第五十話 離脱
朝七時、公民館の裏庭に私たちは集まった。凛太郎くんの埋葬をしに来たのだ。周辺の住宅街からは物音ひとつ聞こえない。正面の道路に集まっていたゾンビは明るくなる前にどこかへ行ったようだった。
いつの間にか部屋に戻って寝てしまっていた私は、眠りはじめてそう経たないうちに奈美さんに起こされた。以前はとんでもなく寝起きが悪かったがゾンビが現れてからというもの朝早くでも割とすんなり目が覚める。今日はさすがに起こされてしまったが、目が覚めると同時に胸を刺す嫌な記憶に眠気などどこかへいってしまった。
敷地内の花壇に咲いていた花を凛太郎くんの埋められた土の上にそっと供え、手を合わせて目を閉じる。きちんとした墓石なんてない。もちろん火葬だってしていない。ゾンビのように真っ白な肌であることを除けば眠っているような凛太郎くんの顔に土をかぶせる時、なんともいえない嫌な感じにおそわれた。僅かに開いた口に土が入ってしまわないだろうか……もう彼は死んでしまっているのに、そんなことを考えてしまう。
以前の社会にしてみれば、一人の人間が死んだというのにこんな粗末な埋葬の仕方など考えられないだろう。しかし今の世界ではこういった形式を整えて葬られる人なんてほとんどいない。死んだらそこらの道端に無残な死体をさらすか、生ける屍となって死んでもなおこの世をさまよい続ける。
本来ならば凛太郎くんはどんなお葬式をされたのだろうか。きっと多くの人が最後の別れをしにきただろう。死を悔やんで泣いただろう。罪のない少年が殺されたのだ。マスコミの報道陣が詰めかけて警察が犯人を追いつめ、法が犯人を裁くだろう。
こんなふうに以前の社会のことを考えたって無駄だ――あの日々は帰ってきそうもない。しかしこんなことってあるだろうか……。誠が置いた墓石代わりの少し大きめの平たい石を見る。隣の誠は声を押し殺して泣いている。理不尽で、無慈悲な世界だ。自分の頬にも熱いものを感じて、涙などそろそろ枯れ果てる頃だろうと思っていたが、まだ湧いて出てくることに驚いた。
建物の中へ戻る途中、奈美さんが話しかけてきた。
「そういえば皐月ちゃん、須藤知らない?」
「……え?」
たしかに、見かけていない。朝起きたときにはもう部屋にいない人も何人かいたので、須藤くんは先に凛太郎くんの埋葬に行っているのとばかり思っていた。しかしさきほどまでの記憶をたどるも、裏庭に須藤くんの姿はなかった。
「奈美さんは朝からみてないの?」
「うん。まったく、こんなときに腹でもくだしてるのかなあいつ。後でお墓参りするよう言っとかなきゃね」
「……やばいかも」
「え?」
嫌な予感しかしなかった。朝北山さんたちに話すと言っていたから、てっきりまた会って話せると思っていた。困惑する奈美さんになんとかいってごまかして、部屋を目指し走った。
部屋までは少しの距離だったのに、板の間に飛び込んだ時には息が荒くなっていた。部屋を見渡す。……いない。
「……あんたも朝から落ち着きないな」
頭が真っ白になりながらも声がした方を向くと、けだるそうに壁にもたれかかる倉本さんがいた。
「倉本さん、須藤くん知りませんか……?」
「ああ、あいつか。出てったよ。たしか明け方……あんたと佐伯がどっからか戻ってきて眠りについた頃だったかな」
さらりと返され、言葉が詰まってしまった。倉本さんがあの時起きていたことも少し気になったが、それよりもやはり、もう既に須藤くんは行ってしまっていた。ほんの僅かな望みを胸に須藤くんが寝ていた場所に目をやるが、彼の武器の斧はなくなっていた。身体からすっと力が抜ける。まさかこんな別れになるだなんて。須藤くんはまた会えると言ってくれたが、理不尽で無慈悲なこの世界で私はもう夢を見れなくなっていた。
「なんだ、あいつ噛まれてたのか?」
平然と言ってのける倉本さんに余裕のない心が苛立つ。うなだれていた頭をもたげると、こちらを見据える倉本さんと視線がかちあった。
「噛まれてませんし、須藤くんはすぐ戻ってきますから!」
精一杯の強がりは脆くもすぐに崩れ落ちてしまいそうで、私は逃げるように部屋を飛び出した。そのまま気が向くまま廊下を早歩きで進む。立ち止まればどんどん暗い気持ちになってしまいそうな気がした。早歩きのスピードを緩めず角を曲がると、迷彩色が視界に飛び込んできた。驚いて歩みを止めるも遅かった。
「あ、ごめんなさ……いたっ!」
勢いよく激突してしまい、衝撃で廊下にへたりこんでしまった。お尻が痛い。心も痛い。なんだかもういやになってきた……。年甲斐もなくこんなことでじわじわと視界が霞む。
「大丈夫、そんな痛かったかい?」
少しおかしそうにして手を差し伸べてきたその人に引き上げてもらう。慌てて涙を拭い向き直って礼を言うと、その人――加賀谷さん――は細面の顔に微笑みを浮かべた。
「どうしたの。こっちは武器庫以外何もないよ」
壁に手をつき立ち塞ぐようにして見下ろしてくる加賀谷さんからは威圧感が感じられた。にこやかではあるが、きつい印象の吊り目は笑っていない――新参者で、しかも早々に問題を起こした私たちは警戒されているのかもしれない。
「いえ、ごめんなさい。迷ってしまったんです……」
「そう、じゃあこれからは気をつけて。また夜みたいなことがないとは言い切れないから……」
加賀谷さんの言葉にどきりとする。ひきつった顔をしているであろう私をよそに、加賀谷さんは心なしか楽しげに見えた。さっきの倉本さんといい、同じ人間でさえ苦しみを分かち合えないのだろうか。その場を取り繕う余裕などなかった。彼に背を向けると急ぎ足で元来た道を引き返す。後ろから視線が追ってくるような気がして、勢いよく曲がり角を飛び出し――。
「いたっ!」
またぶつかった。今度は誰だろう。倉本さんだったらもういやだ。しかしそんな私の嫌な予想は覆された。
「あ、いたいた! 探したんだよ。 須藤いた?」
奈美さんの顔を見たら一気に安心して、思わず彼女の胸に飛び込む。奈美さんはびっくりしたようだったが、そっと抱きしめかえしてくれた。ゾンビが現れてからというもの、外人ばりにボディタッチが激しくなった気がする。外人さんたちも自由奔放でタフなイメージとは裏腹に、他者との繋がりで寂しさを和らげようとしていたのだろうか。
「……いなかった。後で話すけど、英雄くんはもう戻ってこないかもしれない」
「え? それ、どういうこと」
そう聞かれてはっとする。皆にはどうやって説明すればいいんだろう。とりあえず彼女から離れて、向かい合う。心配そうに見つめてくる奈美さんに、なおさらどういえばいいのかわからなくなってしまう。
「わかった、あとで話そう。今は、北山さんが集まってって言ってるから行こう。今の状況とか今後のことについて話すみたい」
「……うん」
奈美さんに手を引かれて今度はゆっくり歩き出す。
完璧な平穏などない毎日――それは以前も同じだっただろうか。しかし今は悲しみや苦しみを忘れられる逃げ場などないに等しい。生きようとするならば、逃げることは許されない。ただ、以前よりもずっと人とのつながりは深まっている。ひとりひとりの存在が比べ物にならないほど大きくなっている。逃げずに生きようとするならば、ぬくもりを感じるこの手を離してはいけない。