第五十一話 情報
「柴崎! 貴様また警備の任につきながら出入りする者を見逃したと言うのか! うっかりですむ問題ではないぞ!」
北山さんの怒号が鼓膜を激しく震わせる。凛太郎くんの埋葬を終え北山さんに呼び出された私たち――須藤くんを除く――九人は一つの部屋に集まっていた。あまりの迫力に息をのむ私たちの正面には青い顔をした柴崎さんが俯いている。
「……本当に申し訳ございませんでした。建物周辺のゾンビが一斉に移動を開始したので、そちらに気を奪われてしまい……」
「言い訳はいい!」
どうやら今朝公民館の入り口付近の見張り番をしていたのは柴崎さんだったようだ。部屋に入ってすぐ北山さんに須藤くんがいないことを指摘された。すぐばれることだし隠し通すわけにはいかず、彼が公民館から出ていったことを話すと、すぐに柴崎さんが呼び出された。凛太郎くんが殺されたときも柴崎さんがその場にいたこともあり北山さんの怒りは激しかったが、説教はそう長くは続かなかった。
「もういい、持ち場に戻れ。だがもう次はないと思えよ」
過去にとらわれ一時の感情にまかせてしまってはさらなる悲劇をまねくだけ。北山さんはそれを知っているのだ。ただでさえ十分に戦闘力が期待できる自衛隊員は三人と少ない。こうしていつまでも停滞しているわけにはいかない。動かなければ、進まなければならない。
「……今後は決してこのような失態など犯しません。皆さんも申し訳ございませんでした……。失礼します」
深く礼をして柴崎さんは部屋から出て行った。何気なく隣の沙莉南ちゃんを見ると、彼女は冷めたような視線を柴崎さんが消えた扉に送っていた。確かに頼みの綱であるはあずの自衛隊員があれでは少し不安ではある。
「さて、待たせたな。本当に柴崎が申し訳ないことをした。私からも謝罪する……。しかし、その須藤英雄はなぜここから立ち去ったのだ? 感染は確認できなかったと記憶しているが……」
奈美さんたちが顔を見合わせる。彼女たちは何も知らないのだ。どうしよう、なんと言おう。正直に言ってしまってはまずい。須藤くんが帰ってこれなくなってしまうかもしれない。傷は消えていたのだから化け物に接触したことは隠すことができる。しかし。
斜め後ろに立つ佐伯くんをちらりと見る。平静な態度を保つ佐伯くんは何を考えているのか読めないが、須藤くんがこの付近で化け物化したときの危険性を考えてさらりと本当のことを言ってしまうかもしれない。視線に気付いた佐伯くんと目が合い、慌てて正面に向きなおる。
「その、あたしたちも何も知らないんですよね……。ねえ、本当に須藤は出て行っちゃったの? 皐月ちゃん」
私も佐伯くんも口をつぐんでいると、まだ事態をのみこめていない様子の奈美さんが私に尋ねてきた。そこを誤魔化しても仕方ないと、小さく頷く。奈美さんは信じられない、と訝しげに眉をひそめる。
「彼が出て行った理由は誰も知らないのだな?」
再度北山さんが尋ねる。そうだ、このまま黙っておけばいいのかもしれない。そして彼が帰ってきたときに適当な嘘をついてもらえばいい。
「彼は……」
背後からの佐伯くんの声に背筋が凍りつく。言う気なのかもしれない。
「えっと、その、家に帰りました!」
佐伯くんが言い切らないうちに先手をうつ。こんな大きな声が出せたんだってくらいわざとらしく声を張り上げる。まわりの皆がぽかんとしている空気を感じながら反応を待つ。後ろの佐伯くんが即座に言い返してくるかと思ったが、彼は再び口をつぐんでしまった。
「家に帰った、と……。近所に家があって家族の安否を確認しに行ったと解釈していいか?」
ものわかりがいい北山さんに必死に頷き返す。北山さんは張り詰めた表情を崩し呆れたような表情を見せる。
「気持ちはわかるが馬鹿なことをしたものだ……。君たちが逃げてきた大量のゾンビの襲撃を受けた高校はここから遠くないというのにな。ところで君、何か言いかけていなかったか?」
再び心臓が跳ね上がる。もう止められそうにない……。
「……いえ、彼女と同じことを言おうとしただけです」
