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死の都市  作者: LION
第五章 
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第四十八話 密事

 皆を起こさないようそろそろと忍び足で部屋を出た。建物が古くて狭かった家では、夜中に喉が渇いたりトイレに起きるたびに畳が軋んだ音をたてて誠やお母さんが起きやしないかとびくびくしていたことを思い出す。(寝起きが悪い二人に怒られるのだ)今ではそんなことさえ懐かしい。


 廊下は奥に見える非常口の誘導標識の僅かな光と天井に赤っぽい蛍光灯の明かりが弱弱しく点いているのみで真っ暗だ。なんとも不気味な雰囲気だが、目が慣れてくると辛うじて奥の方まで見渡すことができた。自衛隊員たちも他の避難民の姿も見えない。


「……リーダーに見つかったら怒られちゃうかな」

「さあな。見つかったところで何の非もないが、ゾンビに間違われて撃たれちまうかもな」


 そんな無責任なことを言いつつ須藤くんは迷いなく歩き始めた。私は戸惑いながらも膨れ上がる不安な気持ちを抑えて彼に付いて行く。 

 

 静かだ。深夜だから無理もないが、とてもあんな凄惨な出来事が起きた数時間後とは思えない。


 凛太郎くんは誠と同い年なのにずっとしっかりしてて、素直で、いい子だった。きっと平和だったときは誰からも好かれただろう。一緒に穏やかな時間を過ごしたのはほんのわずかだっただけど、ちょっとした時に見せる照れた表情が可愛かったことを思い出す。きっと誠や仲のいい友達に見せるもっと違う顔があったんだろうが、もう見ることは叶わない。彼とともに過ごす未来は途絶えた……。


「本当に……許せない」


 悲しみと苛立ちが急激に込み上げてきて、思わず呟いていた。私たちが少し前に通過したのは彼が倒れていた場所だった。今は血痕は綺麗に拭きとられ何も残っていないが、確かに数時間前忌々しい不条理な殺人が起きたのだ。俯いた視界に前を歩く須藤くんの足が映って、顔を上げる。


「悔いの残る死に方だったな、人間に殺されるなんてよ」


 須藤くんはすぐにまた歩き始め、背中を向けたまま続ける。


「だがどんな死であろうともいつまでも拘ってなんかられねぇぜ。また身近な誰かが死ぬかもしれねぇし……自分かもしれねぇんだからな。いつか何が起きても後悔しねぇって話したがよ……実際考えるのをやめるのは難しい話だ。この世界では何も考えねぇ馬鹿が生き残るのかもな」


 話しながらいつの間にか廊下の突き当りまで来ていた。外の闇をぼんやりと映す厚いすり硝子の扉を開けると、そこはどうやら外に突き出たバルコニーらしかった。


「だ、大丈夫かな……ゾンビいないかな」

「二階は安全だろ。自衛隊様が厳重に管理してると信じようぜ」


 危険も臆せず須藤くんはすいすいと闇の中を進んでいく。ゾンビがいないにしても得体のしれない何かが潜んでいそうで恐ろしく感じ、しきりに左右確認しながら彼を追う。


 須藤くんは手すりに肘を乗せ下方を眺めていた。どうやらここは私たちが入ってきた装甲車の止まっている階段の裏側に位置しているようだ。明かりはほとんどないが、公民館の敷地を囲む木々の間から漏れる街灯の光を頼りに目を凝らすと、下には芝生の庭が広がっていた。ここに明日の朝凛太郎くんが埋められるのかもしれない。


 しばらく二人して外を眺めていたが、夜風が強く吹いて少し身が縮まったところで話を切り出すことにした。


「で、英雄くん……話って?」

「ああ」


 こちらに身体を向けた須藤くんは闇にのまれて表情が見えず、大きな影のようだった。高校の外壁を越えてきた時もそうだったが、今は須藤くんだとわかっているのに少し怖く感じた。さっきからやたらと嫌な想像ばかり浮かんで落ち着かない。そんな心中を紛らわすように拳をぎゅっと握りしめる。そんな私に須藤くんはふっと僅かに笑みを漏らすと再び顔を背けた。暗闇の立ち込める庭を見ながら静かに言う。


「俺とお前しか知らないあの時のことだ」


 そう切り出されて当たり前なのだが、びくびくしていた心臓が一際大きく跳ねた。須藤くんと私が背負う秘密。まだ私は何の覚悟もできていない。


「そ、そういえば英雄くんなんであんなに降りてくるの遅かったの? あのとき……」


 このまま話が須藤くんの身に起きていることの核心部分へ進んだら何も考えられなくなりそうで、心の準備体操とばかりに話を脇に逸らす。しかしこれもずっと聞きたかったこと――二人で化け物に対峙して、私だけ先に壁を越えたあのときのことだ。須藤くんが降りてきたのはしばらく経ってからで、皆あきらめかけていたときだった。


「ああ。化け物がいつまで経っても姿見せねぇからよ、奇妙に思って動向を探ってたんだ。結局化け物の野郎、諦めたのか体育館の方へ行っちまった。そしたらお前たちが俺が来ないと思って行っちまうようだったから急いで参上したわけだ」

