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死の都市  作者: LION
第五章 
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第四十二話 暗闇

 その落ちてきた何かはふらふらと起き上がりこちらに向かってきた。夜の暗闇に一際濃く浮かび上がるその影は、今にも私に覆いかぶさろうとしている。混乱した頭で咄嗟に悲鳴をあげようとして、さっと口が塞がれる。必死に声をあげようとするも無駄で、鼻で呼吸するのも忘れ、息が苦しくなってきた。ふと懐かしい感じがした。そして続いて聞こえてきたのは今一番聞きたかった声。


「……お前が人間のまま殺してくれるんだろ?」


 ここまで近付いてやっと顔が見えた。口を塞ぐ手を解放し、須藤くんはニヤっと笑う。元からあふれ出てきていた涙が堰を切ったようにぼろぼろと頬を伝う。思わず彼の胸に思い切り飛びかかり、背にしていた壁に須藤くんと二人激突する。その音に奈美さんたちが瞬時に振り返った。佐伯くんは木刀を構えている。この数日で培われた危機感知能力が物音に敏感にさせているのだ。強張った顔が須藤くんの姿を確認してみるみるうちに綻ぶ。


「須藤! 生きてたんだね!」


 奈美さんと相田くんが駆け寄ってきた。須藤くんの肩をばしばしと叩く奈美さんは心底ほっとした様子だ。続けて涙でぐしゃぐしゃの顔を須藤くんの服で拭うように擦りつける相田くんに、須藤くんが顔をひきつらせる。


「勝手に殺してんじゃねぇよ……そんな簡単にくたばってたまるか」


 飄々といつもの軽口を叩く彼に対して心配な思いが浮かんだが、今はただ素直に降りて来てくれたことを喜びたかった。本当に来てくれてよかった。


「須藤……無事で良かった。だが再会の喜びは後に回そう。今は安全の確保が第一だ……爆音や悲鳴に釣られてこの付近のゾンビが集まってきているはずだ」


 佐伯くんが迫り来るゾンビの大群と逆の方向を指しながら言う。そうだ、いつまでも立ち往生している場合ではない。須藤くんと話したいことはたくさんあるが、今の状況は危険すぎる。とりあえずどこか、ここより安全な場所に移動しなくては。


 ゾンビの群れから遠ざかるように早足で歩く。いつの間にか一緒に行動するメンバーが増え、十人と大所帯になったが、実際に武器をもって戦えるのは半数ほど。武器を持っている私たちは丸腰の高校生四人を守らなくてはならない。先頭を佐伯くんと倉本さんが歩き、奈美さんと相田くんが高校生四人を挟み、最後尾を須藤くんと私が進む。


 夜は危険だ――視界が悪く、ゾンビの姿が見えない。ましてや今は私たちが逃げてきた学園方面に大量のゾンビが向かってきているはずだ。ゾンビと鉢合わせどころか、いつの間にか囲まれていたなんて最悪の事態も考えられる。ゾンビはもとから目が悪いので、夜にデメリットを被るのは生きている人間だけだ。私たちの行く手を照らす街灯の光が弱弱しく頼りなく見える。電気の供給が途絶える日がきたら、私たちは夜は身を震わせて神に祈るほかない。


「お、おい……や、やばいって……向こうからもゾンビきてるよ……」


 震える相田くんの声にはっと通りの奥を見る。背後から迫りくるゾンビと同じ数の大群が正面からも向かってきている。


「……そこの角を曲がろう」


 住宅を囲む塀が途切れた地点の少し手前で佐伯くんが木刀を強く握りなおす。そして低めの姿勢で勢いよく曲がり角から飛び出した。硬質な音と続けて何かが倒れる音が響く。


「行くぞ」


 おそるおそる近付くと、角を曲がってすぐの地点に立つ佐伯くんの足元にはどす黒い液体がじわじわと広がっていた。



「で、これからどこへ向かうの? また別の避難所を探す?」


 角を曲がり背後のゾンビの群れが見えなくなったのを見計らって奈美さんが切り出した。相田くんがどうしようか、と困ったように首をひねり、高校生たちは先頭の二人に視線を移す。倉本さんはそんな流れにもお構いなしといった様子で沈黙を貫いている。夜中に襲撃にあったのだ――皆心も体も疲れきっているのか、思考が前に進まない。そんな皆の様子を見て口を開いたのはやはり佐伯くんだった。


「そうだな……だが、確かこの近辺にはもう指定の避難所はなかったように思う。夜はまだ長い……一度どこかで落ち着いてゆっくり話し合いたいところだな。とりあえずあの高校から距離をとって……誰か、ここから少し離れたところにいい隠れ場所を知らないか?」


