第二十七話 襲撃者
中年男性の身体の至る所に生えた矢羽部分の赤い金属の矢――偶然当たってしまったのか。いや、そうだったならばこんな執拗な攻撃などしない。ゾンビだと勘違いしたにしろ、そうでなかったにしろ、はっきりとした殺意を持っていたのは確かだ。
佐伯くんが焦りを隠せない表情でさっと身を翻し、周囲を注意深く見渡した。
「もう襲撃者はここにはいないようだが……この先はゾンビに加えてそういった輩にも気を配る必要があるな」
「な、なんだって人が人を……」
額に汗を浮かべ信じられないといった様子でうろたえる相田くんの肩に須藤くんが肘を置く。相田くんは相当驚いたようでビクンと大きく一回跳ねた。
「ゲームだよ、ゲーム。法律が実質意味ねぇもんになっちまった今、懲罰を恐れておとなしくしていたサイコ野郎どももその醜い本性を曝け出したってわけだ」
「そんな、残虐な欲望を満たすためなら掃いて捨てるほどいるゾンビを殺せばいいじゃないの」
「ゾンビなんて殺しても何の反応も示さないからな、生きた人間が苦しみ悶え死ぬ姿を見たいんだろ」
「……随分とそういう人間に詳しいんだね」
悪びれもせず、どこか楽しそうにも思わせる口調で飄々と言ってのける須藤くんに奈美さんが怪訝な顔をして言う。声に棘がある。奈美さんは須藤くんに対してどこか不信感のようなものを抱いているようだ。
「まぁ、ゾンビと間違えて打っちゃったっていうのも考えられるよ……ね?」
「いや、ふつう動作やら最初打ったときの悲鳴で気付くだろ。だがよ、こいつは何度も何度も打ちこまれてんだ。快楽殺人にしか思えねぇな。それにだ、この辺りは元々そういった類の人間が多い。この先の繁華街は暴力、薬、売春……そういった犯罪の温床だ」
人として望む最後の期待もすぐに打ち砕かれてしまった。詳しいことは知らないが須藤くんは昔はかなりの悪だったみたいだし、その時に通っていた場所といえば当然そういう場所になるだろう。悲しいがそういった人間がいるのは間違いなさそうだ。
それにしても誠もこんな危険な場所に近い高校によく通っていたものだ。ここから住宅街を間に挟んでしばらく歩くようだから隣接しているわけではなさそうだが、それでも生徒たちに与える影響は大きいはずだ。だから防犯対策があれほどまでしっかりしているのだと納得する。そういえば駅は繁華街とは反対側の方面にあって、下校時は先生や警備員が生徒が寄り道しないように立って誘導しているのだとか言っていたのを思い出した。そんなことするならこんなところに学校作らなきゃいいのに。
「ちょっと、そんなとこ通るの危険すぎでしょ。どうにか避けれないの?」
「そ、そうだよな……この人みたいに急に襲われるかもしれない。知恵がある分ある意味ゾンビより怖いんじゃないか……?」
「繁華街を避けて行くのはかなり時間がかかるぜ? それに俺も安全なルートは把握してるつもりだ。ま、それでも嫌だってんたら付いてこなくていいけどよ」
その時、奈美さんと相田くんの須藤くんを見る目が鋭くなったのがわかった。須藤くんがそのような場所に通う人間の一人であったことを知った上に、この突っかかるような言動――これでよい感情を抱けというのも難しい話だろうけども。
「あまり話している時間はないぞ……このままいくと運が悪ければ高校へ向かう途中で日が落ちてしまうなんてことも考えられる」
「ああ、それなら少しは安心していいぜ」
「どこか安全な場所の目星がついているのか?」
「……まあな。いざとなりゃそこで一晩過ごせると思うがね」
佐伯くんはこうして話している間も常に周りに気を張り巡らせている。とりあえず今は須藤くんに頼るしかない。早く先に進まなければ、いつその恐ろしい人たちが襲ってくるか……。