「そうだったんだ……なんで何もせず行っちゃったんだろう」

「さあな。考えても仕方ねぇが……不気味だな」

「うん……そもそもあの化け物は一体――」


 なんとなく緊張した空気がほぐれた気がして続けようとした言葉を、いきなり腕をつかまれたことでぐっと呑み込んだ。


「え? ど、どうしたの」

「もし俺が今この時も着々とその化け物に変化しているとしたら……どうする」

「な、へ、変化してるの……?」


 間の抜けた反応でうろたえる私を気にもかけず、須藤くんは怖い顔をして詰め寄る。掴まれた腕が痛い。


「冗談で言ってるんじゃねぇよ。見ただろ? 俺がゾンビ野郎を吹っ飛ばすところを。あれは普通の人間の出せる力じゃねぇ……異常だ。何かが壊れちまったようだ……身体の内部で暴力的な、煮えたぎるような激情が沸き立ってくる。今は制御できてるが、いつ(たが)が外れちまうか。そうなれば……誰かが死ぬ。わかるだろ?」


 バルコニーの手すりを背に、両肩を掴まれる。ライオンに崖っぷちまで追い込まれたネズミのような気分だ――表現が悪かったが、私は須藤くんから告げられる現実にただ身を硬直させるしかなかった。できれば目をそらし続けたかった現実。肯定しなければ、私はただの卑怯者だ。須藤くんを一人辛い現実に立ち向かわせて私は考えることを放棄しようとしている。でも、どうすれば……。


「俺が思うに……奴らは増殖しようとしているんだ。だから俺を逃がした……もっと化け物の細胞を拡散させるためにな」

「そんな……考えすぎだよ……英雄くんがあんなのになるはず……」

「今だって俺は危険かもしれないぜ、たとえば」


 目を泳がせる卑怯者の私に須藤くんは一層距離を詰めると、私の顎をぐいと掴んだ。


「このままキスしたら、お前も化け物になるかもな」


 間近に須藤くんのギラギラとした両の目が迫る。完全に思考停止し、ただただ目を見開いて視線を返す。喉が焼き付いてしまったかのように何も声が出ない。須藤くんも私も平静な状況じゃあない。雰囲気に流されてはいけない。そう思いつつも身体を動かすことができず、ゆっくりと唇が近付く。


 相手の顔さえ満足に見えない暗闇の中、この上なく危険なファーストキスが始まろうとしている。こういうのは私もいつか交際している男性とするのだと思っていたが、ゾンビの溢れたこの世界ではもう望めない夢だったのかもしれない。せめてずっと想っていた好きな人と……と思ったが、好きな人って誰だろう。ふと佐伯くんの顔が浮かんだが、須藤くんの温かい熱を感じて頭の中がぼーっとしてまどろみ始めた。あまりそういう目で見たことがないけど、須藤くんは本当は素敵な人だし、苦難を背負う彼を支えていきたい。でも……。


 馬鹿げたことは考えられるのに、間の前にある現実をどうこうしようという気力は無い。せめて目を閉じようかどうしようかと変なことで悩み始めた時、鼻先にふっと息がかかった。


「おいおい、止めねぇのかよ」


 少し大きめに発された声。びっくりしたが私に話しかけているのではないらしい。誰かいるのかと驚いて須藤くんの視線の先をたどる。


「よ、義崇くん……!」


 私たちが来た硝子の扉のちょうど前に、佐伯くんが木刀を手に立っていた。いつの間に。驚きと恥ずかしさにまどろみが一気に吹き飛ぶ。須藤くんは気付いていたのだろうか――その上であの行動ならちょっとひどい。いや、こんな馬鹿なことを考えている場合ではない! 色々考えつつも何も言葉にできず口をぱくつかせる私から須藤くんは身体を離すと、佐伯くんに向き直った。


「立ち聞きとは趣味が悪いぜ。服の趣味が悪いのは知ってたけどな」

「単なる男女の秘め事だというのなら邪魔をする気はなかったが……気になることがあってな。それにしても、武器も持たず夜中に抜け出すとは、前例もあるというのに無防備すぎはしないか」

「ああ、少々迂闊だったな。まぁ人相手じゃ拳だけでもどうにかなるだろうよ……もっとも今じゃあゾンビ相手にも十分かもしれねぇがな」

「そうだな……俺の懸念もまさにそこにある。須藤……今聞いた話が真実ならば、なおさらお前を放っておくわけにはいかない」


 見事にキスの空気が脇に流されて少しほっとしたのもつかの間、佐伯くんの明らかに須藤くんを敵視した態度にぎょっとする。やはり話を聞かれてしまっていたようだ。背後の硝子扉から漏れ出す廊下の光で身体の輪郭だけ浮かび上がり、佐伯くんの表情などは見えない。


「お前くらい鋭ければ薄々勘づいているだろうとは思ったけどな……こいつの態度もわかりやすいし。なら、なんで今止めなかったんだ? 別に反応を楽しむつもりで見せつけようとしたわけじゃあない……それなりに本気だった。もう少しでこいつまで化け物の仲間入りするところだったぜ?」

「あと一歩踏み出していたならどうなっていたかわからない」


 淡々と応える佐伯くんの声色からは冗談めいたものは一切感じられなかった。どうなっていたかって……どういうことだろう。なんだか危ない雰囲気になってきた。佐伯くんはまさか危険な芽は早いうちに摘み取ろうとでもしているのだろうか。


「はは、お前ならこいつと違って躊躇なく俺を殺せそうだな」


 須藤くんが笑う。佐伯くんはどんな顔をしているのだろう。思わぬ展開に戸惑う私をよそに須藤くんが続ける。


「どうする、俺を殺すか?」

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