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死の都市  作者: LION
第五章 
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第四十七話 憎悪

 廊下には数人に囲まれて人が倒れていた。白い床に徐々に面積を広げていく赤黒い血溜まりにうつ伏せに倒れるその人はもはや微動だにせず、既にこと切れているのが簡単に見て取れた。


「はは、やったぜ……! このゾンビ野郎が! のうのうと生きてられると思ったら大間違いだ、糞が!」


 倒れたその人を囲んでいた一人の男が興奮に息を弾ませ、誇らしげに喋り始めた。手にした金属製の棒状の工具は血でじっとりと濡れている。


「……あ」


 他の誰かが声を発した。混乱した頭で声がした方へ顔を向けると、真っ青な顔をした柴崎さんがいた。他の避難民だろうか、制服を着た見知らぬ若い女性もすぐ傍に見える。柴崎さんは、たしかリーダーに凛太郎くんを隔離された部屋へ連れていくよう言われていたはず。


 それじゃあ、倒れているこの人は……?


 しゃくりあげる声が聞こえた気がして何気なく横を見ると、黒い頭が視界の隅に映った。加世ちゃんがかがみこんでいた。身を震わせる彼女を見て、嫌な推測が確信へ変わろうとしていた。


「……この野郎! 人殺しが! 死ね……死ねぇーっ!」


 未だへらへらと喋り続けていた男を、茫然と見つめていた一人がいきなり殴りかかった。


「……誠!」 

「誠君、落ち着くんだ!」


 佐伯くんの制止も振り切り、誠は男の横面を思い切り殴りつけた。男は数歩よろけて勢いよく尻もちをついた。なおも殴りかかろうとする誠を佐伯くんが拘束する。


「なんで、止めるんですか! こいつ、凛太郎をっ!」


 身体的な疲れと衝撃的な事実を受け入れたくない精神的な防衛本能からか、どこかぼんやりと夢心地で眺めていた――だが、誠の口からはっきりと発された凛太郎くんの名前に、心臓が凍りついた。


「なんだ……何が起きた! ……これは」


 部屋から出てきた北山さんはその惨状に顔をしかめた。


「こいつ、凛太郎を殺したんです! やばいやつです! 殺しましょう!」


 憎悪を剥き出しにして怒鳴りつけるように言う誠に、北山さんは床に腰を下ろしたままの男に視線を向ける。男は明るい茶髪を撫でつけて、人を小馬鹿にしたようなふてぶてしい態度で話し始めた。


「俺は危険を排除したかっただけだから。それよりゾンビ庇うなんてこいつのがやばいっしょ? 絶対この先お荷物になるって」

「てめぇー!!」

「誠……!」


 狂犬のように今にも男に喰いかかろうとする誠に、彼がどうにかなってしまいそうな怖さを感じて数歩歩み寄る。誠は私に気付いてはっとしたように表情を緩めるも、すぐに男に向き直り涙の溜まった目で睨みつけた。ますますヒートアップする二人に冷静に話を聞き出せないと踏んだのか、北山さんは柴崎さんの方へと質問の対象を変えた。


「……柴崎お前が説明しろ。なぜお前がいながらこういった事態が起きてしまったんだ?」

「浜崎が物陰に身をひそめていまして……元から彼の殺害を狙っていたのかと……」

「だがお前が彼の傍についていたんだろう? なぜ止められなかった! 貴様それでも自衛官か!」

「柴崎さんを責めないであげてよぉ~。うちが柴崎さんを引きとめちゃったんだからさぁ」 


 自衛隊員同士でも言い争いが始まろうとしていた時、間延びしたような甘ったるい声が割って入った。柴崎さんの傍にいた女子高生だ。長くのばされた金髪とルーズに着こなされた制服に、凛太郎くんを殺した男と同じような臭いがする。どうやら最初から凛太郎くんを殺すつもりで二人が連携を図ったようだ。


「いかにも頭が悪そうなやつらだね……許せないよ、絶対に」

「ああ、最悪だな……集団に一人でも馬鹿がいるとそれこそ命取りだ」


 女子高生に詳しい事情を聞くリーダーをよそに、ずっと黙って様子を見ていた奈美さんと須藤くんが低い声で呟いた。奈美さんは静かな声音と裏腹に唇を強く噛み締めて何かを堪えている様子だった。奈美さんだけではない。相田くんも、加世ちゃんも、凛太郎くんを殺した男を憎しみをこめた目で見ている。何か小さなきっかけでもあればすぐに乱闘に発展しそうな緊迫した空気がそこにあった。私自身も頭が真っ白になるような衝撃の後から徐々に胸に広がってきた真っ黒な感情を隠しきれずにいた。ここまできたのに、あともう少しだったのに。なぜ凛太郎くんは死ななきゃならなかったのか。こいつを殺してやりたい。


 近くから視線を感じた。佐伯くんだ――誠の方へ近付くうちにいつの間にか彼の隣にいたらしい。こちらの様子を伺うような目に、無意識に歯を強く食いしばっていたことに気付く。少し冷静になって周囲を見渡すが、依然状況は変わらないように見える。この時間が永遠にいつまでも続くように思えて、佐伯くんに目配せをする。また彼に頼ってしまうようで気が重かったが、興奮状態にある私にまともな対応はできそうにもなく、いつも通りの冷静さを保った佐伯くんに任せる以外良い考えは思いつきそうもなかった。


