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死の都市  作者: LION
第四章 
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第四十話 大脱出

 廊下はすっかり静まり返っていた。外から壁を隔ててくぐもって聞こえる爆音以外、人の声などは何も聞こえない。誰かいないのかと辺りを見渡し、私たちは息をのんだ。国に守られているはずの安全地帯にいくつも転がる無残な死体。これまでに幾度となく見てきた化け物に食い荒らされた死体とは違う。サイコパスと出くわした時以来の、正常な状態を保てなくなった人々による殺人だ。パステルカラーの涼しげな春服からのぞく痣だらけの素肌が痛々しい。


「……あまり見んなよ、行くぞ」


 須藤くんに促され思い出したように歩き出す。視線を外へ続く扉に向けるとき、ボロボロの死体の中に見覚えのある顔を見つけた。


「あぁ……」


 佐伯くんと自衛隊と話をしに行ったときに会ったおじいさんだった。人々に踏まれたのか身体が妙な方向に曲がり、既にこと切れている。だが顔は痛みに歪んではいるものの、不思議と苦しみから解き放たれたような穏やかな表情をしていた。おじいさんがいつか天国でおばあさんと再会できますように……。私はそっと手を合わせそう祈ると、前方で心配そうな顔で私を見る誠の方に駆け寄った。


「ひでぇな、こりゃ」


 校舎の外はまるで戦時下――空襲の最中のようだった。何も隔てるものがない今、発砲音や爆音は耳をつんざかんばかりに鳴り響き、血のような赤みを帯びた煙が辺りをうっすらと覆っている。このあたりは自衛隊が設置したのだろうか、強い照明で照らされていた。地面には人が倒れ、物が散乱し、命ある人々は悲鳴を上げながら通りを行き交う。門の外に目を向けると武装した隊員たちが門と二重にバリケードを築き、前線へ弾倉など物資を送っているのが見える。


「あなたたち!」


 突然かけられた声に振り向くと、そこには険しい顔をした女性隊員、藤原さんがいた。彼女は私たちのもとへ大股で歩み寄ると学園の奥の方を指差した。


「早く、本館の方へ。ここは危ないから奥へ避難して」


 現在の状況について聞きたかったが、赤い煙を背にして有無を言わせぬ鋭い目つきでこちらを見る彼女にただ頷いてその通りにする他なかった。


「なぜこんなことに……」


 頭を下げてその場を離れようとしたとき、藤原さんの無意識であろう小さな呟きが聞こえた。彼女たちは必死になって、命懸けで私たちを守ろうとしてくれているのだ。本館から門へ物資を運ぶ隊員たちが、逃げ惑う避難民たちに足止めされ、さらには事情の説明を求め詰め寄られているのを見ると私たちは本当にお荷物なのだと感じざるを得なかった。


 行き交う人々を避け、先頭の須藤くんと後ろの二人を見失わないよう注意を払いながら進んでいると、通りの真ん中でしゃがみこむ人を見つけた。短い黒髪の女の子のようだ。顔は伏せられていてわからない。気になったがどうしようもなく横を通りすぎる時、走る男が容赦なく彼女を蹴飛ばした。力なく地面に転がる彼女の顔を見てあ、と声が出た。


「会長!」


 小さく呟いた私の声をかき消し叫んだのは誠だった。真っ先に駆け寄る誠の後に続く。誠に抱き留められた生徒会長――小峰加世ちゃんは白い顔で呆然としていた。目元は赤く、長い睫毛は濡れている。昼間に見た快活な彼女の面影はなかった。


「おばあちゃんが……死んじゃった……」


 加世ちゃんは掠れた声で弱々しく呟いた。何て声をかけようか迷い、口を開こうとしたその時、門の方で一際大きな音がした。自衛隊員たちがバリケードを築いていた場所には煙が立ち込め何が起きているのかはわからないが、銃声が減り、今となってはあまり聞こえてこないことから、かなり危うい状態であることは理解できた。


