第五十二話 選出
北山さんの要望は当然とまではいかなくとも、十分予想できることだった。特に反対することなく落ち着いた反応をかえす私たちに安心したのか北山さんは話を続けた。
「ここからそう離れていない場所に大型のスーパーマーケットがある。移動は装甲車で片道10分足らずだ。そこで飲食物、衣料品、日用品などを調達してもらいたいのだ。避難民の中から6、7名ほど協力してもらい、我々からは加賀谷が同行し調達班を統率することになっている。君たちからは……そうだな。3名ほど来てもらいたい」
「それ、危なくないですか? だって土曜日でしたよね……急に人がゾンビ化し始めたのって。だったらそんな大きなスーパー、ゾンビだらけになってるはずじゃ」
奈美さんがさすがに困惑した様子で北山さんに問いかけた。たしかに、ごもっともだ。大学こそ普段より人が少なかったが、そのほかの場所……デパートやアミューズメント施設、夕方ともなればスーパーは平日以上に混雑する。ゾンビが大量発生していてもおかしくない。
「気を抜けば犠牲者が出るだろう。しかしまぁ安心してほしい。君たちには運搬を手伝ってもらいたいのであって、積極的に戦ってもらうわけではない。戦闘は加賀谷に任せてくれ。武器は十分に備えてあるし、同行する加賀谷は戦闘力でいえば隊員の中でも群を抜いている。そしてスーパーはもちろんあらかじめ偵察済みだ。ゾンビは多いが、十分に安全を確保しながら進めるだろう」
自衛隊の北山さんの言うことには説得力がある。奈美さんもそれ以上不安を口にすることはなかった。
「……というわけで、協力してもらえるかな」
各々が頷き、北山さんはほっとした顔をする。なんて私たちはものわかりのいい人たちだろう――わざわざ危険に飛び込むことを了承するだなんて。こう説明されても断固拒否する避難民も少なくないに違いない。しかし、誰かが彼らの力にならなくては自分達の命に関わる。これは自衛隊の人たちに守ってもらうための対価だ。……その恩恵が凛太郎くんを殺した奴の分も行き渡ると思うと癪だけど。
「よかった。君たちの協力が得られて安心したよ。で、早速三人を決めてもらいたいんだが。そうだな… こちらの希望としては……佐伯くんとそこの君にはぜひとも来てもらいたい」
佐伯くんは準戦闘員としてほしいところだろうと思っていたが、もう一人指名を受けたのは倉本さんだった。体格のいい大人の男性となるとそうなるのだろう。
「僕は構いません。倉本さんは?」
佐伯くんが確認をとる。倉本さんは気だるげな目を佐伯くんに向けると、ぼそっと呟いた。
「ああ。……暇つぶしにいい」
暇つぶしって。倉本さんは相変わらずよくわからない。意地悪だったり、協力的だったり。彼の隣の誠も加世ちゃんも苦笑いをこぼす。
と、加世ちゃんの姿に目がとまった。顔が青白い。そうだ、ずっと一緒にいたお婆ちゃんが亡くなったのは昨晩のこと。あれから彼女は休む間もなく生き残るため危ない場面を切り抜けてきた。無理をしているに違いない。今日はゆっくり休ませてあげたいところだ。
「二人は決まったな。ではあと一人だ。昨晩の時点では出て行った彼に来てほしいと思っていたんだがな。まあ仕方がない。誰か希望者はいるか?」
「じゃ、じゃあ僕が行きます」
あちらにも希望があるとしたら私が立候補したら逆に迷惑かな、と考えていると、相田くんがおずおずと手をあげた。北山さんがううむ、と眉を寄せる。
「そう……だな。……いや、すまん。君には残ってほしい。今日の日中に銃の使い方を教えておきたいのだ」
拒否されたようで相田くんはショックを受けていたが、銃の話が出ると瞳を輝かせた。
では、どうしようか。残りの五人で目配せしあう。少し考えていた奈美さんが「あたしが」と口の動きで伝えようとしている、その時。
「じゃあ俺が行きます」
「いや、私が!」
まだ目配せしあいっこの途中だったのに急に名乗りあげた誠に、私も続く。
「ふむ……有志を募っていて悪いが、できれば男性の方が望ましいな。君、来てくれるか?」
