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死の都市  作者: LION
第四章 
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第三十一話 自責

「えっ? ……うわああぁぁぁっ!!」

「きゃあぁぁぁぁっ!」


 若い男女二人の悲鳴が重なり合った。一人はゾンビに押し倒され今にも噛みつかれようとしている渡部くん、もう一人は彼をゾンビの方へ押しやった――ように見えた――紗莉奈ちゃんだ。紗莉奈ちゃんは酷く怯えている様子で一目散に私の方へ駆けてくる。やはり気のせいだったのだ。押したのだとしてもそれは二人で冗談を言って軽く小突いた程度のことだったのかもしれない。


「紗莉奈ちゃん、落ち着いてっ!」


 命の危険に晒された渡部くんを助けたいところだが、とりあえずは暴走してこちらに向かってくる彼女を咄嗟に抱きとめようとする――が彼女は私をさっと避け通り過ぎてしまった。


 今の悲鳴で他の皆もこちらの非常事態に気付いたはずだ。しかし前線で戦う皆と私たちの間には結構な距離がある。今、渡部くんを救出できるのは私だけ……! そう判断し彼の方へ視線を戻す。


「……あ、ああ……」


 いつの間にかゾンビがたくさん集まっていた。それらは口元を新鮮な血で真っ赤に染め上げ、口からぽろぽろと肉片を撒き散らしながら貪り食っている――さっきまで心地よいテノールの声で話していた美少年……渡部くんを。


 渡部くんの頭部がゾンビとゾンビの間から僅かに見える。喉を深く噛まれたらしい――声にならず苦しげに息を漏らしながら目に一杯涙をためて助けを請うようにこちらを見てくる。綺麗な金髪に血飛沫が飛び散り頬を伝い、透けるように白い彫刻のような肌は噛み痕だらけで赤い肉を露出させている。もう、間に合わない……。そう判断した次の瞬間、醜悪な顔をしたゾンビたちが彼のうなじに、首に次々と喰らい付き――渡部くんはびくんと一回身体を大きく痙攣させるとぐったりと頭を垂れ……死んでしまった。


 頭が真っ白になった。しかしとにかく……動かなくては。彼をそのまま放置することに戸惑いはあったが、もはや私の力でどうにかなるものではない。何よりこれ以上見ていられなかった。私は惨状から目を背けると逃げるように佐伯くんたちの方へ走った。紗莉奈ちゃんは――いた。須藤くんの背中に寄り添うようにしていたが当の須藤くんは戦いの邪魔だ、と言わんばかりに彼女を押しのけていた。


 ここから門にかけて周囲にゾンビはもうほとんどいない。地面には惨たらしい死骸がごろごろと転がっている。しかしとてもじゃないが油断などできそうにない。戦いの音を聞いて次々にゾンビが集まってきている。


「もう大丈夫だ! 門へ急ごう!」

「義崇くん……」

「あぁ、よかった……怪我はないか? ……渡部くんは?」

「…………」


 言わなくては。でも、何も言葉が出てこない。黙って俯き、震えが止まらない指で後ろを指す。佐伯くんは小さく声を漏らすと惨状から目を逸らした。


 やっと冷静になってきた。私は護衛の役割を全うできなかったのだ。何とも言えない罪悪感が襲ってくる。私がもっとしっかりしていたら渡部くんは生きていたかもしれないのに。私はいつも皆の役に立てないし、迷惑をかけてばかりだ……。それで人一人の命が奪われるなんて。ひどすぎる。


「わ、わたしのせい……なんだ。少しの間目を離しちゃった。そしたら……二人が離れたところにいて、それで……」

「……今は自分たちの安全だ。行こう」


 声が震えて途切れ途切れにしか話せない。そんな私を佐伯くんが心底呆れ返ったような、冷やかな響きを伴った声で突き放したように感じられた。

 

