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死の都市  作者: LION
第六章 
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第五十六話 慢心

 二階に上がるとまずレジが並ぶひらけたスペースがあって、その奥にはたくさんの商品の陳列棚があった。二階となると、ゾンビは建物の外にも出られなければ、階段を使って一階に移動することもあまりない。あちらこちらから呻き声がするし、階段付近からも何体ものゾンビの姿が確認できた。


 何かを引き摺ったかのような血の跡で汚れたフロアを進むと洗剤などの台所用品が並べられた区画があった。通路には買い物かごと、中に入っていたと思われるたくさんの商品が散らばっている。そして、臓物の浮いた血溜まりに数体のゾンビが突っ立っていた。とても歩ける状態ではなさそうだ。


「洗剤やらキッチンペーパーなんてそんな必要じゃないよね。こんな非常時だし。ここで僕がやつらの気をひきつけて相手をしてるからさ、安心して別のところを物色してきてよ。そっちにも少しはうろついてるかもしれないけど、その時は佐伯くん頼んだよ」


 佐伯くんの返事を待たずして、加賀谷さんは棚の前にたむろする数体のおばさんゾンビに銃を向けた。いかにも主婦、といった風体。みんな動きやすそうなスニーカーを履いていて、土曜日にたくさん買いだめしに来たんだなぁと想像できる。母親がスーパーの特売品のチラシをよく血眼になって見ていたのを思い出す。ここではあの日洗剤がセールだったのかもしれない。平和だけど一生懸命生きていた日常を思い出すとやりきれない。


 佐伯くんにうながされて歩きだすも、容赦ない破壊音を背に、胸が苦しくなる。


「大丈夫か?」

「……うん。みんな買い物しに来てたんだなって思ったらちょっと悲しくなっちゃった」

「ああ、そうだな。まさかこんなことになるだなんて誰も思ってもみなかっただろう」


 佐伯くんの淡々とした当たり障りのないコメントに、こんなときに悠長なことを言ってしまったなと後悔の念がよぎる。そう、こんなこと……もう死んでしまった人のことなど考えてる場合じゃない。私たちが生き延びれるかが問題だ。今も倉本さんや永田さんが危険に晒されているのだ。


 慌ててあたりを見渡す。ゾンビはフロア中に鳴り響く銃声に反応し、目論見通り加賀谷さんの方へ集まっているようだ。


「あ、バンドエイドとかあそこにあるよ……でも何が一番必要なんだろう」


 こういう非常時に必要なもの。あまり真剣に考えたことがなかった。家には常に快適な生活をするための様々な物が備わっていた。お母さんが揃えておいてくれていたのだ。その中でも非常時用に用意していたリュックの中には何が入っていたのかを思い出そうとするがなかなか出てこない。


「救急用品は必要だろうな。あとはあまり深く考えずに、とにかく思いつく限りのものを近藤さんのところまで運ぼう。積みきれなかった分はあとで集まった時に考えればいい」

「そ、そうだね」


 早速作業にとりかかる。バンドエイド、包帯、テープ。非常時の中の非常時のことだ――それに深い傷をつくるようなことがあれば、それは……ほとんど死を意味することだから、そんなに数は必要ないように思えた。とりあえず両手いっぱいに抱えて、さてどうしようと考えていると佐伯くんに買い物かごを渡される。


「それは綺麗なかごだから大丈夫。俺は一回近藤さんのところに運んでくる。ここから離れないように。ゾンビが来たらすぐに呼ぶんだぞ」

「うん、わかった。気をつけて」


 かごを受け取り、佐伯くんを見送る。きょろきょろと手短に安全確認をし、作業を再開する。目につくものをあまり考えずに中に入れていく。乾電池、これも必要そうだ。懐中電灯やラジオなんかに使えるだろう。サイズも一応全部持っていこう。乾電池20本パックを鷲掴みし、次々と入れる。なかなか重い。もうそろそろ近藤さんのところへ持って行ってもいいかもしれない。


「あっ」


 少し離れたところにある棚に見慣れた冷却シートのパッケージを発見した。高熱に倒れた加世ちゃんのことが頭に浮かぶ。これだけ入れて持っていこう。急いで棚に近寄り、数箱手に取る。


「よし、行こ……」


 一人呟き床に置いたかごを持ち上げようとしゃがみこむと、さっと影が差した。佐伯くん、ではない。空気でわかる。規則正しい息遣い。気管から空気とともに漏れ出る、低い低い呻き声。


 反射的にかごから手を離し、気配のする方と反対向きにのけ反る。ぶん、と無造作に投げ出された腕を寸前で避けた。とても血の通っていなさそうな真っ白で固い指がもどかしげに宙を掻いた。それはさっきまで私の首があった場所だった。それら一連の動作を見ながら私は床に尻もちをつく。


「よ、よした……」


 恐怖のあまり声が掠れて出ない。しかも最悪なことに、今の声で正面から消えた私を探していたゾンビと目があってしまった。鼻がえぐり取られて鼻孔がむき出しになった、パンチパーマのおばさんゾンビ。私を見下ろす彼女の白い瞳に感情などない。しかし黒く染まった歯が、そこから滴る唾液が、彼女の中で私が獲物に映っていることを示していた。