覚悟を決めていた私は拍子抜けした。もしかしたら佐伯くんはもともと誤魔化してくれる気だったのかもしれない。昨日の彼の様子はやはり疲れからくるものだったのか。知らず知らずのうちに周りの人に対しても疑心暗鬼になっているのかもしれない。
「わかった。彼が戻ってきたときは、家族も連れてきた場合はその家族も、感染していないか確認をとらせてもらうぞ」
……うまくいった。一気に肩の荷が下り気持ちが楽になったのを感じる。まぁこんな気持ちも一時的なものではあるが。
「北山さん。それで、何のお話でしょうか」
「ああ。今後のことを説明させてもらおうと思ってな」
佐伯くんに促され北山さんはもとの用件を話し始めた。この公民館には50人近くの人々が避難してきていて、北山さん、柴崎さん、加賀谷さんの3人の自衛隊員が安全面を管理しているということ。自衛隊本部とも連絡が取れており、移住地が決定し次第避難民の輸送を開始する手はずになっていること。しかしそれがいつになるかまだわからず、それまでこの公民館で過ごさざるを得ないこと。
不安定な環境には違いないが、この国の中枢と繋がっていて守られているというのは大きい。しかし大きな問題があった。
「――人手不足、だ。最初に話したと思うがな。避難民の君たちの前でこんなことを言うのもなんだが、安全面でさえ私たち3人では心許ないくらいなのだ。ましてや変異体が近くまで来ているとあってはな……。避難民たちもゾンビとの対峙は免れ得ないだろう。戦い慣れている者は主戦力に数えてさせてもらいたい。君のような青年は特にだ」
相田くんが強張った身体をびくっと震わせる。が、北山さんが視線を送ったのは明らかにその隣の佐伯くんだ。
「あと、いざというときのために一部の避難民には銃の使い方を教えている。もちろん見込みがあり精神的にも安定していると判断した者だが。君たちの何人かにも招集をかけるかもしれない」
相田くんがそわそわしだす。と、今度はスルーされなかった。
「ん? 君、銃の心得があったりするのか?」
「あ、は、はい! ええと……射撃の経験が少し……」
もじもじと返答する相田くんに、どこの有閑階級だよ、と奈美さんがぼやく。でもスリングショットなんて使いこなしてる相田君だ。銃を使ったことがあったって不思議でもなんともない。
「では有力候補に数えておこう」
「なあ、それよりもここから移動した方がいいんじゃないか」
なんとも突飛な提案を口にしたのは倉本さんだ。
「変異体、ここからそう離れてないだろ。ならなんで遠くに逃げようとしない。人数が多くとも装甲車で小分けにすりゃどうとでもなるだろ」
「たしかに……」
加世ちゃんが声を漏らす。私も納得してしまった。自衛隊に守られた高校でさえ壊滅させられた――ここだってたやすく突破されるだろう。なぜ変異体から遠くに逃げようとしないのか。
「理由はいくつかある。まず一つ。まだ安全な移動先が確保できていないからだ。先に言った通り人手不足でな……いくつか移動先の候補はあったがそこにいるゾンビを一掃するほどの戦闘力を割くことができないでいる。君たちが来たことで解消される可能性はあるが。しかし、大きいのが二つ目の問題だ。避難民の多くが精神的に不安定でな。ここから離れることを拒否している。命からがら逃げてきて、もう外に出たくない者……、元々この近所に住んでいて生存しているかもしれない家族とまた会えるかもしれないと希望を抱いている者……。とにかく、多くの者がここから離れたくないの一点張りなのだ」
避難民たちの気持ちはわかる。命の危険に晒されて、見知った人々を殺されて、ただでさえ立ち止まって泣いていたい気分なのだ。以前の生活からは考えられない体験――人の姿をした恐ろしい化け物から捕食対象として見られ襲われてきた者たちは、手に入れた平穏をもう二度と手放したくないだろう。それだけ北山さんたちが居心地のいい場所を提供してくれているのだ。
「そして三つ……これは移動できない理由ではないのだが。つい先ほど変異体の生態に関する情報が発表された」
