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死の都市  作者: LION
第四章 
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第三十四話 姉弟

 体育館を出た途端身体から力が抜け、私はコンクリートの地面に膝をついてしまった。心は感情という感情を殺してしまったかのように静かなのに、腕も脚も壊れた機械のようにガクガクと震えている。すると急に陰が差し、驚いて顔を上げるとそこには小太りのおじさんが立っていた。いかにも邪魔だと言わんばかりの目で見ていたが、私の顔を確認するとさっと表情を変えた。


「お嬢ちゃん、どうしたの? 気分が悪いのかい?」

「……いえ、大丈夫です」


 本当に心配してくれているのかもしれないが、街で出会ったサイコパスたちの笑顔と同じようなものを感じる。今は人の親切を素直に受け止められそうもない。おぼつかない足取りで逃げるように歩きだす――と、後ろから腕を強く掴まれた。


「そんな状態じゃあ危ないよ。保健室に行こうか。こっちだよ」


 あなたと一緒にいる方が危ないよ! とは言えるわけもなく。弱々しくやめてくださいと言っても腕を離さない相手を振り払う元気もなく。ただ誠を失った悲しみに流されそうになった、その時。


「どけよ」

「あ?」


 男の人が立っていた。体育館に向かう通路上にいる私たちが邪魔になっているようだ。長い前髪から覗く目は無気力で、冷やかだった。彼は何もなかったかのように再び歩きだすと、私たちの横を通り過ぎざまにドンとおじさんの肩にぶつかった。


「おいてめぇ、やるってのか」

「……そこを動かないっていうんなら婦女暴行罪で自衛官につきだすぞ。和を乱すものはゾンビの餌食になっても構わないって方針だそうだからな」


 おじさんは私の腕をぱっと離すと青ざめた顔でそそくさと立ち去って行った。もしかして、常習犯だったのかも。危なかった。


「……そんな方針なんですか?」

「いや、知らない。その場で思いついた」


 しれっとした顔でそう言う彼の様子に思わず笑っていた。彼は不思議そうに私をみると「また変な奴に捕まらないよう早く戻れ」と言い残し体育館に消えた。私はしばらくその場に留まっていたが、どうしても佐伯くんたちのいる教室に戻る気は起きなかった。しかし体育館に出入りする人たちの目が気になり、とりあえずその場を後にすることにした。

 

 校舎の裏側に来ていた。折角あの男の人が助けてくれたのに気まずい思いがしたが、今はとにかく一人になりたい。奥へ奥へと進み人の声が届かない場所まで来ると私はゆっくりと地面に腰を下ろした。この辺りは草が生い茂っており、せっかく着替えたばかりの洋服が湿った土で汚れてしまうが、気にならなかった。校舎にもたれかかり力なく正面を見やると、この学園の敷地の端にいるようで、綺麗に手入れされた木と木の間に地獄と学園を隔てる高い塀が見える。


