第四十六話 公民館
「十人……ですね。では、荷物をそこの隅に置いて、前に男性五人、後ろに女性五人の二列に並んでいただけますか?」
公民館の二階、会議室のようなところに通されるともう一人若い自衛隊員がいた。人のよさそうな男の人だ。女性五人と言われたところで数人が顔を見合わせる。私たちの中に女性は四人しかいない。誰か女性としてカウントされてしまったのだろうか。
「さっさと並ぶんだ」
最初の指示から間髪いれずにリーダーのおじさん隊員に急かされる。前列に並ぼうとしたところを後列に誘導された相田くんを見て、なるほどと思う。彼は割と小柄だし色白で髪も長めの癖毛と、女の子に見えなくもない。何も言えずにあわあわしている相田くんに、隣の奈美さんが吹き出しそうになったのを咳払いでごまかしていた。
それにしてもどうやらこのリーダーはかなり厳格な人のようだ。階段をのぼる時は手を後ろに組むよう言われたし、お腹を掻こうとした誠は即座に銃を向けられた(心臓がとび跳ねた)。今の世界では当たり前のことだろうし、そういった注意を怠らなかったからこそこれまで生き残ってこれたのかもしれないが。整列したところで背後の扉が閉められた。この人たちから認められない限りもう無事に戻れないような気がしてさらに緊張が高まる。
「一人噛まれたのがいると聞いたが……どいつだ?」
前列右端の凛太郎くんが手を挙げる。焦った。先ほどの佐伯くんの話など無視して問答無用で撃つのではなかろうか。凛太郎くんの隣の誠も同じことを思っているのだろう――緊張に手足が強張っているのが見て取れる。リーダーは凛太郎くんの噛まれた腕を掴みぐいと引き寄せるとじろじろと観察する。凛太郎くんの二の腕には痛々しい噛み傷がくっきりと残っていた。
「感染していたらとっくにゾンビ化している傷だな。噛まれてもゾンビの体液が身体に回らなかったのか、それとも耐性があったか……発症しない人間がいるのも確かだ。だが油断するんじゃないぞ。発症したら即座に撃つ。あとゾンビ化についての新しい情報が入るまでは監禁に近い形で過ごしてもらう」
リーダーが凛太郎くんの腕から手を離し、前方中央に戻っていった。一気に張り詰めた空気が抜ける。どうやら話がわかる人のようで安心した。もしかしたら須藤くんのことも理解してもらえるかもしれない。私たちの気が緩んだのを感じたのかリーダーは咳払いすると話し始めた。
「それでは今からお前たちが俺たちに危害を加え得る存在かどうか確かめさせてもらう。服を脱ぐんだ」
高校でも指示されたし、まあそうなるのだろうと思っていたことだが、何かひっかかるものを感じた。この場所で、全員?
「ここで全員、脱ぐんですか?」
ちょうどその違和感の原因を突き止めたところで奈美さんがリーダーに問いかけた。高校では身体検査の際当然のように男女別に分かれたので、色々と崩壊している社会だがそこのあたりはまだしっかりしていると思っていた。
「ああ。男女一緒にだ。悪いが今冷静に銃を扱えるのは俺しかいないものでな。俺の目が離れた場所で何かあっては困る」
リーダーがちらりと隣の若い男性隊員を見た。視線を感じた若い隊員が少し俯く。
「さあ、早くするんだ」
良く考えれば男性が前列に並ぶよう言われたのはこのことの配慮してくれてのことだろう。まあこんなことで戸惑っている場合ではない。目の前で須藤くんの背中の引っかき傷が皆の前にさらされる。あの巨大な化け物によるものであることがばれれば、どうなってしまうのか。
ワンピースの胸のボタンに手をかけるも、どうしても気になって須藤くんの方へ目を向ける。彼は躊躇することなく上から脱ごうとしていた。もはや見慣れたヒョウ柄のTシャツ。一匹丸ごと描かれたリアルなヒョウに普段は自然と笑みが漏れたが今は何も感じない。もうあの頃には戻れない。
須藤くんが勢いよくTシャツを脱ぎ捨てた。床に脱ぎ捨てられたTシャツからおずおずと視線を彼の背中に移す。鍛え上げられた褐色の背中。佐伯くんのアパートで見たときと同じように逆三角形を描いている。何も変わらない。
何も変わらない?