この場の全員が北山さんの言葉に集中する。誰もが思っていた――変異体とは一体何なのか。映画や漫画の中でしか見たことない、既知の生物から遠く離れたおぞましい姿。まさにモンスターの一言に尽きる。皆あの存在に怯えながらここまで来た。
「変異体は人が多く集まる場所を狙う。それも、政府に避難場所として指定された場所を中心的にだ。これが意味することは何か。あれは人工的につくられた生物だということだ」
思わぬ話の展開に息をのむ。政府に指定された避難場所を襲う……? 裏に変異体をあやつる人間がいると言うのか。
「変異体の解剖の結果……奴の身体からはゾンビと同じ細胞が検出された。脅威的なスピードで繁殖し、破損部分を再生……捕食に必要な身体能力を維持するゾンビ細胞と呼ばれるものだ。では奴がゾンビと違う点は何か。変異体から見つかった人間にはないもう一つのモノ。毛細血管の中でさえ通る微小なナノマシンの存在が判明した。詳細はまだ不明だが、どうやらそれが変異体の行動に影響を与えているらしい」
「SF映画みたいだ……」
誠がつぶやく。本当にそうだ。毛細血管を通るナノマシン? まだ医療でも応用されていない技術ではないか。技術は軍事面から発達するとか聞いたことがあるが、まさかそこまで先を進んでいるとは思わなかった。
「ゾンビって一体なんなの……」
皆が奈美さんと同じことを思っていたに違いない。
「あれもまた人為的に発生させられた生物だろうな。噂だが、海外には感染が一切確認されていない国があるらしい。さらにはもう既に治療薬が開発されているとか。当然その国を黒幕だとする説もある」
沈黙が広がる。仮説だろうが、もしそんなことがあったとしたら……その国を絶対に許せない。
「柴崎さんがゾンビが一斉に移動したと言っていましたが……ここに来るまでもゾンビが集団で建物に押し掛けてくることが数度ありました。もしかして奴らは集団行動を――」
「いや、ゾンビにそのような知性はないだろう」
「ではやはり、変異体が? 奴は必ず大勢のゾンビを引き連れて襲ってきますよね」
「変異体のゾンビ指揮能力については今調査中だ。だがゾンビを統制するなんらかの力を持っていることは確かだな。おそらく先ほどのナノマシンに関係するだろうな。研究が進めばゾンビを無力化することも可能かもしれない」
ゾンビの無力化。尋ねた佐伯くんだけではなく誰もが表情に期待を滲ませた。それを感じ取ったのか北山さんは僅かにうつむき首を振る。
「……まだ不確かなことだ。過信はよそう。私も喋りすぎたな。ネットにこれ以上の陰謀説は腐るほど出回っているが、私が話したことも今の時点ではそれらと変わらないほどあてにならない情報だと考えてくれ。どちみち我々には到底手が及ばないこと……それまで生き延びることができるかが先だ。とにかく、変異体が政府の発表した避難所を中心に襲うならここはまだ目をつけられていないかもしれないということだ。さて、私が君たちを呼んだのはもう一つあってだな――」
「あの、その前に最後にひとつ聞いてもいいですか……?」
次に進む空気を壊したのは……私だ。
「変異体に噛まれたら……傷つけられたら、どうなるんですか」
北山さんは少し考えているようだった。
「確かなことは言えないが……ゾンビと変わらないだろうな。ただ、発症は早いかもしれない。変異体は注射だか投薬だか飲食物に混入していたかはわからないが、直にナノマシンとともにゾンビ細胞を注入されているだろうからな。あの奇怪な姿はゾンビ細胞の繁殖力が強いことの表れだ」
そう聞いて、思わず口が緩んだ。今の時点で外見に変化があらわれていないのならば……須藤くん、本当に助かるかもしれない。そんな私の様子を北山さんは不思議そうに見ていたが、すぐに話を続けた。
「さあ、話をもどそう。この避難所の事情についてだ。50人分の食料や医療品……ここに備えてあった物資はもうじきに尽きる。そこでだ、君たちの中から数人物資調達に協力してもらいたい」