「……仲間を理不尽にも殺されてしまったのですから、非公式とはいえ機能している自衛隊の組織ならばしかるべき対処をしていただきたいと思います。しかし先に一つお聞きしたい……ここでは死人の処理をどう行っているのですか?」


 佐伯くんは軽く息を付いて、静かな――しかしはっきりとした口調で話し始めた。その話の後半の内容にどきりとする。そのことで激昂しているとはいえ、触れられたくない事実だった。でも、たしかに――凛太郎くんは頭を打たれて亡くなったようだが、ゾンビに転生しないとは必ずしも言い切れない。そう言うと凛太郎くんがやはり感染していた可能性を認めるようではあるが。


「感染の疑いのある者の病気や外傷による死、感染による衰弱死の場合はゾンビ化しないよう処置を行った上で敷地内に埋葬する……。その他の理由による死者も万が一を考えて同じ処置を行うことにしている。彼も、君たちが許すなら……明日にでも私たちしか入れない封鎖された空き地に丁重に埋葬させていただく」


「……そうですか。ではそれまで彼の遺体を別の場所に移してやってください。このままでは僕たちの気持ちがおさまらないので」


「柴崎、彼を部屋に移せ。万が一の処置も忘れるな」


 リーダーの指示を受けて項垂れていた柴崎さんが動き出した。近くに折りたたんで置いてあった大きなビニールシートを丁寧に凛太郎くんにかぶせ、身体を持ち上げる。ビニールシートから飛び出した膝下の部分、誠と同じ制服のズボンからのぞく肌はまだ生きている人間の、若い少年のもので、とてもゾンビや死者のものには思えなかった。


 誠は赤い目でその姿を追って、やがて視界に入らなくなると再び殺人鬼の男に鋭い視線を向けた。先ほどと比べ少し落ち着いたが、張り詰めた奇妙な空気は変わらない。


 やっと安心して10人そろって休めると思ったのに、こんなことになるなんて。……どうすればよいのだろう。最初からこんな最悪なことが起きてしまっては、ここにとどまればこの先も悪い出来事が起きるのが目に見えている。特に、人殺しを躊躇わない男に目をつけられてしまった誠は危険だ。ぎすぎすした感情が渦巻いている場の雰囲気に少し物怖じしつつも、誠のためと勇気を出す。


「……さっき佐伯くんも言いましたが、凛太郎くんがこんなことになってしまった以上、このままの状態でここにいるわけにはいきません。この人と同じ集団でやっていくなんて考えられない……きっとまた争いが起きます。どうすればいいんですか? この人にこれ以上危害を加えないよう処罰を与えてくれますか? それとも被害者の私たちを追いやるのですか?」

「そうだ、俺は絶対こいつらを許さない! こいつらを追放しないなら俺は出ていく!」


 たどたどしい私の言い分に、即座に反応した興奮状態にある誠を除いて他の皆は複雑な顔をしていた。それも当然だった。一時の感情でこの先永遠に続くかもしれない恐怖の日々へと戻る選択をするのは愚かなことだと私だって思う。でも何事もなかったかのように凛太郎くんの死が扱われるのは許せないものがあった。あの殺人鬼を凛太郎くんにするはずだったように隔離するくらいの処置がされるべきだ。そんな思いが通じたのか、北山さんが口を開いた。


「こうなってしまったのは我々に非がある。その点は謝罪したい。だが浜崎……あのような愚行に走った加害者も精神が極限の状態にあるのだ。ここにいる全員、ゾンビに家族や友人を殺されながらもかろうじて生き残り、やっと訪れた束の間かもしれぬ安息に浸っている。君たちも同じだろう……だからこそ、そこをどうか考慮してもらいたい。その代わり……これからは君たちがゾンビ以外の恐怖から解放されるよう、我々がしっかりと監視する。私がこんなことを言える立場ではないが、とりあえず今晩はゆっくり休んでほしい……浜崎からは目を離さないようにしておく」


 あの殺人鬼のことに関してはとても満足のいくような回答ではなかったが、北山さんの態度からは真摯な偽りない気持ちが感じられた。誠も納得できないような表情をしていたが、何も反論できずにいた。とりあえず今はここで休んで明日に備えるほかない。


「……行こうぜ」


 須藤くんが硬直した空気を破り部屋へ向かった。奈美さん、相田くんも後に続く。


「誠、行こう」

「…………」


 誠の服の袖を引っ張る。誠は口を半開きにさせてまるで抜け殻のようで、何も言わず引かれるがままに動き始めた。その様子に加世ちゃんも心配そうに誠を見ている。


「加世ちゃん……大丈夫? 高校から色々あったね……」

「はい、私は……。でも、色々な人が死んじゃって、そのことを考えたらなんだかもうどうでもよくなっちゃいそうです。だから、今はもう考えないようにします」


 そう言って弱弱しく笑う加世ちゃんは青白い肌をして目も落ち窪み疲れ切っていた。生気にあふれた彼女に初めて会ってから10時間も経っていないのだと思うと、ここまでの間に本当に色々あったのだなぁと思う。


