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死の都市  作者: LION
第一章 
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第七話 休息

「くそっ、寄るな!」


 佐伯くんは前方から迫り来る化け物の腹部を蹴りあげた。しかし、足もとに気をとられているせいか威力は弱く、化け物はよろめいただけでまた前進を再開した。さっき一撃を食らった化け物もゆっくり近付いてきている。


 佐伯くんが殺されてしまう! ……そんなの、絶対にいやだ!


 無我夢中で恐怖を感じなかった。三体の化け物たちに襲われる佐伯くんのすぐ側まで駆け寄ると、彼の足もとにまとわりつく化け物の側頭部をサッカーボールのように勢いよく蹴りあげた。


 ゴキッという嫌な音と感触。おそるおそる見下ろすと、化け物の首は変な方向に折れ曲がり、彼の足首を掴んでいた手は力なく地面に落ちた。


 その瞬間を待っていたと言わんばかりに、佐伯くんの剣技が炸裂する。十秒も経たないうちに彼の竹刀が二体の化け物の首をとらえ、地面には計四体の屍が転がった。


 終わった……。私も彼も生きている。男子生徒も無事だ。無意識に塞き止めていた息を思い出したように吐き出す。


「……助けてもらっちゃったな。ありがとう、伊東さん」

「そんな、私だけ助けてもらってばかりは申し訳ないから……」


 佐伯くんにじっと目を見つめて真剣に礼を言われる。なんだか気恥ずかしく感じゴニョゴニョと弁解しながらぱっと顔を背けると、屈んだ男子学生の後ろ姿が目に入った。


「あっ、大丈夫ですか?」

「…………」


 男子学生は何も答えず俯いている。あれだけ追いかけ回されていたのだ、心身共に疲れきっているのだろう。少し休ませておいてあげたいが、いつまた化け物が現れるかわからない。


「えっと、結構大きな声出しちゃったんで、あれがまた来るかもしれないんですよね。近くに安全な場所があるので、一緒に……」

「近付いちゃだめだ!」


 男子学生の肩に手を伸ばそうとした私を佐伯くんが力強く引き寄せたと同時だった。男子学生が勢いよく振り返り、飛びかかってきたのだ。


 数秒前まで私がいた丁度その場所に男子学生が思い切り倒れこみ砂煙がたった。どうしたのか? 何があったのだろうか? 茫然と私は地面に伏せる男子学生を眺めた。


「彼はもうだめだ! 行こう、伊東さん!」


 佐伯くんは投げ捨ててあった剣道用具はそのままに、鞄だけ拾い上げて私の背を押した。私も慌てて血塗れの鞄を持ち直し、走り出す。


「なんで? なんで? あの人、さっきまで『助けて』って……」

「わからない! ただ、彼は……」


 彼は腕に噛まれた痕があった――。


 何が何だかわからない。ただあの男子学生はもうダメなことはわかった。私と佐伯くんは後ろを振り返ることなく走り続けた。





 大きな音をたてて勢いよく扉が閉められた。窓から射し込む夕日の淡い光が薄暗い空間をぼんやり照らしている。


 あれから私達は脇目もふらず目的の体育館まで走り続けた。予想通り体育館の付近には誰もおらず、扉を開けて中に入っても人の気配はなかった。一番安心したのは、今や大学内のどこにいても目に飛び込んでくる死体や血が見られないことだ。ここだけいつもの時間が流れている。そう感じた。


 私は部屋に入った途端膝の力が抜け、よく磨かれツヤツヤ光る木の床になだれ込むように倒れた。


「大丈夫か!?」


 佐伯くんが驚いて私の身体を支える。背中に回された腕が温かく、逞しく、心地よい。


「平気、平気……。だけどやっぱり、疲れちゃった。ごめんね、私だけ甘えて……」


 力の入らない声でそう言ってからふと気づく。――そうだ。佐伯くんと出会ってから今までの間、私が恐怖や不安を口にして感情をぶつけてきたのに対し、彼は感情を抑制して冷静に状況に対応している。私は迷惑をかけてばかりだ。


「佐伯くんがいなかったら、私今頃死んでただろうな……」


 私は重たい身体を起こし、彼に向き合う。今初めて佐伯くんを見た気がした。


 男性にしてはほんの少し長めの真っ直ぐな黒髪に、切れ長で奥二重の涼しげな目許。すっと通った鼻筋。唇は固く結ばれて意思の強さを感じさせる。少し強面な表情からは、生真面目な性格が滲み出ている。若い子達に人気な男性アイドルのような華やかさはないが、日本人的で端正な顔立ちだ。


 じーっと顔を見つめる私の視線が気になったのか、居心地悪そうに彼は目を逸らした。


「俺も伊東さんと出会わなかったら死んでた。あの時俺、階段下りて様子見ようとしてたからな」


 そう言うと佐伯くんは苦々しい表情を見せた。そして私に向き直ると柔らかく微笑んだ。


「どっちがどれだけ助けたとか考えるな。こんな非常事態だ、お互い生き残るために自分に出来ることをするまでだ」


 ――いい人だ。佐伯くんの言い方はぶっきらぼうで時々突き放すような冷たい印象を与えるが、言葉自体はとても温かい。少し不器用だが、誠実なこの人ならこの先何があっても信じられる気がする。


「これからどうしようか……」


 少し落ち着いてきたところで私は佐伯くんに尋ねる。彼は少し考え、口を開いた。


「……日も落ちてきたし、今外に出るのは危険だ。すぐに救助が来るかはわからないが、とりあえず朝まで待つべきだろうな」


 確かに、今無闇に動き回るのは危ない。私は彼の言葉に頷いた。


「今するべきことは……情報収集だな。一体何が起きているのか、把握する必要がある」


 佐伯くんはそう言うと鞄の中から丈夫なケースに入ったノートパソコンを取り出した。持った時に随分と大きくて重い鞄だと思ったが、そういうことだったのか。彼はそのままパソコンを起動させようと電源に指を伸ばしたが、直前で止めた。


「……その前に腹ごしらえをしようか」


 彼は鞄から保存のききそうな栄養食品を取り出した。救急セットを持ち運んでいたことといい、随分しっかりしているなあと素直に感心する。四角いパッケージのそれを差し出されて、私は礼を言うとすぐに包装を破りかじりついた。恐怖で空腹を忘れていたのだ。


「本当に非常食として食べる時が来るとはな」


 佐伯くんが呟いた。


 この束の間の休息が過ぎ去った時、私達はどうなってしまうのだろう? 今から知る現実に対し希望を抱く反面、抑えがたい胸騒ぎを感じた。

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