたんの中に入る酒を口に含み、ライターの炎を灯すと―――炎に吹き付けた。

アルコールに引火した炎は、巨大な業火に変貌し、身体中の汗腺から汗が噴き出るほどの熱風をもたらすと、何万匹もいた虫たちをあっという間に焼失させてしまった。

焼け焦げた虫たちの片鱗が降り注ぎ、あれほど耳障りだと感じていた羽音が1つも聞こえなくなっていた。

突如訪れた静寂にクオンとリュウセイが愕然としていると、謎の男は酒が滴った口元を拭いながら2人に視線を移した。


「大丈夫ですか?」


気遣うような優しい言葉を掛けられ、差し伸べられた男の手を取り立ち上がった2人は状況を呑み込めていないのか、困惑した面差しで男を見つめた。


「警戒しないで下さい、俺はあなた方の敵ではありません。

俺はこの屋敷を根城にしているイノセントという者です。

帰って来たら何やら騒がしかったもので様子を窺っていたら、あなた方が虫に襲われていたようでしたので手をお貸ししたのですが、迷惑でしたか?」


「ううん、助かったよ。

ありがとう」


謝礼を述べるクオンは真っ直ぐイノセントを見つめる。

全身黒ずくめで、腕から肩にかけてを露出した衣服を着用し、銃器や剣といった武器を纏い、腰にはウエストポーチと酒の入ったひょうたんを下げている。

右目は眼帯で覆われ、左目からは琥珀色の瞳が覗いている。

無造作に飛び跳ねたオレンジ色の髪が漆黒の姿によく映えて見えた。

イノセントは視線を外さずにクオンはじっと見つめる。


「……あなたは写真に写っていた人ですね。

確かこの屋敷は百年以上放置されていると聞いていますが、その姿は……」


「私は羅刹だから年を取らないの」


「ああ、それで……」


イノセントはクオンが羅刹だと知っても恐れる様子を見せず、興味深そうにクオンを眺めていると、リュウセイが訝しげな眼差しをイノセントに向けた。


「お前はなんでこんな場所に住んでるんだ?」


「まあちょっと……」


言いよどみ目を伏せるイノセントを前に、リュウセイはそれ以上の追及をやめた。


「それより、貴族共が来る前にここを出るぞ」


「そうだね。

じゃあねイノセント、助けてくれてありがとう」


「待って下さい。

こっちに抜け道があります。

外に繋がっているので、脱出するのでしたらそちらのほうが追手に気付かれないと思います」


そう言ってイノセントは本棚に所狭しと整列した本のうちの1冊を押した。

すると地響きが轟き、本棚がスライドし、3階から地下へと通じる階段が現れた。

ひゅうっ、と涼風が吹き、階段を覗き見るクオンの前髪を揺らす。


「結構入り組んでますので、外へは俺が誘導します。

付いて来て下さい」


イノセントはウエストポーチから懐中電灯を取り出し階下を照らすと、階段を下って行った。

イノセントのあとに続こうとするクオンの腕をリュウセイが掴み阻む。


「会ったばかりの奴を信用するのか?

あいつは俺たちを騙そうとしてるのかもしれないんだぞ」


「彼はさっき私たちを助けてくれた」


「だからって―――」


「私には彼が悪人だとは思えない」


「なんの根拠があって言ってる」


「根拠なんかない。ただの勘。

それに彼も言ったように、ドアから外へ出るより抜け道を使ったほうが高確率で貴族に出くわさず脱出出来る。

今は従うのが賢明だと思う」


リュウセイは説得力のある言葉に何も言い返せずにいると、さっさと階下へと進むクオンのあとをため息を洩らしながら追った。


―――イノセントとよほど気が合うのか外に出るまでの数分間、クオンは珍しく饒舌にクエスト遂行中という現状について包み隠さず語っていた。

相槌を打ち静かに話を聞いていたイノセントは、無事屋敷を脱出し、第4地区アーケード街に踏み入ってから思い立ったように開口した。


「あなたは自分が何者なのか知るためにクエストを受けたんですね。

―――お願いがあります、俺も連れて行って下さい」


「おい、何言ってやがる……」


「無謀なことを言ってるのは承知です。

ですが、俺はあなた方の力になりたい」


「イノセント……

これが危険なことだって分かってる?

会ったばかりの私たちのために、何故そこまで……」


「……正確に言えば自分自身のためです。

この右目の眼帯の下には、拉致されていく友人を助けるために武装集団に歯向かい負った傷があります。

結局友人は研究施設に連行され、羅刹になり、監獄の中で死にました。

友人は拉致される前、羅刹という孤独な存在がいなくなればいいのに、救済されればいいのに、と常々言っていました。

優しい男だったんです。

自分なりに羅刹について調べたりしていましたから。

その思いが果たされることなく死に、さぞかし無念でしょう。

だから友人の思いは俺が引き継ぐと決めたんです。

クオン、もしかしたらあなたといることで羅刹について何かが分かるかもしれない。

お願いです、俺も連れて行って下さい」


友人を想う切実な思いがクオンとリュウセイにひしひしと伝わっていく。

強い想いを秘めた瞳を見つめていたら、きっとここで断っても引いてくれないことは2人も理解していた。

2人は互いに顔を見合わせ意思を疎通させると、肩を竦めて笑ってみせた。


「そこまで一途な思いを持ち合わせてるお前を敵と勘違いするのは笑止だったな」


「うん、そうだね」


クオンは柔和な笑みを湛えたまま掌をイノセントに差し出した。


「イノセント、私たちの仲間になってくれる?」


思いがけない言葉に意表を突かれたイノセントは絶句し、片目で2人を交互に見つめた。

その胸の内に漠然と広がっていくのは温かな、言い知れぬ何か。

それはかつて共に過ごした友人との居心地よさと酷似したものだった。

イノセントは口端に微笑を乗せ、目元を細めると、差し出されたクオンの手を取り、たった一言だけ答えた。


「―――もちろん」

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