 再び沈黙が生まれる。おそらく佐伯くんはこのあたりの地理に詳しい高校生たちに聞いているのだろうけど……誠も凛太郎くんたちも疲れ切った様子で、考えようにも難しい状態であるように見えた。と思いきや、ためらいがちに口を開いたのは凛太郎くんだった。


「……あの、ここから十分くらい歩いたところに俺の家があるんですけど……どうでしょうか」

「藤井くんの実家か?」

「……はい」

「ふん、化け物になった家族がいるんじゃないのか」


 割り込んできたのはそれまでずっと何も言わなかった倉本さんだ。


「家族と連絡は取れてるのか?」

「い、いや……。でも、あの日は両親二人で出かけると言ってたんで、誰もいないと思うんで……」

「それはあんたの憶測だろ? あんたが行きたい場所を聞いてるんじゃないんだ。ゾンビになった母親の頭をかち割れるか? 父親の首を滅多刺しにできるか? まさかそんな覚悟もなしに提案したんじゃないよな? え? 図星か?」


 倉本さんは淡々と、しかし責めるような口調で矢継ぎ早に問いかける。凛太郎くんの頭はだんだんとうつむき、ぶるぶると震え始めた。誠が心配そうに声をかけ、倉本さんを睨みつける。


「く、倉本さん……そこまで言わなくても」


 凛太郎くんが可哀そうになって口をはさむと、倉本さんは鼻で笑って話を続けた。


「おいおい、まるで俺を悪者扱いしてるようだが。ここにいる全員の命がかかってるんだぞ。親の動く死体を目の当たりにしてパニック起こすのが目に見えてるガキを甘やかしてられるか。これ以上ガキどもが馬鹿なこと言い出さないように教育してやってんだよ」

「おい、凛太郎はただ……!」


 頭に血が上った誠をあわててなだめる。誠も自分がかっとして大きな声を出してしまったことに気づいたようだ。だからガキは、と倉本さんから見下すような視線を向けられて、誠は辛い出来事を思い出したのだろう――泣きそうな顔をしている。


「まぁ、確かに……親御さんと連絡がとれてない以上万が一ってこともあると思うし、今はやめたほうがいいかもね」

「うん……どこも行き場所のない僕らとしてはありがたい提案だったけど……。少し休んで落ち着いたら寄ってみてもいいかもしれないね」


 そう言ってフォローする奈美さんと相田くんの声は疲労がまじっていた。どんよりと重く、ぴりぴりとした雰囲気が広がる。今は落ち着いて助け合わなければいけないときなのに。しかしそんな思いもむなしく話は振り出しに戻り、数度目の暗い沈黙が訪れた。


「……もう適当にそこらの民家にでも入っちまえばいいんじゃねぇの?」


 あれからずっと黙りこくっていた須藤くんがぼそっと呟いた。


「そうだな……。狭くて逃げ場がない構造上避けたかったが、仕方がない」

「……あの!」


 遠慮がちだが張りのある高い声があがった。加世ちゃんだ。皆の視線が集まり彼女は少し物怖じした様子を見せたが、そのまま一気に話を続ける。


「ええと、ここから1キロくらい先に公民館があるんですけど、行ってみるのはどうでしょう?」

「公民館って……どんなかんじの?」

「二階建てなんですけど……あの、ゾンビって階段とかあまり上がれないですよね? その公民館は外から二階へあがる階段がいくつかあるんで、入るのも逃げるのも都合がいいと思うんです」


 年上に詰め寄られて緊張したのか、あわあわと身振り手振りを交えながら説明してくれる。かわいい。


「……いいかもしれないな。じゃあ、案内を頼んでもいいか?」

「はいっ」


 加世ちゃんの表情がぱあっと明るくなる。かわいい。和む。全体がよい流れに向かったことが嬉しかったこともあり、なんとなくこの気持ちを共有したくて須藤くんの方を見る。そしてすぐに後悔した。須藤くんの顔には何の感情も浮かんでいなかった。いつもぎらぎらとして生気を宿した目は目の前の闇しか映していなかった。もう彼とは今まで通りにはいかないのかもしれない。自然と持ち上げられていた口角が急激に力をなくした。心からの喜びなど来ない苦しい現実に泣きたくなった。


「……おい、行き先が決まったくらいで喜んでる場合じゃない。ゾンビ様のお出ましだ……」


 倉本さんの声でさらにどん底まで突き落とされた。私たちが進む一本道の先は街灯の光が届かず、闇に包まれている。だが姿は見えないが、聞こえてくる。化け物たちの呻き声が、途切れ途切れに。そう遠くはないだろう。来た道にはゾンビの大群が押し寄せてきているのはわかっている。退路を断たれた私たちは逃げることはできない。


「え、どうするのこれ……逃げられないじゃん」


 誠の場違いな笑いを含んだ呟きが頭の中で何度も繰り返し再生された。

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