 私たちに割り当てられた部屋は広めの板の間だった。休日はここで近所の住民の皆さんが体操教室でも行っていたのかもしれない。見渡すと既に沙莉南ちゃんが穏やかな寝息をたてて横たわっており、倉本さんも壁に寄り掛かって座って眠っていた。そういえばこの二人はあの騒動の最中姿を見なかった。真っ先に部屋へ向かってそのままここにいたのだろう。薄情な気もしたが、今自分がふらふらと倒れそうな状況なことを考えると仕方のないことに思えた。


 部屋の片隅に積んであった毛布を二枚とって、片方誠に渡す。誠は無言で受け取るとくたくたとその場に座り込み、動かなくなってしまった。


「早く寝よ。それで明日考えよう」


 あっという間に眠りについた奈美さんや相田くんを起こさないように、誠の耳元で囁きかける。誠は小さく頷くとゆっくりと身体を横たえた。誠はプロフィールの特技の欄には必ずサッカーか「いつでもどこでも眠れること」を書く。その二つ目の特技が今も発揮されたことに安心して、私も毛布を抱き寄せた。


 寝転がろうとしたところで思いとどまって部屋を眺める。少し離れたところで佐伯くんが僅かに片膝を立てて眠っているのが見えた。あちらを向いているので寝顔は見えなかったが、規則正しく動く胸部に彼も眠りについたのだと安心する。皆のために彼が一番考えて、戦って、道を切り開いてくれた。佐伯くんをぼんやり見つめているうちに寝てしまいそうになって、慌てて振り切り、もう一人――彼の姿を探す。須藤くんはこちらとは離れた部屋の隅に腕を組んで座っていた。一瞬起きているのかと思ったがどうやら彼も眠っているようだった。


 須藤くんの姿にあの異形の化け物の姿が重なった。恐ろしい想像に背筋が冷たくなって、そんな自分をごまかすように勢いよく横になる。まだ僅かに身体が震えている。大丈夫、大丈夫。そう何度も念じて、瞳を閉じた。





 朝起きたら、不自然なほどの静寂が広がっていた。まだ寝足りないのか、重い頭を僅かに起こして寝ぼけ眼を擦る。手を付いて起き上がろうとしたところで床が滑っているのに気付いた。はっとしたところで瞬時に鼻を突く生臭い鉄の臭い。視界が赤い。血だ。奈美さんが倒れている――相田くんも。慌てて駆け寄るも彼らの瞳は既に光を失っていた。皆ぼろぼろの身体になって、血を吐き出し臓器を露出させて壊れた人形のように横たわっている。


 あまりの事態に声も出ない。呆然とその場に固まっていると、耳が異様な音をとらえた。ずる、ずる、と湿った何かが擦れる生々しい音。おそるおそる目を向けるとあの化け物がいた。部屋に収まりきらない巨体を丸めて、何かをしきりにいじくりまわしている。何をしているのだろう。化け物の手元は身体が陰になって見えない。そんなことしないで逃げなきゃ私も殺されるのに、もうどうでもよくなってしまった。私は引き摺るように化け物の手元が覗きこめる位置に身体を移動させた。


 巨大な化け物の手の先が佐伯くんの胸を貫いて、彼の内部をえぐり出していた。弄ぶように、ビンほどの大きさがある指を彼の身体に突き立てていた。高い悲鳴をあげようとして寸前のところで呑み込んだ。化け物に気付かれたと思ったが、こちらに顔を向けたのはかろうじて意識を保っていた佐伯くんだった。


逃げろ


 口がそう形を作った。そうだ、誠はまだ生きているかもしれない。私は止まらない涙を乱暴に拭い、立ち上がった。その時、化け物が身体を僅かにこちらに動かした。巨大な胴に傾いてくっついた頭――それは須藤くんの顔をしていた。


「…………っ」


 深い崖の底に突き落とされるような感覚とともに覚醒した。心臓がどくどく脈うっている。どうやら眠り込んでいたらしい。それが少しの間なのか長い間だったのかはわからないが、身を起こして窓の外の暗闇を見る限り、少なくともまだ朝は来ていない。


 嫌な夢だ。深呼吸、深呼吸。落ち着いたらまた眠ろう。


 もう一度横たわって天井へ目を向けると、夢の中で最後に見た顔が私を見下ろしていた。


「ひっ!」

「馬鹿、静かにしろ」


 悲鳴をあげそうになったところで口を塞がれる。夢の恐怖もあってしばらく混乱していたが、これ数時間前にもあった展開だ、とか思っているうちに落ち着いてきた。口を解放されて改めて彼の方を見る。


「……どうしたの英雄くん。びっくりしたなぁ」


 ほぼ音に出さず空気混じりの声で話しかける。


「来い、話したいことがある」


 見たことがないくらい真剣な顔をした須藤くんに、私は不安な気持ちを抱きながらも頷いた。

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