「あ、でも。えっと。わ、私の方がゾンビ慣れしてますから」
誠になりそうな流れだったが、とりあえず言っておく。やはり姉として、誠を行かせたくない思いがあった。それに、親友の凛太郎くんを失って今朝埋葬したばかり。誠の精神状態を考えると行かせてはいけない気がした。
「ほう。君はゾンビを殺したことはあるのか」
「はい……!」
北山さんが感心したような素振りを見せる。そして、誠の方を向く。
「君は」
「……いえ」
「じゃあお姉さんの方に来てもらおうか。女性の入り用のものはやはり女性がよくわかっているだろうし、一人いた方がいいな。うむ、その方がいい。」
納得したように北山さんが言う。
これで三人が決まった。北山さんは同行する三人の名前をメモにとる。
「……よし。佐伯くん、倉本くん、伊東皐月くんだな。よろしく頼むぞ。出発は10時だ。それまでは自由にしていてくれて構わない。朝食は部屋に届けてあるから食べてくれ。では、解散だ」
解散の言葉を聞くや否や倉本さんは部屋から出て行った。相田くんは北山さんに個人的に呼びとめられていた。銃の話だろう。
部屋に視線を巡らせると、佐伯くんと目があった。昨晩のこともあり気まずい感情はあったが、一緒に調達に行く以上なにか話さなくては。そんな気持ちになったところで佐伯くんが目をそらす。沙莉南ちゃんが彼の服の袖を引っ張っていた。
「皐月、ごめんね」
「え、なにが!?」
突然別の方向から話しかけられ、反射的に反応してしまった。振り向くと、奈美さんが申し訳なさそうな顔をしていた。
「調達といっても危険は危険じゃない。皐月だけ女の子代表で行かせちゃって……本当にごめん」
「そんな……大丈夫大丈夫! 私奈美さんより二日くらいゾンビ歴長いし」
「もう、そんなこと言って。しないと思うけど、絶対油断しちゃだめだよ。無事に帰ってくるんだよ」
心配そうに見つめる彼女に笑顔で頷く。
「なにがゾンビ歴だよ」
奈美さんの後ろからひょいと顔をのぞかせて、誠がささっと寄ってくる。
「別に俺でもよかったのに」
「強がんなくていいの。きっと望んでなくたってこれから働かなきゃいけなくなるよ。今日はゆっくり休んで」
「だけど」
強気な言葉と裏腹に誠の顔は元気がなく、お腹からはぎゅるると音が鳴った。壁に掛けられた時計を見る。今の時刻は午前8時。出発まであと2時間ある。それまでに朝食をとらなくては。
「部屋に戻ろうか」
奈美さんの提案に私も誠も頷く。帰ろうとしていると話を終えたらしい相田くんがこちらに来た。
「……須藤、大丈夫かなぁ」
「ほんと、馬鹿だよあいつ。なんで一人で行くのかな……」
「俺も心配です……」
皆口々に須藤くんへに心配の気持ちを口にする。
「……皆に迷惑かけられないって、一人で行ってくれたの。大丈夫、須藤くんなら無事に戻ってくると思う」
「まあ簡単に死ぬような奴だとは思わないけどさ」
私ももちろん心配だ。真実を知っているだけに、なおさら。安心させるために自分で言っていて不安になってしまう。そんな思いを払拭しようと考えを巡らせる。そう、何か他にも気がかりなことがあったのだ。
その時、どさりと背後で音がした。どきっとして振り返るとそこには。
「会長!」
誠が叫ぶ。加世ちゃんが床に倒れていた。焦る気持ちで彼女に駆け寄る。辛そうに荒い息を吐く彼女のおでこに手を当てると、すごい熱だった。
「小峰さん……大丈夫か?」
部屋の外から佐伯くんが駆け付ける。北山さんも一緒だ。
「ううむ……かなりの高熱だな。医務室へ連れて行こう。佐伯くん、彼女を運べるか?」
「はい」
佐伯くんは半ば意識のない加世ちゃんを抱き上げると、そのまま北山さんと一緒に部屋を出て行った。
「加世ちゃん……大丈夫かなぁ」
「こんな世界になってもこれまでの病気も変わらず存在するんだね……本当にひどい世界だよ」