『なぁなぁ母ちゃん。旅行行こうよ、旅行』


 ふと昔交わした家族との会話が頭の中に蘇る。昔、と言っても今月のことだから最近か。でも遠い過去のことのような感じがする。


『あんた高校生にもなってまだ家族と旅行なんて行きたいの?』

『えっ……、普通じゃねぇの?』

『冗談よ、冗談。何ショック受けたような顔してんの』


 お母さんの言葉に時が止まったような顔してたな、誠。


『で、どこ行きたいの?』

『海外!』

『『……はぁ!!??』』


 お母さんとその時まで黙って聞いていた私の声が綺麗に重なった。


『そんなうちに余裕あるわけないでしょー。お母さんに無理言うんじゃないの。バカ』

『なんだよ、姉ちゃんだって海外行きてーつってたじゃん!』

『希望と現実は違います。将来夢ができていいじゃん。若いうちに何でも経験しちゃうとこの先退屈だよー?』

『なんだよ年寄りみたいなこと言っちゃってさ……。だって周りは皆ポンポン行くんだぞ~、俺も行きたいよ』

『それはあんたが私立行ったからでしょ』


 そこからヒートアップして不毛な言い合いが続いた。数年前と違ってお互い手を出すことはないが、結構毎回本気だったりする。


『姉ちゃんもうすぐ二十歳のくせに彼氏いねーんだから家族だけが心の拠り所だろ!』

『うるさいなぁっ。それとこれとは関係ないでしょうがっ!』

『……行くかっ』

『『ええっ??』』


 妙にすっきりした顔をして立ち上がったお母さんに私も誠もただぽかんとしていた。お母さんはそんな私たちを見てにっこり笑う。


『お母さんも前から行きたいとは思ってたのよ。でも今一歩踏み出せなくてね~。そんな贅沢できないけど、一回くらい行ってみようか』

『ほんとに?』

『ただし一番快適でなるべく安いの、二人で調べときなさいよー』


 誠と顔を見合わせ、にんまりと笑う。


『やったぁー!』

『なんだよぉー、姉ちゃんの方が嬉しそうじゃん!』


 それから夜は家に一つしかない古いパソコンの前でああだこうだ言いながら旅行の計画を立てる日々が続いた。私も誠も機械がそんなに得意じゃないので無い知恵を足し合わせてどうにかこうにか調べ進めた。結局この夏にカナダへ行くことになった。この世界が崩壊する三日前に決まったことだった。


「……うぅ」


 私は幸せだったんだ。今になって思う。私は周囲を気にすることなくただただむせび泣いた。



 どれくらい時間が経ったのだろう。しばらく意識が途切れていたような気がする。もう日が傾いていた。少し肌寒い――むき出しの腕を擦りながら私はよろよろと立ち上がった。……帰ろう。


 帰る間際、何気なく右手奥に目をやると、木々に溶け込むように佇む倉庫のような四角い建物が目に入った。あの辺りは周囲と比べ草木も一層生い茂り、普段人があまり訪れない場所なのだろう。気になったのはその建物手前の植え込みだ。明るい紺色の物体がはみ出ている。見方によっては人の足のようにも見える。何となく気になって引き返し、少し近寄って目を凝らす。


 ――足だ。


 そう認識した瞬間、私は駆け出していた。何故だかわからないが、誠であるような気がした。期待を込めてそっと植え込みの反対側を覗く。


「……っ!」


 やはり人だった。うつ伏せになった人。ここの生徒らしい、明るい紺の制服のズボンを着ている。そして白かったであろう半袖のシャツ。今は黒に近い赤に染められて、ズボンからはみ出た部分が僅かに元々の白さを残していた。この学園に入れたのだからこれは返り血だろう――黒く変色しパリパリに固まった状態から考えるに、血を浴びてからだいぶ時間が経っているように思える。


「……誠? 誠だよね」


 反応はなかった。でも、これは誠だ。私は確信していた。可哀想に、頭からバケツの水を被ったようだ――もちろんこの場合バケツの中身は血だが。髪の毛一本一本に血が絡み付いているようで、ハリネズミのようにツンツンと束になっている。肌には血がまだら模様になって貼りついている。全身から生々しい鉄の臭いを発する彼に手を伸ばし、その頭を撫でる。バリバリと人工芝のような感触がした。


 彼が頭をもたげた。力なく見開かれた片目が私をとらえる。


「……姉、ちゃん?」


 やっぱり誠だった! 私は血塗れの誠を引っ張り起こすと、力強く抱きしめた。強烈な臭いが鼻をつくが、そんなことどうでもよかった。誠は呆けた顔でされるがままになっている。


「よかった、生きてて……辛かったでしょ」

「何でここに?」

「誠を探しに来たんだよ! お母さんも無事だよ。また三人で暮らせるよ」


 最後は涙声になってしまい誠が聞き取れたか分からない。


「夢みたいだな……。夢じゃないよね?」

「夢じゃないからっ。まだ夢の中にいるような顔して……。でも本当に私、誠死んじゃったのかと思ったよ」

「俺も、死ぬかと思った」


 力なく微笑む誠の前歯は欠けていて、少し間抜けだった。


「もう……死体みたいな格好して。身体、洗いにいこう?」

「……うん」


 私は誠の手を引いて立ち上がった。誠も弱く握り返したのが分かった。

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