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死の都市  作者: LION
第一章 
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第五話 脱出

 一歩。また一歩。音をたてないように慎重に階段を下りる。緊張で大粒の汗がこめかみから頬を伝う。そしてようやく到達した階段の曲がり角からそっと一階の様子を覗く。


 ……いた。階段を降りてすぐの廊下。化け物たちがゆらゆらと揺れている。こちらに背を向けているので顔は見えなかったが、十中八九その顔は血で汚れているだろう。鼻につく濃厚な鉄の臭い、何かを引き摺ったかのような血のあと。少し前にここで何が起きていたか容易に想像できる。


 佐伯くんは私に待っているよう手振りで伝えると、後ろを向いた化け物の正面に位置するこの階段をゆっくりと下り始めた。あと二段で一階の廊下に足がつく。化け物たちが彼に気付かないよう、私は心の中で何度も祈りのことばを呟いた。


 佐伯くんが一階の廊下に一歩を踏み出した。化け物たちは依然としてぼーっとあらぬ方向を眺めている。その時気付いた。彼は竹刀を持つ右手と別に、左手に何かを持っている。……さっき狂った男子学生に遭遇した時に転がってきた空き缶だ。


 廊下に出た彼は化け物のすぐ近くにいるにも関わらず、冷静に左右にのびる廊下の様子を確認していた。そして、意を決したように空き缶を左の方向に、投げた。


カーーン……ッカラカラカラッ……


 軽やかな音が静かな廊下に響いた。佐伯くんが思い切り投げた空き缶は階段にいる私の視界から消え、左にのびる廊下のずっと奥の方で落ちたようだ。


……ウアァァァ


 化け物たちが音のした方を向き、視界の隅に入っているであろう彼には目もくれず、ずるずると足を引き摺るように歩きだした。やがて化け物たちの姿が消え、佐伯くんは空き缶を投げてからずっと構えていた竹刀を下ろす。


「伊東さん」


 佐伯くんが小声で手招きをする。私は大きな音を出さないようそっと階段を下り、廊下の直線上に立った。


 彼が空き缶を投げた左側を見ると、十メートル以上離れたところ、空き缶が丁度落ちた地点にあれがいた。その数はざっと数えて十以上。


「こっちだ」


 佐伯くんが耳元で囁く。彼の指差す右側の廊下の先には、外に通じる開け放たれた扉が見えた。私は走りたい気持ちを抑え、忍び足で扉へ歩き出した。


 やっとここから出れる! しかし油断などできない。閉じた環境から出ることはできたが、あれは外にもいるのだ。とはいえ、今頃警察が到着してあれを全部逮捕……というより捕獲?しているはずだ。


 ……早くお母さんに会いたい。誠はもう学校から帰ってきてるかな?


 私は一見適当でサバサバしているけど本当は心配性な母親と、ちょっとひねくれてて生意気な弟の姿を思い浮かべた。帰ったらきっとお母さんの胸で年甲斐もなく泣いてしまうだろう。誠のやつ、だせぇって笑うだろうな。そしたらこの右肩の血を見せつけてやる。


 誠の怯えた顔を想像したら自然と笑みがこぼれた。こんな状況なのに、人が死んでいるのに、私は変かもしれない。やはり今起きている非日常をどこか信じきれてないのだと思う。


 そうこう考えているうちに無事扉の前に着いた。後ろを振り返ると、化け物たちは階段のずっと向こう、空き缶の周囲で右往左往していた。知能が低いのならば生きて帰れる可能性がぐっと広がる。希望が見えてきた。


「さあ、出よう」


 かけられた声にはっとして扉に向き直り、私は佐伯くんの後に続き扉をくぐった。



 外はやけに静かだった。学生一人いない。授業の少ない土曜日ではあるが、いつもそれなりに人がいる。この短時間で皆この大学の外に逃げ出したのか。食べられてしまったとは考えたくない。辺りを見渡し何気なく視線をすぐ横に向けると――


