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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

『道化の鎮魂歌』

prequel of 道化の鎮魂歌

作者: 本宮愁

10/31 道化の鎮魂歌本編に組み込みましたので、こちらを検索除外設定にしました。

 遠い、記憶だ。


 ひとはそれを悪夢と呼ぶのかもしれない。いつまでも脳裏に焼きついて離れない光景。とても、残酷。そして、無慈悲な。


 けれど、彼はとても――美しかった。



*****



 抜き身の刀身に、光の波紋が広がる。


 目がくらむほどの赤を散らしながら、無造作に振り上げられた刃。闇に浮かぶそのコントラストが、思いのほか美しく見えたことを覚えている。


 月の光をまとった銀糸の髪を、風がさらっていく。瞳に映るすべてが、圧倒されるほどに綺麗だった。


 ――囚われた。


 凍てついたブルーグレイの瞳と視線が絡まった瞬間。もう逃れられない、と、それだけが頭をよぎった。


 遠い日。夢か現か。信じられないような非日常を、私はただ呆然と甘受した。衝撃と、感動。追いかけた兄はもういない。代わりに、美しい月の悪魔が、そこにいた。


 あれは、いつだったか。どこだったか。どうして、私はそこにいたのか。――わからない。


 穴だらけの記憶の中で、少年の姿だけが色鮮やかに思い浮かぶ。銀色の髪。ブルーグレイの瞳。感情の欠落した、圧倒的な美。


 それから、撒き散らされた、一面のアカ。


 物言わぬ骸と、血塗れの日本刀。深い深い森の奥地で、そこだけに、まるでスポットライトのように月光が降り注いで。


 赤い切っ先が振り向くのを、目を見開いたまま待っていた。声をあげることも忘れて。


 何も言わなかった。私も、彼も。二人がかりでだって手を回せないような巨木の幹に囲まれて、すこしだけ開けたその舞台を、静かに見つめていた。


 虚無な瞳に誘われるように、私は一歩踏み出した。ぐしゃり、嫌な音が鼓膜を打った。鮮血に染められた草が、靴の下で悲鳴をあげた。


 兄であったモノが、少年の足元に落ちていた。なんだか感覚が麻痺してしまっていて、私はたぶん、何も考えていなかった。


 ぞくり、と背筋が震えて、今さら立ちすくんだ私を、彼はやはり、凪いだ瞳で見つめていた。


 ブルーグレイの鏡面。底が見えない、淡い瞳。


 心が打ち震えた。背筋をはい上がる、この感情は。恐怖と似ていて、でも、違う。本能に刻み込まれるような、……畏怖だ。


 ブルーグレイの鏡の中で、幼い私が笑う。


 無邪気に。


 わかっていた。これから自分が、地に伏せる兄と同じ肉塊になるだろうことは。


 それでもいいと思った。最期を看取るのが、この美麗な月だというなら。それは、とても贅沢なことに思えた。


 すこしだけ、彼の表情が動いた。突きつけられた刃が、震える。


 やがて、無言のまま、彼は切っ先をおろした。


 お人形よりも綺麗に整った顔が、複雑にゆがんで、私との間の、わずかな距離を一瞬でつめた。



「きて」



 涼やかな声が響いて、二の腕が、ぐっと引かれた。


 わけがわからないまま、少年に腕を引かれて、木立の間を駆け抜けた。見たことのない早さで景色が流れ、ときおり、つんのめる私を、迷惑そうにブルーグレイの鏡が映した。


 永遠のようでいて、一瞬のような、時間。いつの間にかたどり着いた森の出口へ向けて、私を突き飛ばすと、彼はすぐに踵を返した。



「わたし、あまね。あなたは?」



 一拍おいて、ひとり言のような微かな答えを、風が運んできた。



「カイ」



 シンプルな黒いコートが、風をはらんで膨らむ。


 一度、まばたきをすると、月光に煌めく銀髪がフードの中に消えた。


 次に、まぶたを下ろせば、カサリ、と乾いた音がして。――目を開けたときには、もう、ひとの気配は消えていた。


 おどろおどろしく口を開ける深森を見つめながら、地面に座りこんで、そっと、彼の名を呟いた。



「かい……」



 とても綺麗で残酷な、月の悪魔。兄を殺して、私を見逃した。私は、彼に――生かされた。


 早鐘を打つ心臓に、後戻りのできない深みへと落ちつつある感情を、悟らされた。

 囚われた。あの夜に、あの月に。私のすべてを、銀色の悪魔がさらっていったのだ。

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