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エスケープ  作者: 星宮
10/22

10.貴族の生活

ふかふかのベッドにさらりとしたシーツの肌触り、鼻腔をくすぐる甘い紅茶の香りに意識が夢の世界から現実へ浮遊し覚醒する。

最初に碧い瞳に飛び込んできたのは高い天井、次いで優雅な動作で目覚めの紅茶、アーリーモーニングティーを淹れるメイド。

広い室内で高級なベッドに身を沈めるリュウセイは、毎朝この光景で目を覚ます。

貴族シェリーが考案したクエストに優勝したリュウセイに与えられた褒美は、シェリーの愛人になること。

脅威の監獄から連れ出され、リュウセイが以前暮らしていたヘルシティに構えるシェリーの屋敷に身を寄せて1ヶ月。

1人で住むには広すぎる部屋を与えられたリュウセイは、監獄での生活が180度一転し、高級な衣服を身に纏い、豪華な食事を口にし、屋敷の使用人には本物の貴族のように扱われていた。

一生関与することが皆無と思われていた貴族の生活。

貧しい生活をしていた頃は憧れていたこともあったが、実際生活してみると息苦しくて堪らないものだった。

使用人には無駄に気遣われ、シェリーの愛人だからか、社交界に出ても恥ずかしくないようにとマナーなども叩き込まれていた。

正直しんどい。

何が1番しんどいかって、監獄に仲間を置き去りにしたことだ。

リュウセイに非があるわけではないが、リュウセイは自分を責めることをやめない。

一時だってガウやニコラス、それにクオンを忘れたことはなかった。

今のまま安穏と暮らしていくくらいなら、あの地獄のような監獄に戻ったほうがマシだった。

メイドが出て行き、室内にはリュウセイ1人だけが残される。

リュウセイはカップの中でゆらゆらと揺れる紅茶を見つめ、口を付けることもなく、床に叩き落とした。


特に何をするでもなく、リュウセイはベッドの上で膝を抱え、窓の外に咲き誇る色彩豊かな美しい庭園を眺めていた。

リュウセイは決意していた。

この屋敷から脱出し、仲間がいる監獄に戻ることを。

だが問題はその方法。

ドアの外には見張りがいて、リュウセイは常に監視されている立場にある。

下手に行動すれば殺されてしまうだろう。

殺されてしまっては元も子もない、今までの監獄で奮闘した日々が水の泡になる。

リュウセイが苦悩していると、不意にドアが開き、深紅のドレスを纏ったシェリーと複数のメイドが現れた。

メイドの手には何やらきらびやかな衣装が抱えられている。

この屋敷に連れて来られて初めて仮面を外したシェリーの素顔を見て以来、シェリーは素顔のままでリュウセイと顔を合わせるようになっていた。

自分の所有物であるリュウセイの前で素顔を隠す必要などないからだろう。


「リュウセイ、この衣装に着替えるのよ。

出掛けるわ」


「どこにだ」


「今夜は知人の誕生パーティーに呼ばれているの。

あなたにも正装で出席してもらうわ」


「愛人を同伴させていいのか?」


「構わないわよ。

どうせ他の貴族たちも同じように愛人を同伴させるでしょうから」


貴族たちの言いなりになるなんてまっぴらだ。

そう思いつつも、リュウセイは無力で、言い返すことさえ出来なかった。


―――陽も落ち、満月が照らし付けるヘルシティの一端に佇む屋敷に高級車が続々と集合する。

屋敷内のホールには熱帯魚のようにヒラヒラした色鮮やかなドレスを纏った貴婦人たちや、一見穏やかそうに見える紳士たちがいる。

シャンパンが入ったグラスを片手に、談笑を楽しんでいる。

ロココ調で金色の装飾品をあしらった深い青色のサーコートを着用したリュウセイ。

気慣れない衣服のせいで肩が凝り、すでに気疲れしていた。

優雅な笑い声がやけに耳に付き、不快感を煽り、一刻も早くこの場から逃げ出したい衝動を駆り立てる。

そんなリュウセイの心情などお構いなしに、シェリーがリュウセイの腕に華奢な腕を絡めてくる。


「見て、皆あなたを見てるわ。

あなたは人目を引くほど美しいもの」


シェリーの言葉にリュウセイが周囲を見回すと、確かに貴婦人たちの熱情的な視線がリュウセイに集中している。

粘着質で身体を嘗め回されているような視線はリュウセイに不快感しか与えない。

対照的に優越感に浸るシェリーは上機嫌に妖艶な笑みを浮かべている。

リュウセイはそんなシェリーを振り払おうともせず、今夜の主役でもある人垣に囲まれた男に目を向けた。


「……知人にあいさつに行かなくていいのか?」


「いいのよ。