北山さんの話の最中も青白い顔をしていたので気になっていたが、倒れるほどだったとは……。彼女は強い子なのできっと朝起きてからずっと我慢していたのだろう。しかしいつまでもこの部屋で立ち尽くしているわけにもいかず、私たちは朝食をとりに自分たちの部屋へ戻った。
*
ビニール袋に詰まっていた菓子パンをかじっていると佐伯くんが戻ってきた。加世ちゃんは40℃以上の高熱を出していて、疲れからくるものだろうということだった。今は安静にして寝ているようだが、どうやら医療品も不足しているようだった。
「姉ちゃん……会長のためにも何かスーパーから持ってきてよ」
私も考えていたことだった。大きいスーパーなら何でも揃っていそうだ。
「うん、加世ちゃんの病気に効く物持ってくるよ」
「そうだな。後で加賀谷さんにも話しておこう」
すぐ近くから佐伯くんの声が聞こえてどきっとした。振り向くと既に支度を済ませた佐伯くんが壁にもたれて立っていた。慌てて残りのパンを口いっぱいに頬張る。
「ああ、急がなくていい。すまない急かしてしまって。ただ俺は加賀谷さんと話したいことがあるから先に行っていようと思う」
手でちょっと待って、と彼に伝える。私も時間に余裕を持って行って自衛隊の人と話がしたかった。咀嚼しながら鞄から警棒を取り出す。私たちの仕事は物資の運搬なのだからそのほかのものはいらないだろう。とりあえず警棒を片手に立ちあがった。
「よろしくね、二人とも。絶対無事に帰ってきてよ」
「無理はしちゃだめだよ」
「姉ちゃんも佐伯さんも気を付けて」
声をかけてくれる仲間たちに笑顔で返す。
「気を付けてくださいね?」
沙莉南ちゃんが扉の近くまで来て、佐伯くんをまっすぐに見て言う。佐伯くんは彼女に優しく微笑み返す。昨晩自覚した彼へのほのかな恋心は叶うことはないかもしれないな、と二人を眺めていて思う。他にも複雑な感情が単純に彼を好きだと思えなくさせてはいるけど。
「行こうか」
はっと我に返り、部屋を出る彼に続いた。
廊下を歩いている間佐伯くんも何も話さなかったし、私も声をかけれずにいた。彼の少し後ろを歩いていると、急に彼が立ち止まり私の行く手を遮った。
「ど、どうしたの……?」
どぎまぎしながら問いかける。答えない佐伯くんを不思議に思い前方を見ると、見覚えのある顔の男が立っていた。
「あっ」
それが誰だかわかった時、思わず声を上げてしまっていた。同時によみがえる忌々しい記憶。無意識に顔を歪めてその男を睨んでいた。たしか浜崎という名前の――凛太郎くんを殺したあいつだった。
「なにか用ですか?」
佐伯くんの制止を振り切り話しかけていた。男はびくっと身体を震わせると、視線を逸らした。
「……便所行くだけだよ。あんたたちに用はねぇよ」
そう言い残しそそくさと去るその男の後ろ姿をしばらく眺めていた。憎い、と思った。
「皐月さん」
話しかけられ、私も男のように身を震わせる。別に私にはやましいことなどないはずなのに。
「……あっ。ごめん、行こうか」
「今朝から少し変だな」
「え?」
無表情のような、僅かに笑っているような微妙な顔で佐伯くんは私を見てくる。逃れられない気まずさを感じ思わず一歩後ろに下がると、彼はふっと苦々しい笑みをこぼした。
「怯えているのか?」
そう聞かれてやっと自分の心境を理解した。昨晩三人で話したあの時から佐伯くんのことが恐ろしかったのだ。
大学の校舎で出会った彼は冷静でたくましくて、他人に優しい頼れる人だと思った。実際彼は何人もの人を危機から救ってきたし、私も彼に何度も救われた。しかし昨晩彼が笑いながら聞かせた話に、私の中の佐伯くん像が脆くも崩れた。それまで感じてきた彼の優しさは偽りではないと思う。でも根本にある価値観が私とはどこか違うのかもしれない。その価値観が重要な部分であるだけに怖い。
「……ううん!」
無理やり明るい声で絞り出した異和感たっぷりの返答。彼は少し真顔で固まっていたが、そうかと呟くとまた歩き始めた。私もその後に続く。これは今は考えなくてもいいことだ、と自分に言い聞かせながら。