「おい、走るぞ!」


 誠が加世ちゃんに走るよう促すと、彼女は今にも泣きそうな顔をしながらも立ち上がった。やはり彼女は芯が強い。


 異変を察し焦った人々が押し寄せる本館、体育館を通りすぎ、誠を見つけた校舎裏に入る。壁沿いに生い茂る木々――その中に四角い倉庫が見えてきた。本館の窓から光が漏れ出ているためかこのあたりは明るい。倉庫の陰に佐伯くんたちの姿を見つけ、思わず走り寄る。


「皐月さん……みんな。無事で良かった」


 安堵の表情を浮かべる佐伯くんたちの中に意外な人物を見つけた。


「あれ、あなたは……」


 体育館前でおじさんに絡まれた時助けてくれた男の人だった。彼は私をちらと一瞥するも覚えていないのかすぐ目を逸らした。


「彼は俺たちよりも先にいたんだ。ここを脱出するという考えは同じようだから一緒に行動しようと思う」


 私たちの視線が一気に集中するのを感じたのか、彼は顔をそむけながらも名乗った。


「倉本だ」


 彼の言葉や態度はどこか人を寄せつかない雰囲気を放っていた。馴れ合いを好まない人のようだ。佐伯くんはこちらの加世ちゃんにも気付いたようだが時間を気にして矢継ぎ早に行った。


「その()の紹介はまた後で。さあ、早く倉庫の屋根に上ろう。奴らが来てからじゃ遅い」

「どうやって上るんだよ?」

「跳び箱だよ。体育館から勝手に拝借してきたの」


 奈美さんの指の先には――高校生となるとやはり高い――私の肩ほどまでに積み上げられた跳び箱が何組かあった。上部の布が裂けていたり、木がくすんだ色をしているところを見るに、廃棄物のようだ。どうやらこれを踏み台にして倉庫の上に上がるらしい。


「悲鳴が聞こえてきたよ! や、やばいんじゃないかな」

「急ごう」


 焦る相田くんを奈美さんが押しやり、跳び箱を上らせる。急なことに戸惑う相田くんはふらふらした足取りで、体が強張っているみたいだ。


「な、なんで僕が先なのさ? 誰か見本見せてくれても……」

「駿! つべこべいわず上る!」


 奈美さんにどやされて駿くんは動きを早め、倉庫の屋根に上半身を乗り出した。しかし足をバタバタさせたまま動こうとしない。


「だ、誰か持ち上げてー!」

「しゃーねーな」

 

 呆れて溜め息をつく奈美さんの傍ら、須藤くんは身軽に跳び箱を駆け上がり苦しげに叫ぶ相田くんを思い切り押し上げる。背後から加えられた強い力に相田くんは屋根の上に思い切りダイブした。


「いでっ」

「悪ぃな、だが次が詰まってんだ」


 それから須藤くんが引き上げ役をしてくれて奈美さん、紗莉南ちゃん、凛太郎くん、誠とスムーズに上ることができた。その一方で佐伯くんが鞄や武器を倉庫の上の相田くんに渡していく。荷物は一通り屋根の上に運び終え、次が加世ちゃんというところで須藤くんが急に身を引き誠を呼び出した。


「おら、引き上げてやれ」

「え?」

「いいから早くしろ」


 何かを耐えるような苦しそうな顔をしていた加世ちゃんは、おずおずとのばされた手に気付き弱弱しく微笑んだ。


「ありがとう……」


 誠は少し照れ臭そうに加世ちゃんの手をとり屋根の上に引き上げた。


「チビのくせに意外と力あんのな」

「チビってなんスか! 平均はありますから!」

「見栄はんな」


 変なところで鋭い須藤くんは誠が加世ちゃんを大事に思っていることを既に感じ取っていたようだった。なんだか必死な誠の様子にこんなときでもほほえましく思った。


「おい、モタモタするなよ。じゃれあってる場合か。これで生き残ってこれたとはよほど強運だったんだな」


 口を挟んだのは私の隣に立つ倉本さんだった。


「……ああ、悪ぃな。でもてめぇのペースに合わせるつもりもないんでね」


 須藤くんは彼が不良だったことを思い出させるような板に付いた鋭いまなざしで倉庫の上から倉本さんを見下ろす。しかし彼は気にもとめないようで落ち着いた様子で跳び箱を上っていった。