どうせ出席出来ない父の代役として出席しただけだもの。

私自身の知人というわけでもない、父の仕事関係の人間よ」


「なら尚更あいさつしないとまずいだろ。

父親の立場が悪くなるんじゃないのか」


「私は父に“代役として主席しろ”としか言われてないもの。

私の役目は果たしたわ」


「……卑屈だな」


「この街に住む貴族なんて皆そんなものよ。

大抵自分のことしか考えてないもの」


皮肉めいた笑みを浮かべるシェリーをリュウセイが無情に見つめていると、不意に視界の片隅で見覚えのある人物を見掛けた。

桃色でふわふわな髪の子供―――ルルだ。

声を掛けようか躊躇われたリュウセイだが、その考えは瞬時に頭の片隅に追いやる。

ルルの側にいる、ルルを養子にと監獄から連れ出した老夫婦―――ルルに向けられた眼差しはとても慈愛に満ちていて、それを一身に浴びるルルもまた幸せそうに微笑んでいたから。

ルルの今の姿を見たら、きっとハロルドも喜ぶことだろう。

ハロルドはルルの幸せを誰よりも強く望んでいたから。


―――パーティーも終盤に差し掛かり、シェリーとリュウセイは一足先に帰宅することになった。

だが当のシェリーはリュウセイをホールに置き去りにし、話があるからと言い知人の紳士を連れ立って回廊へと消えて行った。

話とやらが無性に気になったリュウセイはこっそりシェリーのあとを付け、物陰に身を潜めた。

ホールの騒音とは打って変わって広がる静寂に、シェリーの甲高い声と、紳士の低い声が響く。


「先日クロフォード公爵から窺ったのですが、どうやら例の物が完成したようです」


「まあ、それじゃあ早速実行するんですの?」


「ええ、近いうちにとおっしゃっていました」


「それは楽しみだこと。

その日が待ち遠しいですわ。

きっと監獄はパニックになるでしょうね。

何せ、新しい毒薬は駒たちにとって畏怖の存在でしかないでしょうから」


―――リュウセイは耳を疑った。

貴族たちはまたしても毒薬を開発したのか……

一体どこまで他人の命を弄ぶつもりなのか……

リュウセイはやり場のない憤りを抱え、きつくきつく拳を握り締めた―――


屋敷に戻って来れた頃にはすでに日にちが変わっていた。

大理石の回廊をシェリーと連れ立って歩いていたリュウセイが自室に入ろうとした時、何故かシェリーも入室する。

リュウセイが怪訝な顔でシェリーを見つめていると、薄闇の中、シェリーの瞳に色情が宿り、リュウセイに身体をすり寄せて来る。


「ねえリュウセイ、愛人という意味を知ってる?

ただ側にいて話をするだけが愛人じゃないのよ。

これからずっと一緒にいるんだもの。

もっとお互いのことを知る必要があると思わない?」


「……そうだな。

じゃあお互いのことをもっと深く知るために質問する。

新しい毒薬とはなんだ?」


「……盗み聞きをしていたのね。

卑しい人」


興醒めしたシェリーはリュウセイから僅かに身体を離すと、冷笑した。


「まあどうせ隠す必要もないから教えてあげる。

新しい毒薬っていうのはね、羅刹を更なる化け物に変貌させる効果を持っているの。

ブラッド・オメガ・プラスという名称らしいわ。

6年に渡り開発し続け、ようやく完成したの。

それを羅刹に投与する予定なのよ。

ああそれと、羅刹の人数も劇的に増加させるという話も上がっているわね」


「……お前たち貴族はどこまでも狂ってるな」


「最高の褒め言葉ね。

美しいと言われるよりもずっと嬉しいわ」


「……クロフォード公爵っていうのは?」


「闇社会で絶対的な権力を誇るグラディス・クロフォード。

彼は常に最前線で羅刹や毒薬の研究を見守ってきて、監獄の建設を考案した人物よ。

莫大な研究費用のほとんどは彼が工面しているの。

約百年前、羅刹を造る毒薬の開発で最高責任者だったのが彼の祖先よ。

以来クロフォード家は長くに渡って羅刹に関与してきた、羅刹に最も詳しいと言っても過言ではないわね」


淡々と紡がれる言葉に、リュウセイはただ呆然としていた。

フィルター越しに聞いているかのように、シェリーの声がどこか遠くに聞こえる。

そんなリュウセイの反応にシェリーの笑みが濃くなり、消えかけていた色情が再び宿り出す。


「さあ、私の話はおしまい。

次はあなたの番よ。

最も、言葉なんか必要ないけど」


言うや否や、シェリーはリュウセイをベッドに押し倒すとのし掛かった。

漆黒の髪がリュウセイの頬をくすぐる。


「リュウセイ、この先はどうすればいいか分かるでしょう?