 とにかく、時間を稼ごう。足で床を蹴り、滑るように後退する。ゾンビは徐々に前のめりになりながら距離を詰めてくる。


「ひ……や、やめ……」


 股の間にゾンビの顔が迫り、立ち上がろうと身をよじる。が、足がもつれてうまくいかない。そうしている間に足首を掴まれ、そのまま衣服ごと勢いよく手繰り寄せられた。


 ……あ、終わったかな。不思議と心は落ち着いていた。諦めが早いと思われるかもしれないが、噛みつかれるまで秒読みだ。抵抗しようにも身体も重いし、なんだか……頭も働かない。こんなときに眠気がくるとは。悪夢のはじまりの日に授業中居眠りしていたことを思い出しながら、床に後頭部をあずけた。


 ガス、と音がしたと思ったら、目の前に棒が一本伸びていた。私の頭上で、それはゾンビの眼窩に繋がっていた。ボタボタと腹部に液体が垂れる。


 佐伯くんはゾンビの目に突き刺さった木刀を抜かずにそのまま力を入れた。今度はゾンビが仰向けに倒れる。


 間一髪で助かった。よろけつつも起き上がる。


 佐伯くんは倒れたゾンビから勢いよく木刀を引き抜くと、そのままもう片方の目玉に向けて振り下ろした。次は、眉間。ゴキ、と砕けて固い木刀の先がめり込んだ。またもや引き抜いて今度は喉元に突き刺すと、足でゾンビの顔面を踏みしだいた。躊躇うことなく、徹底的に、執拗にゾンビの顔面を破壊する。折れた歯が飛び散ってこちらの方に転がってきた。最初は抵抗して床をなぞるように動いていたゾンビの手はとっくに動かなくなっていた。


 凄惨な光景をしばらくぼんやり眺めていた。いつまでたっても止む気配がしないのでさすがにおかしく思い、佐伯くんを止める。少しの間肩で息をしていた佐伯くんが振り向く。


 彼の顔には何の表情も浮かんでいなかったが、少し疲れているように見受けられた。


「本当にごめんなさい。気をつけてはいたのだけど」

「起きたことが全てだ。しかし一人にさせた俺も軽率だった。悪かった」

「……ううん、もっと慎重にしていればすぐ逃げられたはずだったし」


 なぜ、気付かなかったのだろう。自分の注意力が散漫だったことに。心身ともに弱っていたうえに、昨晩の寝不足。自分を過信しすぎていた。結果、このようなことが起きてしまった。


「早く終わらせるぞ。君は女性代表として来たんだろう。俺が見張ってるから」

「……うん」

 

 そうだ、ちゃんと最後まで任務を全うしなくては私がここに来た意味がない。何事もなかったかのように、新しく渡された空のかごに物を詰め込んでいく。私も佐伯くんも黙々と作業をしていたが、かごがいっぱいになってきたとき、佐伯くんが切り出した。


「また諦めてたな」

「え?」

「おとなしくゾンビに噛まれようとしてた。須藤の時と同じだ」

「……そうだ、ね」

「疲れているんだろう。だったらやはり無理するべきじゃなかった。率直に言うが、迷惑だ」


 佐伯くんのこれまでになく冷たい口調。倉本さんの言葉が蘇る。偉そうに助け合いなんて言ったが、私が間違えていたのかもしれない。少なくとも、私が言う言葉ではなかった。


「終わったな。行こう」


 置きっぱなしにしていた乾電池や冷却シートの入ったかごを手に待っていてくれた佐伯くんと一緒に近藤さんの所へ向かう。もうゾンビの姿は確認できなかった。加賀谷さんが大方始末してくれたのだろう。銃声が少なくなってきていたのを意識しておくべきだった。そうすればさっきのようなことにはならなかったはずだ。


 階段前に待っていた加賀谷さんと近藤さんと合流し、階段を降りる。


「うん、こんなものだね。じゃあ行こうか」


 全員の無事を確認し、装甲車に乗り込む。装甲車の乗員席の後ろ半分は集めてきた物資で埋まっていて窮屈だ。隣に座る佐伯くんの身体とどうしても接してしまうのが今はとても気まずい。


「そういえば、なんでここを新しい避難所の移動先にしなかったんでしょうね。こうしてゾンビもやっつけたわけだし、生活に必要な物もたくさんあるしでこの上なく快適だと思うんですけど」

「建物の構造上、籠城には向かないんだろ。出入り口は自動ドアだし、シャッターを下ろすにしても奴らにとって突破はたやすいだろうよ。それに一階部分はほとんど硝子張りだしな」

「ああ……そう言われればそうですね。あと死体が多くて臭いのもいやですね」


 永田さんと近藤さんの会話をぼんやり聞いていたら、出発の準備は終わったようだ。装甲車がゆっくり動きだす。


 危険に思われた任務は結果としては死者を一人も出すことなく終わった。柴崎さんにもらった電話番号も使うことはなかった。

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