「皐月さん」


 緊張に息をするのも忘れていた私は佐伯くんの言葉にはっとして空気を思い切り吸い込みむせ返ってしまった。佐伯くんは「大丈夫か」と声をかけてくれ、落ち着いたところで優しく私の背を押す。


「非常時に(いさか)いは付き物だ。俺たちは今まで運が良かった」

「そ、そうだね……」

 

 さて、立ち止まっている場合ではない。私は跳び箱に足をかけた。


「んっ!?」


 なかなか段が高い。思い出せば私は運動音痴でちんちくりんなのに侮っていた。相田くんを笑える立場ではない。やっとの思いでひとつ目の跳び箱の上に上がり、二段目に移る。


「大丈夫か?」


 すぐ後ろで佐伯くんの心配そうな声が聞こえる。振り向くと佐伯くんが上半身だけ見えた。補助してくれる気のようで今すぐにも一段目を上れる位置におり、かなり近い。


「へーきへーき! 英雄くん、引き上げてね」


 近くで自分の動作を見られる緊張に震える足でどうにか二段目を制覇し、次は倉庫の屋根の上だ。ここまで来なければわからなかったが、結構高さがある。相田くんがてこずるのももっともだ。


「今、俺不機嫌だからよ。佐伯、持ち上げてやれ」


 意味がわかりません。須藤くん、状況わかってますか?


 冷静に心の中で突っ込みをし、顔を冷や汗が伝う。その時体育館の方から人々の絶叫が聞こえてきた。と同時に後ろから脇腹を両側から思い切り掴まれる。


「うへっ!?」


 くすぐったさに思わず身を捩ろうとするも強い力であっという間に倉庫の上に押し上げられた。そのあとすぐに佐伯くんも上がってきて、ああ佐伯くんが持ち上げてくれたのかと理解する。


「おい……くそっ、なんだよあれは!」


 つい数秒前までおちゃらけていた須藤くんの興奮した声に後ろを振り返ると、校舎の陰から現れた異様な生物が体育館へ近付いているところだった。かなり大きい――引き連れるように周囲にいるゾンビたちより頭4つ分くらい高かった。形状もこれまた奇妙だ。上半身が異常に発達していて胸部や肩が盛り上がっており、その上に人の首が傾いてくっついている。背中は重みに耐えきれないのか大きく湾曲しており、それが一歩を踏み出すたびに変な方向に飛び出た頭と筋肉隆々の長い腕がぶらぶらと揺れた。


 誰もが恐怖に我を忘れていた。この時間が永遠にも続くように思えた。


「……逃げるぞ」


 思考が停止した脳をその一言が呼び覚ました。皆の視線の先をたどって声を発したのが倉本さんだとわかった。佐伯くんはもう既に行動を開始しており、鞄からロープを取り出して壁の向こう側に垂らそうとしていた。


「俺が先に下に降り安全を確保する。須藤と何人か、ロープをしっかり持っていてくれ」


 木刀の(つば)をベルトに引っかけるように挟んで固定し、佐伯くんは壁の縁に手を掛けた。それから腕の力のみで身体を持ち上げ壁の上に上半身を乗り出す。


「下は……奴らが何体かいるが問題ない。民家の影に隠れていることもなさそうだ」

「何十体といようと行くしかねぇだろ……こっちは一万だぜ」

「そうだな。よし、行ってくる」


 反対側に一万もいてこちらに数体だけとは考えられない。きっと佐伯くんは私たちを安心させようとしているに違いない。そして一人で片付けようとしているのだろう。何が起きるかわからない。今にもロープを伝っておりようとする彼に何か声をかけようと思うがなかなか声が出ない。