女の私に恥をかかせないで」


シェリーが醸し出す色香は魅力的で、男ならこの状況に流されてしまうことだろう。

リュウセイも例外ではないのか、無機質な瞳でシェリーを見つめ後頭部に手を伸ばし引き寄せると―――荒々しく口付けをした。

息も満足に出来ないほどの濃厚な口付けにシェリーは一瞬目を剥いたあと、身を委ねた。

衣服を通してシェリーの身体が火照っていくのがリュウセイに伝わる。

リュウセイは身体を反転させシェリーをベッドに押し倒すと、口付けたままドレスの裾に手を潜り込ませ、滑らかな肌を撫でていった。

シェリーの口から妖艶な吐息が洩れる。

リュウセイの手がシェリーの太もも辺りに到達した時、何か硬質な物に触れた。

リュウセイはそれを引き抜くと口付けを止め、その硬質な物をシェリーの胸に突き付けた。

室内に侵入する淡い月光に煌めく黒光りする物―――拳銃。

愕然とするシェリーをリュウセイの無情な双眸が見下ろす。


「死にたくなかったら俺の言うことを聞け」


「……私を撃つ気?

やめておきなさい、外にはSPが控えているのよ。

あなたが殺されるわ」


「殺される前にお前を殺す。

俺は本気だ」


柔肌に硬質な銃口が食い込み、シェリーに鈍痛が走る。

シェリーは冷や汗を浮かべながらも、気丈にリュウセイを見上げた。


「何が望み?」


「俺を監獄に戻せ。

今すぐにだ」


「監獄ですって?

あんな汚らしい所に戻りたいなんて、どういう心境なのかしら?」


「お前のような醜い女を抱くくらいなら、その汚らしい監獄に戻ったほうがずっとマシだと思っただけだ」


「……醜いですって? 私が?」


シェリーの双眸が冷ややかに細められたかと思うと、何を思ったのかクックッと笑い出したではないか。

リュウセイにはその姿が異常に思え、眉を潜めて見下ろした。


「心外ね。

醜いだなんて言った男はあなたが初めてよ。

面白いじゃない。

望み通りあなたを監獄に戻してあげる。

監獄に戻すには惜しい逸材だけど……

せいぜい足掻き苦しみ、私を楽しませて頂戴。

死にたいと思うまでね」


―――空が白み、夜が明ける頃、家屋で休んでいたクオン、ガウ、ニコラスはヘリコプターの騒音で目を覚ました。

何事かと外へ出てみると、3人は目を見張った。

何故なら、ここにいるはずがないリュウセイがいたからだ。


「リュウセイ……」


唖然とした面持ちでガウが呟くと、リュウセイは柔らかな笑みを浮かべてみせた。


「言っとくが幻じゃないぞ。

正真正銘ここにいる」


「お前……なんでここに……」


「お前は馬鹿か。

友達を残して俺だけのうのうと生きられるわけないだろ。

そんなの、死ぬよりももっと辛い」


「―――そんな理由で戻って来るなんて……馬鹿はお前のほうだな」


ガウが苦笑する。

だけどリュウセイを見つめるガウの横顔は喜びに打ち震えているようにも見えた。

そんなガウの横でニコラスはうっすらと目に涙を浮かべている。

リュウセイが戻って来てくれてニコラスも嬉しいのだ。


「リュウセイ……」


クオンが真っ直ぐリュウセイを見つめ開口しようとした時―――新たなヘリコプターが4人の側に着陸し、数人の武装集団がクオンを捕縛した。


「なんだよあんたら!

クオンをどうする気だ!?」


「クオンをはなせよバカ!」


「やめろ!」


ガウとニコラス、リュウセイが吠え、クオンに駆け寄ろうとするが、武装集団に殴られ、呆気なく鎮圧されてしまう。


「やめてっ、彼らに手を出さないで!」


武装集団を殴り付け抵抗を表明するクオンだが、手足を縛り上げられ動くことが叶わなくなってしまった。

武装集団はクオンを担ぎヘリコプターに乗り込むと離陸した。

殴られた影響で地面にうずくまる3人を見下ろし、クオンはただただ困惑するしかなかった。

身体を走る痛みに歯を食い縛り、遠のいていくヘリコプターを見つめるリュウセイの脳裏をよぎるシェリーの不吉な言葉。

新たな毒薬を羅刹に投与……

これからクオンの身に起こる残酷な未来が目に見えるように想像出来、リュウセイは地面に拳を打ち付けた。


「くそっ……」


たかが羅刹、いつか殺す相手に胸を痛める必要などないと頭で理解していても、心が付いていかない。

殺すには心を通わせすぎた。

3人は地面に伏し、ただ無力に暁の空に消えゆくヘリコプターを見つめるしかなかった―――――

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