11.絶望への1歩
監獄から海を越えた先にあるイース帝国ヘルシティ。
人も寄り付かないような郊外にそびえ立つ威圧的な研究施設に運び込まれたクオン。
この場所はかつてクオンとジゼルが羅刹にされ、長すぎる時間モルモットとして生きた場所。
鼻を突くような薬品のつんとした匂いがクオンに煩わしさを植え付ける。
研究室に入り、クオンは武装集団に投げ捨てられるように硬いベッドに下ろされ、ベッドに縛り付けられる。
クオンが周囲を見回せば、50以上はあるベッドが等間隔に並列し、ベッドの上にはクオンと同じ羅刹が縛り付けられていた。
「放しなよっ、この下衆が!」
武装集団に暴言を吐き、新たな羅刹が連行され、クオンの隣のベッドに縛り付けられる。
その姿を目にしたクオンは目を剥いた。
「ジゼル……?」
「クオンじゃないか!
あんたも連行されて来たのかい?」
「うん」
「全く、こんなとこに羅刹を集めて何をしようっていうんだい。
……ん?」
ふと、周囲を窺っていたジゼルがある異変に気付く。
ベッドに縛り付けられた者たち、赤い腕輪は羅刹であることを物語っている。
しかし羅刹の数が多すぎる。
認知している羅刹は20人にも満たないはず。
この研究室のベッドの数はざっと数えただけでも50以上は確認出来た。
ベッドのほとんどが埋まっているとなると、今までのジゼルが知る常識が覆ったということになる。
「どういうことなんだ?
なんで羅刹がこんなに……」
動揺を滲ませるジゼルに倣い、クオンも再度周囲を見回すと、いかにも貴族といった高級そうなロココ調で漆黒の衣服を身に纏った男が現れた。
袖口から覗くレースや、花の刺繍、カフスといった装飾品が気品を漂わせている。
40代半ばくらいで、スノーホワイトでオールバックの髪にパールグレイの瞳は男に冷たい印象を与える。
男の背後には白衣を着用した十数人の科学者がいる。
ベッドに縛り付けられた羅刹を1人1人確認するように見回した男は、口端をつり上げた。
「手荒な真似をしてすまない。
突然だが、お前たち羅刹には新たな毒薬を投与する」
「毒薬だって……?
いきなり現れて何わけ分かんないこと言ってんだい。
あんたは誰なんだよ?」
「これは失礼、自己紹介が遅れたな。
私はグラディス・クロフォード、ヘルシティの領主だ」
グラディスがほくそ笑む。
羅刹研究の最高責任者を担い、ヘルシティの領主でもあり、ヘルシティに息づく全ての貴族の頂点に君臨する絶対的存在。
貴族ですら恐れる冷酷無比の男。
違法な薬物の密輸入や密輸出を担っている。
交友関係が広く、政界にも融通がきき、政府はグラディスの悪行を認知していながらも手出し出来ない状態だ。
いや、正確には政界にグラディスと通じる権力者が存在し、政府はグラディスの悪行を黙認するしかない。
グラディス・クロフォードという男は強大な力を持ちすぎているのだ。
「今回新たな毒薬の開発に成功した。
肉食獣のラットに投与した結果、適合したラットはブラッド・オメガとは異なる変化を見せた。
ブラッド・オメガ以上の脅威的なパワー、肉体的変化も凄まじいものだった。
我々は新薬をブラッド・オメガ・プラスと命名した。
新たにブラッド・アルファに適合した羅刹を30名ほど増やし、お前たちにオメガ・プラスを投与したのち監獄に戻す。
今までとはまた違った趣向で貴族たちはますます娯楽にふけることだろう。
最も、ワクチンさえ投与すればオメガ・プラスも消滅し、羅刹が人間に戻れることは実証済みだがな」
「……ブラッド・アルファの不適合者は死ぬはずだ。
30人の羅刹を造るために、一体何人の命を犠牲にしたんだい」
「さあ……役立たずの数をいちいち数えていないのでね」
「……いかれた貴族め、消えな」
「お前たちにオメガ・プラスを投与したのを見届けたのちに消えよう。
―――始めろ」
グラディスが科学者たちに命じると、科学者たちは赤い液体が入ったブラッド・オメガ・プラスの注射器を片手に羅刹の元へと散って行く。
クオンとジゼルの傍らに1人ずつの科学者が付き、禍々しい雰囲気を醸す注射器を腕に突き刺した。
「やめろっ……」
ベッドに縛り付けられているせいでもがくことも叶わず、せめてもの抵抗にと叫び声を上げるジゼル。
だがそれも空しく、ジゼルの身体はブラッド・オメガ・プラスを呑み込んでいった。
光りを失い、虚ろになったジゼルはぷつりとこと切れたかのように意識を失った。
そしてクオンも同様にブラッド・オメガ・プラスを投与された直後、強烈な眠気に襲われ意識を手放した。
続々と眠りについていく羅刹を、グラディスの非情な眼差しが見つめていた