入ってきた時と同じようなアーチをくぐり、私たちは商店街を抜けだした。正面には某有名カフェチェーン店やコンビニ、お洒落な雰囲気の雑貨屋などが並んでいる。どれも開け放たれた扉から血や臓物にまみれた店内の様子が伺えた。
「須藤くん、ここで合ってた?」
「そうそう、ここだ。小綺麗なファッションストリートの姿は跡形もねぇが間違いねぇ」
ガラス張りのブティックに車が突っ込みガラスの破片が散乱した通りを眺めながら須藤くんが頷く。
「なんか想像と違うなぁ……。不良やヤクザというかOLさんが通いそうな場所だよね」
「ここは、な。もっと先に行けば小汚ねぇビル街に繋がる裏通りがあってよ」
「まさかとは思うけど、不良やヤクザ行きつけの小汚いビルがその寝泊まりできる場所だっていうんじゃないでしょーね?」
奈美さんが眉間に皺を寄せ問い詰めると、須藤くんはおどけたように肩を竦めて話を続けた。
「悪どもが集まる危険な地域とは少し離れた場所に寂れた通りがある。そこに俺の通ってたジムがあったんだが……。その裏に廃ビルがあんだよ。そこなら目立たねぇし、すぐ近くは高校に通じる閑静な住宅街だ」
「なるほどな。一晩ここで過ごさなければならない事態が起きた場合、俺は須藤のいう廃ビルでいいと思うが……三人はどうだ?」
「私もいいと思うよ」
「ここまで来たらそこしかないんじゃない?」
「僕もそう思う」
どうにかこうにか全員の同意を得て、私たちはとりあえず高校に急ぐことにした。しかし日がだいぶ傾いてきた――あと数時間もすればこの街は闇に包まれるだろう。急がなくては。
早足で血みどろのファッションストリートに足を踏み入れた時だった。
ヒュン……
耳元で風を切る音がした。汗ばんで頬にかかった鬱陶しい髪を風がふわりと巻き上げる。すぐには何が起きたのかわからなかった。最初にまず感じたのは頬を焼くような熱。そして鋭い痛み――。
「走るぞっ! その角を曲がれっ!」
佐伯くんの叫び声が聞こえ、私の身体が勢いよく引っ張られた。何も考える余裕などなかった。ただ背後から迫る何者かの気配と、風を切る音を感じながら佐伯くんに引かれるがままになっていた。曲がり角まであと少し。
「うああっ!?」
相田くんの声がした。後ろを振り返ると私たちより少し後ろで相田くんが片腕を押さえ地面に膝をついているのが見えた。腕を押さえる手の指の間から赤い矢羽が覗いている。
「駿っ!」
奈美さんが相田くんの叫び声を聞いて引き返し走り出す。これは……ヤバイかもしれない。走る奈美さんの後ろ姿の向こうに数人の人影が弓のようなものを構えている――が何を思ったか顔を見合わせて少しの間相談する素振りを見せると、こちらに向けて走り出した。
「……ちっ。あいつら、女を狙ってやがる。相田は殺されるぞ」
須藤くんが顔を強張らせどうするべきか考えあぐねている様子だったがやがて意を決したように相田くんたちの方へ駈け出した。佐伯くん、私も後に続く。
「ちょっと、何あんたたち!!」
相田くんに肩を貸し一緒に逃げ出そうとしていた奈美さんの前に男が立ちふさがる。奈美さんは咄嗟に手にした金属バットを振り下ろそうとしたが、いやらしい下卑た笑いを浮かべた男にその腕を封じられてしまった。
後からやってきた男を合わせ合計三人――全員中年とは言えない年頃でそこそこ若いようだが、腐った性根が顔に如実に表れており、目は黄色く濁って汚れきっていた。
「すっげぇいい女だ、今日はついてるな! おい、そいつは殺しちまえ」
男たちのうちの一人がボウガンを構えた。