 ただでさえ重い自責の念に駆られていて、その上佐伯くんにまで嫌われたら。自分の責任とは言え、苦しい。先を急ぐ佐伯くんの後ろ姿をしばらく目で追っていた。はっとして私も後を追うが、さっきのショックで足ががくがく震えて歩きづらい。


 「気の毒だけど……この世界はこういうことが普通になっちゃったってこと、もうあなたもわかってるよね。でも……やっぱ耐えられないよね。付き合ってた彼があんなことになんて……」


 労るように紗莉奈ちゃんに話しかける奈美さんの言葉が胸に突き刺さる。そうか。二人は恋人同士だったのだ。しかしそれにしては紗莉奈ちゃんはあっさりと彼を見捨てたようにも思う。……いや、私は何を考えているのだろう、紗莉奈ちゃんに責任転嫁しようとでもいうのか。罪から逃れようとする自分の汚さに愕然とする。


「……彼氏なんかじゃないです。ただの知り合い……この騒動でたまたま居合わせたので」


 紗莉奈ちゃんはきっぱりと否定すると小走りで先頭を足早に歩く佐伯くんに近寄り何やら話をし始めた。何を話しているのだろう……。もしかすると私のことかもしれない。一緒にいた男の子を目の前で殺され、守ると約束したのに何もできなかった私のことを責めているのかもしれない。


「……随分あっさりしてるね。なんか変な娘」

「奈美、彼女は恐怖で正常な精神状態じゃないんだよ。そんな言い方……」

「駿、あんたも可愛い子には弱いんだね」

「え? いやっ違うっ違うよ! 僕はただ……」


 奈美さんと相田くんの掛け合いが耳に入ってはすぐに抜けていく。もう何も考えられない。ひんやりとした心が鋭い何かで掻き乱されていく。まだゾンビに襲われる危険があるのに、須藤くんが話しかけてくるまでしばらくぼけーっとしていたように思える。


「大丈夫か?」

「あっ、うん……」

「……渡部が死んだのはお前のせいじゃねぇよ。今はもういつ誰が死んでもおかしくない世界だ。それに約束しただろ? 何があっても後悔しねぇって」


 そうだ。寺崎くんと清見さんが死んじゃって――佐伯くんのアパートで三人で約束したんだ。その時の自分ができる範囲で最善を尽くした結果であったなら何が起きても生き残るまでは後悔しない、自分を責めない、と。でも、これは最善を尽くせていたのか? 私の明らかな過失ではないのか?


 ちらりと佐伯くんの方を見るとまだ紗莉南ちゃんと話をしていた。人形のように整った紗莉南ちゃんの横顔は曇った表情をしているにも関わらずまぶしいほど愛らしくて――彼も穏やかな優しい表情で応じている。胸の奥がチクリと痛んだのを感じた。


「ほら、門が近付いてきたぜ。もっと嬉しそうにしろよな」

「……本当だ。勿論嬉しいよ、嬉しい……誠に会えるんだもん」


 本当に踊りだしたいくらい嬉しいのだが、心身共に疲れ果て感情についていけない。無理やり笑顔を作る私を須藤くんは真っ直ぐじっと見てくる。心の中が全て見透かされているようで落ち着かない。


「そ、そういえば英雄くんたら、紗莉奈ちゃんをあんな邪険にしちゃだめでしょ。すっごく怖がってたよ?」 

「ああ、鬱陶しかったからよ」

「もー……」

「……それにあいつ、あの女と同じ匂いがするしな」

「え?」


 あの女……この前も話に出た須藤くんのお母さんのことだろうか。私は詳しくきき返そうとしたがタイミングがよいのか悪いのか、高校の門の前に着いてしまった。とはいっても三メートルほどの高さがある頑丈な門は固く閉ざされ開きそうにもない。どうするべきかと立ち往生していると頭上から男の声が降ってきた。相田くんが「うわっ」と驚いた声をあげ奈美さんが呆れたように溜め息をついた。