―――
パシ、パシ、と軽快な音律がクオンの意識を現実に引き寄せる。
クオンの耳に自分を呼ぶ声が聴こえる。
なんだか両頬が熱を持ったようにじんじんと痛い。
頭にもやが掛かったようにぼんやりとするが、起きなければならないような気がしてクオンは億劫ながらも瞼を持ち上げた。
「おい、大丈夫か!?」
青空を背景にリュウセイやガウ、ニコラスが心配げにクオンを見下ろしている。
クオンがおもむろに周囲を見回せば、寂れた情景が目に付き、ここが監獄で、頬に走る鈍痛はリュウセイが叩いたことが影響だと知る。
ガウに背中を支えられ上体を起こしたクオンのこめかみに、ズギンズギン、と鈍器で殴られたような激痛が走った。
「クオン、あたまがイタイのか?」
「……大丈夫だよニコラス。
すぐに治るから」
力なく笑ってみせるクオンの虚勢は、ニコラスの心配を増幅させるだけで、安堵を与えてはくれない。
蒼白い顔で荒く呼吸を繰り返すクオンを、ニコラスはただ見つめるしかなかった。
「そうだ、私皆に伝えなきゃならないことが―――」
「きゃあああああっ!!」
クオンが開口しようとした時、突然悲鳴が響き渡った。
3人が振り返った先には、何か得体の知れない生物に追い掛けられ、無惨に喰われる駒の姿。
どこか人間を思わせるような風貌だが、人間で括るにはあまりにも異形なものだった。
大きさは人間と同等、鋭角に伸びた爪や角、表皮を象る鱗は変異した羅刹と同じだが、これまでと圧倒的に違うのは尖った耳、腰まで伸びた真っ赤な髪、耳まで裂けた口に、白目まで塗り潰された金色の双眸がギラギラと光輝していること。
左腕に赤い腕輪をしているということは羅刹なのだろうか……
だがこんな醜悪な容貌の羅刹は見たことも聞いたこともなく、リュウセイたち4人は呆然とした。
ふと、クオンに思い当たる節が浮かぶ。
羅刹に投与されたブラッド・オメガ・プラスが原因なのではないか、と。
もしクオンの推測が真実だとしたら、クオンもあんな醜悪な生物となり、人間を貪るのだろうか……
そう考えただけで、クオンは嫌悪感から身震いをした。
『おはよう、駒たちよ』
不意に降り注いだ声に4人の肩が跳ね上がる。
空を見上げれば、いつの間にか数多のヘリコプターが飛び交っているではないか。
掲げたモニターにはスノーホワイトの髪にパールグレイの双眸をした貴族の男が映し出されている。
仮面で顔の上半分が隠されているが、氷のように冷たい声色や、恐怖さえ感じる射抜くような双眸にクオンは見覚えがあった。
「……グラディス・クロフォード」
クオンの呟きにリュウセイが僅かに目を見張る。
その名は以前シェリーから聞いたことがあった。
ヘルシティの領主で、全ての貴族の頂点に君臨する闇社会の支配者だ。
駒たちは一様にモニターを見上げ、ほくそ笑むグラディスの言葉を強張った面持ちで待つ。
『すでに各地で生じていることだが、今回新たな毒薬、ブラッド・オメガ・プラスを羅刹に投与した。
その結果、羅刹は脅威的な肉体的変化を起こし、これまで以上の身体的能力を手に入れることに成功した。
飢餓状態に陥った羅刹は理性を失い、これまでより醜悪な容貌に変異することだろう。
飢餓感が納まれば自ずと変異も解ける。
ワクチンを投与すれば人間に戻る。
それは今までと変わらない、ただ、少々羅刹の扱いが困難になるだけのこと。
それでは諸君、監獄生活を存分に謳歌したまえ』
モニターが切れると同時に、監獄中が震撼した。
リュウセイが視線を向けた先には、先刻まで人間を貪っていた、今は変異が解けた状態の羅刹が呆然と何も映さないモニターを仰いでいた。
隣で悲しげに瞳を揺らし俯くクオンの肩に、ガウの武骨な手が乗せられる。
「あんまり落ち込むなよ。
もしあんたが変異したら俺らはとっとと逃げて、変異が解けた頃に戻って来るからさ。
ワクチンを投与すれば全部解決すんだし、きっと大丈夫だって!」
「クオン、考えすぎるなよ。
僕がついてるからな」
「ありがとう……」
慰めようとしてくれるガウとニコラスの言葉が素直に嬉しくて、クオンは頬を緩めた。
そんな3人をリュウセイの暖かな眼差しが見つめてくれる。
だが、クオンの頭の中で以前シェリーが発した意味深な言葉がクオンに完全に安堵することを許してくれない。
シェリーはワクチンを探すことが無駄だと言った。
その意味を知りたいが、相反して知りたくないという矛盾した気持ちもある。
知ってしまったら、全てに絶望してしまいそうだったから。
クオンは言い知れぬ懸念を抱きながら目元に暗い影を落とした。