その時近くで私の名前が囁かれた。びっくりして肩を揺らしてそちらを向くと、奈美さんが心配そうな目で早く脱ぐよう促していた。奈美さんに曖昧な返しをしてワンピースのボタンを一気に外す。ワンピースの布地に顔を覆われながら、考える。どういうことなのだろうか――須藤くんの背中には何の傷も残っていなかった。あれは幻だったのか? いや、そんなわけはない。確かに私の目の前で須藤くんはあの化け物に引っ掻かれた。
「おい、お前何をしている」
訝しげな男性の声が間近で聞こえはっとする。ワンピースを脱ぎかけのまま固まっていたようだ。慌てて顔のあたりで止まっていたワンピースを脱ぐと、視界が開けた。リーダーが怪しいものを見る目でこちらを睨みつけている。やばい。何か言い訳をと口を開きかけたところでリーダーは服を着るよう指示をした。
「ふむ、他に感染の恐れのある者はいないようだな。ではお前たちを避難民として迎え入れよう。万が一ゾンビ化した場合は容赦なく撃たせてもらう……そこはご了承願いたい」
ひとまず安堵の空気が広がった。須藤くんのことは不思議だが、傷が消えていたおかげで問題なく受け入れられたことを今はただ良かったと思う。後で彼と色々話さなければならないだろうが。
「紹介が遅れたが、私はこの臨時避難所のリーダーを務める北山だ。臨時避難所と言っても配属されていた避難所が壊滅したため逃げ延びた生き残りで構成される非公式のコミュニティだ。そのため全員に十分な安全と物資を提供する余裕はない。君たちは晃東学園避難所から逃げてきたということだが……そこで受けた待遇とは全く別と考えてくれ。一人でも多く生き残るために君たちには協力してもらう。よろしく頼むぞ」
「自分は柴崎と申します。みなさんどうぞよろしくお願いします」
軽く会釈を返す。やはり戦闘のプロフェッショナルが一緒にいるのは心強い。高校の時と違って私たちは単なる避難民ではないし、あちらも単なる保護者というわけではなさそうだが。このような異常事態に何かに頼りすぎると破綻を招くだけだ。
「ここには今いないが、他にも加賀谷が外の装甲車に待機している。何かあった時は私たち三人に速やかに知らせてほしい。あと君たちは後でこの紙に氏名と性別、生年月日と住所を書いてくれ。いつになるかわからないが、安全地帯へ受け入れてもらう際必要となる」
「安全地帯、というのは北海道の感染者が確認されなかったという町のことですか?」
安全地帯――高校で佐伯くんが話していた北海道の山間の町のことだ。早くから避難民を受け入れていたがゾンビが紛れ込んでしまい私たちの高校からの移送は断念された。
「それもそのうちの一つだ。ただ正確にはもともと人自体いなかったということだがな」
「それはどういうことですか」
どうやら他にも安全を確認された地域はあるらしい。そして最初から人がいない町だったとは――確かにそれならゾンビは発生しないだろうが――どういうことなのだろうか。皆がリーダーの北山さんの話を息をするのも忘れるくらい注意して耳を傾けていた。
「こういった非常時を見越して作られた町だからだ。地図にも載っていない。航空写真にも圧力をかけて加工するようにしている。普段は軍部と国の一部の者だけしか知り得ない機密情報だ」
「非常時を見越していたということは……こうなることは想定されていたと?」
「それは私たちのような下っ端の自衛官にはわからないことだ。そもそもゾンビの発生源も未だに明らかにされていない。何らかの食品や医薬品に人間の細胞に変化をもたらす成分が混入していたとか、宇宙から降り注ぐ放射能の影響だとかいうSFチックなものまで諸説あるが。まあ一般人にとっては生きるか死ぬかが今一番の問題だ。根本的な解決はお偉い方の正式な発表を待つしかないな」
私は正直興奮していた。ゾンビの発生源……ただ脅威にさらされるだけの私たち一般人の考えが及びもしない部分。生きている間にそれが明らかになる時が来るのだろうか。
「まあ他の詳しい話は落ち着いてからまたしよう。隣に部屋を用意したから君たちは早く寝なさい。噛まれたという君は柴崎に付いて行ってもらおう。不安だろうが我慢してくれ」
北山さんに促され私たちは荷物を持って隣の部屋へ移動することにした。暗闇の中いつゾンビに襲われるかわからない恐怖と、凛太郎くんが噛まれたショックで疲れ果てていた。
「そういえばここ他に避難民いるんだよね? 全く見ないけど」
「深夜だからじゃないかな。だって今午前三時過ぎだよ」
自分の荷物を持ち直しながら奈美さんと相田くんの話を聞く。安心したのか眠気が急に襲ってきた。二人の声が壁を隔てているようにくぐもって聞こえる。瞼も垂れ下がってきた。
「…………!!」
いきなり鼓膜が小刻みに激しく振動する。高い悲鳴! 若い女の子のものだ。建物内であることは間違いない。奈美さんと相田くんが部屋から飛び出していく。嫌な予感がして私も反射的に後を追った。