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死の都市  作者: LION
第五章 
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第四十一話 犠牲

「英雄くん、後ろ!!」


 状況を把握してあれこれ考える間もなく即座に発した声は、自分でもどこから出たんだろうと驚くほど大きな悲鳴だった。自分の声できんと鼓膜が震えるのを感じながら、彼をこちら側に引き寄せようと手を伸ばす。しかし伸ばした手はあろうことか須藤くん自身の手によって阻まれた。そして同時に鋭く弾けるような音が鳴り響く。彼が後ろを振り向きざまに化け物に回し蹴りを放ったのだ。


「背後にあんなでけぇのがいりゃ気配でわかる」


 須藤くんは予想外の出来事に混乱している私を奥へ押しやり、まとめて置かれた荷物のそばに転がる斧を手にとった。白い腕は怯んで一旦倉庫の下に引っ込んだが、今度は大きな二つの手が屋根の端を掴み、徐々に頭部が現れた。抜け落ち疎らになった頭髪が張り付き、びっしりと青い血管が浮かぶ頭部――瞳が白く濁った眼球は飛び出し、大きく開けた口は黒いドロドロの液体を吐き出している。あまりにも不気味なその姿に闘争心など湧かなかった。これは、現実だろうか? ゾンビだって十分恐ろしい化け物だったが、これはあまりにも現実離れしている。ただただ恐怖にかられ、一刻も早くこの場から逃げたかった。


「こりゃすげえな、まさにバケモノだ……。はは、獲物は残さず食い尽くしたいってか……。貪欲な野郎だぜ」


 須藤くんは斧を構え、後退りながらも化け物と対峙する。いつもの調子で話しながらも大粒の汗が彼の肌を伝っていた。彼の背に隠れた私も警棒をぎゅっと握り締めるが、情けないことに引け腰になっているのが自分でもわかる。


 その時足下の方から声が聞こえた。佐伯くんたちだ。こちらの異常事態を察したのだろう。


 私と須藤くんの意識が目の前から離れた瞬間、化け物の手が伸びた。腕を掴もうとする手を須藤くんは寸前のところで逃れる。


 早い――今まで相手にしてきたゾンビとは桁違いの俊敏さだ。その後も次々と繰り出される巨大な手による攻撃を須藤くんは避けるのでやっとの様子だ。


 まずいかもしれない。私が動いて化け物の隙を作らなければ。しかし逆に須藤くんの邪魔になる恐れもある。こんなときどうすればいいのか――非常時に露になる自分の無力さ。動けない体と裏腹に気持ちだけが燃えたぎり、行き場のないエネルギーが爆発しそうになる。


 そうしている間にも化け物は襲う手を止めない。今度は低い――狙いは足だ。須藤くんは後ろに飛び退き攻撃を避けたものの、もう一つの手が即座に追い討ちをかける。着地直後の隙を狙った攻撃に反応が遅れ、巨大な手が首目掛けてへし折らんとするばかりに勢いよく迫った。身をよじるが避けられない。そのままバランスを崩し、化け物の手が首に触れたように見えた。心臓が止まりそうな思いで事の行方を見守っていると、須藤くんの首もとにさっと血飛沫が舞い、彼のシャツが赤く染まった。まさかと思い体がビクンと震えたが杞憂だった――程なくして力をなくした白い塊がゴトンと音をたて真下に落ちた。


ァアアアァァ……


 化け物が口から黒い液体を辺りに撒き散らしながら苦痛に呻く。待っていたとばかりに斧を軽く一振りして滴る血を払い落とし、須藤くんは化け物との距離を一気に詰める。


「だあああっ!」


 鬼気迫る叫び声と共に頭部目掛けて思い切り斧を降り下ろすが、化け物は骨がないかのような動きで首をぐにゃりと反対側へ転がし攻撃を避けた。その隙を日頃から格闘技に触れている彼が見逃すわけがない。屋根に乗り出す化け物の上半身を前方へ思い切り蹴り飛ばす。


「おらっ、行くぞ!」


 化け物の姿が倉庫の下に消えていくのを待たずして振り返った彼が叫ぶ。目が恐ろしい光景をとらえた。屋根から落ちゆく化け物の白い腕が彼の肩越しに見えた。そしてそれはゆっくりと彼の背中の表面を沿うようにして滑り落ちていく――須藤くんの顔が痛みに歪み、白い倉庫の屋根に赤い滴がぼとぼとと落ちた。


「……止まるんじゃねぇ。あのデカブツ、また上がってくるぞ」


 痛みをこらえ、何事もなかったかのように振る舞う須藤くんだが、深刻な事態に違いない。ゾンビからの感染経路は必ずしも噛みつきだけではない――多少助かる可能性があるにせよ、爪で引っ掻かれることも主な要因だ。それに相手はゾンビの変異種。須藤くんのこれからを想像すると背筋に悪寒が走った。


「皐月、先に降りろ。荷物は俺が上から落とす」


 ロープのかかった壁の方へ押し出す手がかたく強張っているのを感じながら、彼の言葉を咀嚼する。すぐ下にいる化け物から逃げるなら、人数分の荷物を下ろす時間なんてないはずだ。それどころか二人逃げ切れるかも怪しい。彼は命を捨てようとしているのかもしれない。やっと思考が正常に働くようになった。こうしている暇はない。