「佐伯、頼んだぜ。俺も行きたいとこだが縄を固定する強い力が必要だし、こいつらのお()りでいっぱいいっぱいだ」

「あんたに守られてる実感ないんだけど」


 いつも通り須藤くんと奈美さんが言いあうところを見て佐伯くんはふっと笑い、さらに身を乗り出した。今しかない。


「義崇さん」


 声にならなかった。代わりに彼を呼びとめたのは鈴を転がしたような可愛らしい声。私のものではない。


「……気をつけて」


 そう言ったのは今にも泣きそうな顔をした紗莉南ちゃんだった。顔だけ振り向いた佐伯くんは優しい笑顔を彼女に向け力強く頷くと壁の向こうへ消えていった。自分の引っ込み思案な性質を少し恨めしく思った。


 そうしている間にも下方から力強い打撃音が響いてきた。佐伯くんが戦っているのだ。


「佐伯、死ぬなよ……」


 須藤くんが小さく呟く。誠たちも顔に汗を浮かべて耳に意識を集中させており、緊迫した空気が漂っている。彼を守りたい。でも今私が行っても足手まといになるだけだ。居ても経ってもいられないが、どうすることもできないもどかしさが私を襲う。


「須藤、ロープ持っててくれよ」


 そう絞り出すようにして声を発したのは相田くんだった。スリングショット片手に少し震えている様子だ。


「ちょっと、駿何考えてるの。佐伯の足を引っ張るようなことしないで……」

「僕だって戦える!」


 奈美さんの言葉を力強く遮り、相田くんは壁の端に手を掛けた。上に体を乗り上げようとして何度も失敗する。それでも満身の力を込めて相田くんは壁に身を乗り出した。そしてスリングショットを構えると冷静に下の状況を覗い、一発目を放った。硬質な音と何かが倒れる音が壁越しに聞こえてきた。それから続けて二発目を放つ。


 次々に玉を命中させているようだった。そんな相田くんの後姿にさっきはぽかんと気の抜けた表情をしていた奈美さんが真剣な眼差しを注いでいる。また相田くんが玉を放ち、一際大きな音が聞こえた時、奈美さんが相田くんへ近付いて行った。


「駿、支えるよ。足をついて」


 壁に手を、屋根に膝をついた奈美さんは、相田くんに宙に浮いてプルプルと震えていた足を自分の肩に乗せるよう指示した。少し戸惑っていた相田くんは状況を理解したのか奈美さんの肩に体重を預ける。


「奈美さん、大丈夫……?」

「おい無理すんな。俺がかわる」


 私や須藤くんのかけた言葉に奈美さんは何も言わずただ頭を振った。


 相田くんの助けがあり状況が好転したのか、佐伯くんの木刀の攻撃音が増え、やがてだんだんと音は減っていった。何かが砕ける大きな音と何かが崩れ落ちるような音がして少し経ち、相田くんが振り向き力強くピースサインをした。張りつめた空気が一気に緩んだ。


「奈美、ありがとう」

「……いいからさっさと降りて。あんた意外と重い」

「あ、ごめん!!」


 相田くんが急いでロープを伝って降りていく。まもなくうわっという小さな叫びと鈍い落下音が聞こえたところが相田くんらしい。それから高校生たちが一人ずつ降りていった。奈美さんの番になり、彼女の背中をさすっていた私の頭を「ありがと」と笑顔で撫でると奈美さんは降りていった。


「じゃあ私降りるね」

「おう、気をつけろよ。荷物を降ろしたら俺も行く」

「うん」


 須藤くんと言葉を交わしながら、何か大事なことを思い出したような気がした。忘れてはいけない、恐ろしいこと。背筋が凍るような嫌な予感がして何気なく体育館の方を見る。今にも体育館の扉を破ろうとするゾンビの集団。人の頭が密集しておりこちらの校舎裏の方にも溢れかえってきている。急がなきゃ。でも、何かがおかしい。そうだ。あいつがいない。


「ねえ、須藤くん――」


 須藤くんに目を移して心臓が大きく跳ねた。どうした? と怪訝な顔をする須藤くんの真後ろ。白くて太い腕が伸び、大きな手が今にも須藤くんの頭を鷲掴みにしようとしていた。

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