「いやあぁぁっ!」


 さっきまでいた六号館の校舎の壁にもたれかかるように、それはあった。髪を明るい茶色に染めた女の子。


 濃いアイラインで縁取られた両の目を大きく見開き、口は苦痛に歪んでいる。ピンクのチークを施していたであろう頬はかじりとられ、生々しい傷となり今も血を流し続けていた。


 衝撃的なのは、彼女の身体が……首から下が、ないこと。いや、あるにはあるのだが肉という肉が食いつくされ、露出した肋骨の間には内臓は一つも残っていなかった。無残にも骨だけになった彼女は壁に背を預け静かに座っていた。


「あ……ああ……」


 私は彼女を知っていた。あの教室でいつも一緒に授業を受けていたのだ。友達、というほど親しくなかったが、あれは1ヶ月程前の、5月に入ってすぐだったか。





 いつものように開始ギリギリで席に着き、慌ただしく筆記具などの用意をしていた時。


(ないっ……)


 ファイルに挟んでいたはずの先週貰ったプリントが見つからなかった。今回の授業で必要だから持ってくるよう言われていたのに。


(なんで、絶対入れたのに)


 諦めきれずにファイルの中の書類を一枚一枚確認する。八割見終わったところでもまだ見つからない。残り二割を紙と紙の間を覗きこみながら確認している時。


バサバサバサーッ


 本当にそんな音がしたのだ。ファイルから製造業者が想定していた容量をはるかに越えているであろう、大量のプリント類がなだれ落ちた。


クスクスクス……


 笑い声が聞こえ、顔がかーっと熱くなる。高校のクラスならまだいい。しかし学年ごちゃ混ぜ、見知らぬ人ばかりの大学の授業では恥ずかしい以外の何でもなかった。


 整理しておけばよかった。激しく後悔しつつ書類をかき集める。図々しくも隣に座る人の足元まで私のプリント達は勢力を広げていた。


「あっ……すみませんっ」


 謝罪しながら隣に座る誰かの顔を見上げると――派手な赤いハイヒールの靴から想像はしていたが――今風のお化粧バッチリのお姉さんが座っていらっしゃった。私を見下ろす目が……怖い。位置関係的に仕方がないのだが。


 すると、彼女はふと目を細め、優しい笑顔をつくった。


「いいよ、こっち私がやるから」

「えっ……あっ」


 彼女は手際よく書類を拾い上げ、あっという間に丁寧に揃えて私に差し出した。


「あ、ありがとうございます!」

「プリント忘れたんでしょ? 見なよ」


 さらに彼女は探していたプリントを私との間に置いて見るよう言ってくれたのだ。(余談だが、あのプリントは弟がメモ用紙に使っていた。無論、後に叩きのめした)





 彼女と話したのはその時が最初で最後だった。ただあの教室内でも大学内で偶然すれ違った時でも、目が合うと彼女は必ずニッと笑いかけてくれた。


 周りからしたら小さなことかもしれないが、あの時から私は心の中で彼女のことを――同い年、あるいは年下の可能性もあったが――「お姉さま」と呼び、こっそり慕っていた。大人びた彼女が時に見せる子供っぽい笑顔が好きだった。


「……伊東さん! 伊東さん」


 肩を激しく揺られ、我に返った。佐伯くんが必死の形相で私の顔を覗きこんでいる。私の頬を熱いモノがボロボロ流れ落ちていた。少しでも話したことがある人が、見知った人が惨たらしい姿で死んでいる。ショックだった。


「今ので中の奴らが気付いたみたいだ! 周りのも集まってくるかもしれない。気を確かに持つんだ!」

「……ごめん、ちょっとだけ待って!」


 私の手を引き走り出そうとする彼を引き止め、無我夢中で地面に転がる彼女のものらしき鞄を掴んだ。血で汚れていたが、手に付こうとどうでもよかった。


「ごめん、行こう」


 涙を拭き、彼の目を見て言う。今は感傷に浸っていられる時じゃない。もうこれ以上佐伯くんに迷惑をかけちゃ駄目だ……。


 私達はこの地獄から逃れるため、門に向けて走り出した。

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