「避難民だな? 今開ける」


 門から少し離れた塀の上にヘルメットを被った男の人の顔が覗いていた。物見台のようになっているようだ。男の人の首が引っ込んで少しすると、重い音と共に門が両側からゆっくりと開かれた。ゾンビが来るからと早く入るよう促され私たちは急いで中へ入ると背後で再び門は閉められた。やっと国に守られた安全地帯に着いた。安心感で気を緩めた次の瞬間。


「止まれ!」


 険しい大きな声が聞こえたと思うと、門を囲んでいた迷彩服の男たちが私たちに一斉に銃を向けた。


「え? え? 何でさ?」

「駿、落ち着きなさいよ! きっとあれ。やつらに噛まれてないか確かめるんだよ」

「その通りだ、察しがいいなお嬢ちゃん。感染者に噛まれたり引っ掻かれたりしたらこの避難所に入ることは許されない。厳重なチェックを通過した者のみ保護されることになってるんだ」


 そのまま顔に深い皺が刻まれた軍のお偉いさんらしき初老の男に私たちは両手をあげるように指示され、検問室へと通された。検問室は元々は門のすぐ傍に設置された警備員の待機室だったようだ。私たちは中へ入るとすぐに男女別々の部屋に分けられた。別れる間際に佐伯くんたちと後でこの建物の外で会うことを約束した。


「服を脱いでください」


 両手を拘束された私と奈美さん、紗莉南ちゃんは背の高い女性隊員に命じられ下着姿になった。女性隊員が上から下まで傷がないか丁寧に見ていく。


「この頬の傷は?」

「あ、これは……矢が当たりました。人が放った矢……です」

「そうね、引っ掻き傷のようには見えないもの。大変な目にあったのね」


 女性隊員はヒョウなどの猫科の猛獣を連想させるきりっとしてスマートな顔をふと緩めると奈美さんの検査に移った。奈美さんが相田くんの家の硝子を割った時の傷がゾンビにつけられた傷のように見えることからかなり手間取っているようだ。


「もう大分塞がってるし、結構前の傷なんです。ゾンビに引っ掻かれてたらもう変化してるはずでしょ?」

「引っ掻き傷は噛み傷よりも発症が遅いのよ。噛み傷と違って体液が体内に必ずしも入るわけじゃないから可能性も低いんだけれど。この後どちみち全員に血液検査を受けてもらうからその時わかるわ」

「……はい。大丈夫なはずですけど」


 紗莉南ちゃんの白くて綺麗な肌には傷一つ見つからなかったようだ。確認が終わると私たちは血液を採取されしばらく待機するよう言われた。部屋の片隅には女性隊員が銃を持って控えている。発症したら躊躇なく射つようだ。少ししてなんとも居ずらい空気に耐えられなくなったのか奈美さんが静寂を破り話し始めた。


「そういえば、あたしたちはまだ大宮さんに自己紹介してなかったよね」

「……あ、そうだね」


 二人で紗莉南ちゃんの方を向く。当の彼女は自分が私たちの注目を浴びているのがわかっていないのか、ぼうっと何もない正面の壁を眺めていたが、ようやく気付いてくれたようだ。


「……なんですか?」

「自己紹介させてよ。あたしは高岡奈美。大学生。よろしく」

「私も大学生で伊東皐月です。よろしくね」

「よろしくお願いします」


 話は数十秒しか持たずまたしばし沈黙が続く。門を潜ってからは時が流れるように過ぎ何も考える余裕などなかったが、落ち着いてまた暗い気持ちが蘇ってきた。紗莉南ちゃんは私を恨んでいるのだろうか。……そうに違いないだろうな。そういえば彼女はこの後どうするのだろう。ここまで一緒に付いてくるという話だったが……。そう考えていると奈美さんがちょうどそのことを話し始めた。


「紗莉南ちゃんは、この後どうするの? 家族には連絡とった?」

「……家族とは避難所からの移動先で合流することになってます。……それまでは」


 紗莉南ちゃんはそこで一拍置いて、言った。当然といったふうに。


「義崇さんと一緒にいます。彼が私のことを守ると約束してくれたので」



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