「荷物なんていらないでしょ、命の方が大事だもの。英雄くん、行こう。二人で降りよう?」


 必死にすがるような私の言葉に平静を装っていた須藤くんの顔色が変わった。苦しげに眉を寄せて俯く。


「……馬鹿野郎、言わせるんじゃねぇよ。俺はもう無理だ。さっさと行け」

「え、そんな……」

「俺だって自分がこのまま死んで化け物になっちまうなんて信じたくねぇ。けどよ、諦めるしかねぇだろうが……!」


 ひどく掠れた声でそう言う彼は自分の命を失うかもしれない状況にも関わらず至極まともだった――私などよりもよほど。しかし引き下がるわけにはいかない。須藤くんは勿論のこと、佐伯くんも反対するかもしれない。呆れるくらい馬鹿なことかもしれないが。でも彼を今ここで見捨てるなんてとてもじゃないができなかった。


「英雄くん、先に行って。英雄くんが先に行かないなら私ここから動かない」


 俯いた須藤くんの眉がぴくりと動く。ゆっくりと顔を上げた彼は恐ろしい形相をしていた。少し怯んだが、負けじと彼を睨み返す。


「……おい。俺の犠牲を無駄にする気か?」


 ぞくりとするほど冷ややかに彼は言う。わざとそうしているのだ。私を助けるために。しかし私だって引き下がるわけにはいかない。私はがっと彼の両腕を掴み、強く言い放った。


「犠牲になんてさせない!」


 何か言おうとしていた彼の口がとまった。勢いをそのままに続ける。


「少しでも助かる可能性があるなら、諦めないから。……英雄くんを化け物にしたくない。でも、もしその時が来たら、躊躇しないよ。人間のまま死なせてあげるよ……だからお願い、一緒に来て」


 嘘だ――殺す覚悟なんてこれっぽっちもないのに。でもこのくらい言わなければきっと須藤くんは考えを変えない。少しの間沈黙が続き、頭の上から短い溜め息が聞こえた。


「……わかったよ。俺は後から必ず行くから先に行け。お前じゃ、あの化け物が来たら手に負えないだろ」


 そうだ、化け物はまだ生きてすぐそこにいる。片手を失ったことで動きが鈍っているのかもしれないが、じきにまた襲ってくるだろう。そうなった時私ではとても対処できそうもない。悔しいが彼の言うことは事実だった。今この時は須藤くんに全てを任せなければいけない状況なのだ。彼が本当に降りてくるかわからないが、私はただ彼に判断を委ねるしかない。


「……必ずだよ。絶対に来てね」


 彼の腕から手を離すのが名残惜しかった。これが最後になるかもしれないと思うと苦しくてたまらなかった。私は足元に転がった鞄から上着を取り出すと須藤くんに着るように言った。この傷を見たらきっとみんな混乱するだろうから。須藤くんは無言で聞いていたが上着を受けとると静かに頷いた。


 傷を負った彼を置き去りにして逃げる形になった自分にこみあげる嫌悪感を抱きながら私はロープに手をかけた。





 私が降りてすぐ荷物が落とされたが、その後しばらく待っても須藤くんは降りて来なかった。こうなるような気はしていた。彼は他人に迷惑をかけてまで生き残ることを好む人じゃない。荒々しい態度や言動からでも伝わる気高さがあった。ではなぜ私はそのことを知りながら置き去りにしたのだろう――自分が助かりたかったから? 化け物の異常な姿が今でもありありと思い出せる。怖かった。早く逃げたかった。そんな自己保全の思考を置いといて、こうするしかなかったんだ、と言いたい自分が情けない。なんて私は汚いんだろう。胸がきりきりと痛む。皆と言葉を交わすことも視線を合わすこともできなくて、私は何も言わず俯いていた。


「……音にゾンビが集まってくるのも時間の問題だ……行こう」


 佐伯くんが静かに言った。皆を救うために思い巡らした末であろう彼の言葉がまるで非情な死刑宣告のように聞こえた。傍でしゃくりあげる声が聞こえ、その方に視線を向けると相田くんだった。


「須藤……僕がもっとしっかりしていれば」

「誰のせいでもないよ駿。……今はしっかりしな」


 腕で目を覆い、肩を震わせる相田くんの肩を奈美さんがぽんと優しく叩く。見渡すと誠も加世ちゃんも凛太郎君も沈んだ顔をしている。


「おい、こんなことしてる場合か。そういうお涙頂戴な仲間ごっこは安全を確保してからにしろ」


 動こうとしない私たちに倉本さんが冷やかに言う。手には彼が用意していた武器らしい、工事現場にあるような大きなスコップがある。


「……ゾンビが」


 紗莉南ちゃんの呟きに皆の視線が一斉に壁に沿った道路の向こうに注がれる。学園と住宅街に挟まれた狭い道路を埋め尽くすほど大量のゾンビの影が迫ってきていた。感傷に浸る暇はないということか。佐伯くんに促され皆が歩きだす。私も皆より少し後ろを歩くが、一歩踏み出すごとに心にひびが入り、崩れ散ってしまいそうだ。前を歩く凛太郎君の足元に視線を落して、零れ落ちそうになる涙を必死でこらえる。


 その時、私と壁の間に何かが上から落ちてきた。

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